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ウェーバー=大塚史学からの「騎馬民族説」再考ー大和朝廷と古代日本(投稿完了・推敲中)

本サイトでは、原始社会→古代部族社会→古代専制王朝体制→封建体制→近代資本主義体制へと「辺境革命」(大塚久雄=大塚史学)に依って形成された欧米キリスト教文明圏は今や、軍産複合体・新自由主義多国籍企業体制に暗転し、「賤民資本主義=金儲けが人生のすべて(あくなき利潤追求)」(マックス・ウェーバー)に堕した現代資本主義体制と化してしまい、世界を滅亡のどん底に陥れつつある。これを防ぎ、市場経済を基盤とした真性資本主義体制に再生させるためには、「東アジア共同体」を構築し、世界に伝える以外にないという立場である。そのためには、歴史的な立場からの「東アジア共同体」の歴史社会学的分析が不可欠である。サイト管理者はその出発点として、文化勲章受章者の江上波夫が戦後唱えた「騎馬民族説」を再考してみたい。

【1】「皇国史観」の矛盾

その前に、安倍晋三政権、希望の党、日本維新の会が依存している大規模な復古主義の総本山である「日本会議」の皇国史観を批判しておきたい。朝鮮(当時)で生まれ、作家であり古代朝鮮史家でもある金達寿はその著「日本古代史と朝鮮」(講談社学術文庫、1985年刊行、2013年第39刷)で次のように帰している。金の学んだ「小学国史」の「第四 神巧皇后」には次のように記載されていという。

「第14第仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后を神巧皇后と申し上げる。皇后は御生まれつき雄々しい御方で、御徳も高くいらせられた。天皇の御代に熊襲がまたそむいたので、天皇は皇后とご一緒に九州へ下って、これをお打ちになったが、まだよくしずまらないうちに、天皇はおかくれになった。

この頃、朝鮮には新羅・百済・新羅の三国があり、これを三韓と言ったが、中でも新羅がわが国に一番近く、その勢いもたいそう強かった。熊襲がたびたびそむくのも、この新羅がそそのかすためであった。そこで皇后は、新羅を従えれば熊襲はしぜんと平らぐであろうとお考えになり、武内宿禰(すくね)と御相談になって、御自ら兵をひきいて新羅をお討ちになることになった。時に紀元860年であった。

皇后は御船出に先立ち、『神々のお助けと汝らの力によって、新羅をうち従えたい』と兵士どもに仰せになった。御軍船が海にみちみちて新羅に攻寄せると、新羅王はたいへん恐れて、『日頃、東の方に日本という国があって、天皇と申す御方がいらっしゃると聞いている。あの軍船は、きっとその神兵にちがいない。どうして防ぐことができよう』と言って、直ちに皇后に従い奉り、『たとい太陽が西から出、河の水がさかさまに流れるようになるようなことがありましても、毎年の貢物は決して怠りません』とお誓い申し上げた。皇后はほどなく御凱旋なさったが、やがて、百済・高句麗の二国もまたわが国に従うようになった。

朝鮮が朝廷の御威光になびいたので、熊襲も自然としずまって来た。やがて応神天皇の御代になると、百済から王仁(わに)という学者などが来て学問を伝え、機織や鍛冶などの職人もつぎつぎに渡って来た。こうしてわが国の勢は海外にまでひろがり、ますます国が開けるようになった」

こうした「皇国史観」が、日清・日露・太平洋戦争での朝鮮侵略・支配の歴史的「根拠」になり、日韓・日朝関係を極めて複雑化させている。日本会議では、こうした皇国史観の復活を狙っている。荒唐無稽な歴史「認識」と言えばそれまでだが、皇国史観が日本人の対アジア、特に中国や韓国・北朝鮮蔑視の根拠になっており、日本人の優越感情をくすぐっていることは否めない。

※追記(2018年02月12日)
最後の「やがて応神天皇の御代になると、百済から王仁(わに)という学者などが来て学問を伝え、機織や鍛冶などの職人もつぎつぎに渡って来た。こうしてわが国の勢は海外にまでひろがり、ますます国が開けるようになった」は、よく考えてみると、古代朝鮮半島からの渡来人(昔は、「帰化人」と読んでいた)が高度な文明の担い手であったことが示唆されている。そのことからすれば、文明的に劣勢にあった古代日本(倭ないし大和)が古代朝鮮三国を服属したなどという前段の記述とは大いに矛盾するのは明らかである。

第二次世界大戦(太平洋戦争)で敗北した日本は、皇国史観を捨て去ったかに見えたが、日本会議と連携しながら安倍政権、希望の党、日本維新の会は、その復活を狙っている。ただし、日本共産党が主張し、今や日本の良識派知識人が認めているように、「日本は高度に発達した資本主義国でありながら、事実上、米国に(政治・経済・社会的に)従属した国」であるから、簡単には行かない。

さて、こうした皇国史観に戦後、真っ向から反対し、大規模な仮設を打ち出したのが、1991年に文化勲章を受賞した江上波夫の「騎馬民族説」である。この説は日本国内にセンセーションを巻き起こしたがその後、学説としては多くの批判を招き、定説にはならなかった。しかし、近年の日本の古代史研究、古代日朝関係史は筆者にとって、概ね、正しいのではないかと思えるようになってきた。以下、江上の「騎馬民族説改訂版」(1991年、2017年で10班)や「幻の加耶と古代朝鮮」(1994年、文藝春秋社文春ビジュアル版)、「日本古代史と朝鮮」(前掲)、シリーズ「日本の歴史」(講談社学術文庫版)の「王権誕生」(2008年、2016年第12班)、「大王から天皇へ」(2008年、2016年第13刷)その理由を説明したい。

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