冷戦崩壊・新自由主義破綻後の世界史−ウエーバー=大塚史学の辺境革命論から読み解く(再論・加筆)

B!

昨日2020年8月15日はコロナ禍の中「終戦記念日」として、戦没者を追悼し、平和な世界の実現を祈る「全国戦没者追悼式」が東京・千代田区の日本武道館で行われたのを始め、全国各地で「戦没者慰霊・平和な世界の実現を求める」記念式典が行われた。しかし、1945年8月15日は昭和天皇が日本政府として「ポツダム宣言」受け入れたことをラジオで放送(玉音放送)した日に過ぎない。

正式に日本が敗戦を受け入れたのは、ポツダム宣言受諾の通告後の1945年9月2日である。この日に、東京湾上に停泊したアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において、日本側は重光葵外務大臣、梅津美治郎参謀総長が出席し、日本の降伏文書(日本と連合国との間の停戦協定(休戦協定))が調印され、即日発効した。この日が正式な「敗戦の日」だ。「終戦記念日」は戦争責任を明確にしない言葉である。本来は「敗戦の責任を正しく追及し、世界平和実現を記念する日」でなければならない。

明治維新以降の近・現代日本史を正しく総括する必要がある。ただし、戦前・戦後に長らく「史的唯物論」に基づいて世界史が解釈されてきたが、日本では「天皇制(国体)を巡って「共産主義」が講座派と労農派に分裂し、それぞれ日本共産党と社会党(現社民党)に分裂することになった。史的唯物論では、天皇制(国体)を軸にした日本史を正しく解明できない。

これに対して、マックス・ウエーバーの歴史社会学=大塚史学が提唱している「辺境革命論」が史的唯物論を克服できる歴史観になり得る。コロナ禍の中で、戦後の戦後の冷戦は、米国を柱とした1989年12月の米ソ二大国のブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領の両首脳がマルタ会談において「冷戦の終結」を宣言し、西側諸国の勝利で集結した。その後、グローバリズムの時代に移行したが、その中核理念である弱肉強食の新自由主義はバブル崩壊を繰り返した挙げ句、コロナ禍でトドメを刺され、米中両国の対立は先鋭化している。脱新自由主義時代を「辺境革命論」を土台に、展望したい。

◎追記:朝日で自ダル朝日デジタルによると16日の新型コロナ新規確認者は東京都で260人、陽性率の推測値は5.2%。感染経路不明者の割合は52.3%。全国では午後20時30分時点で1021人、亡くなられた方新規10人。沖縄県は県民だけで60人が新規感染。累計感染者は1618人で、人口は14.57×10万人だから、人口10万人当たりの感染者は111人に上っており、非常に厳しい状況になっている。

●冷戦構造崩壊と新自由主義の破綻をどう見るか

パックス・アメリカーナは新自由主義ともに衰退し、これに世界でパンデミック化したコロナ禍が追い打ちをかけ、破綻が誰の目にも明らかになっている。日本を含む世界の流れ(現代世界)はこれからどうなるのか、あるいは、コロナ禍パンデミックの時代に国際システムはどのような変貌を遂げるのだろうか。

本サイトはこれらの問に、サイト管理者(筆者)なりの模索を行なってみたい。そのために、「現代」を超長期の歴史的なパースペクティブ(観点)から位置づけることを試みる。 歴史観(歴史哲学)としてはカール・マルクスが「経済学批判序文」で提唱した史的唯物論(唯物史観)をたたき台とし、これをマックス・ウェーバーの歴史社会学=大塚史学の観点から再構築するという手順で行いたい。奇しくも、本年2020年はマックス・ウエーバー没後100周年に当たる。

マックス・ウエーバーとカール・マルクス
マックス・ウエーバーと「プロテスタンティズムの倫理と資本主義」

大塚久雄は無協会派のクリスチャンと知られる内村肝臓の孫弟子に当たる。マルクスの資本論などの著作とウエーバーの「世界宗教の経済倫理」「宗教社会学」の研究者として知られ、講座派から出発したもののやがて、マルクスとウエーバーに独自の解釈を打ち立て、講座派から離脱して欧米(特に、英国)に成立した近代資本主義の形成史を独自の視点から体系化し「大塚史学」を構成。。日本学士院会員(1969年)、勲二等旭日重光章(1977年)、文化勲章(1992年)を受賞。

「欧米資本主義」を美化したとの批判もあるが、戦後日本の民主主義の育成の観点からの研究であり、美化することが目的ではなかったと拝察される。キリスト教なしには近代資本主義は成立しなかったことに重点をおいており、サイト管理者(筆者)は直接、東京都八王子市の大学セミナーハウスでの合宿セミナーに参加し、このことを確認した。弱肉強食の新自由主義(今だけ、カネだけ、自分だけ)は近代資本主義が、テクノロジーの高度化を遂げながらも、ウエーバーの指摘した「人類の歴史」とともに古い「金もうけ欲(貪欲)」から生じた前近代的資本主義に暗転したものと思われる。

大塚久雄と著作集全10巻[/caption]

1991年12月末、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が地上から姿を消した。冷戦構造が崩壊してからというもの、マルクス(主義)の威信は地に堕ちた感がある。現代史は、マルクス主義が誤びゅうだったことを明確に示したからだ。もっとも、だからといってマルクス主義に代わる体系的な思想が打ち出され、万民の心を掴んでいるというわけでもない。現代は思想的空白の時代なのだ。

一方、共産主義を崩壊に追い詰めた資本主義陣営ではマーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン、中曽根康弘氏以降「新自由主義(新自由主義)」が席巻して、資本主義を蝕んでいった。ケインズ主義を打倒したかに見えた新自由主義も、破綻に向けて一直線で崩壊しつつあり、コロナ禍が強力な追い打ちをかけているというのが現状である。フランシス・フクヤマの著した「歴史の終わり」とは、「激動期に入り新しい時代を迎える」歴史の始まりだったのである。

このような文明の転換期の時代にあっては、それにふさわしい思想(マックス・ウェーバーが宗教社会学論文集で述べた「歴史の転轍手」)が創造されるものである。「世界宗教の経済倫理序論」(みすず書房)には次のように記載されている。
=================================================================
人間の行為を直接に支配するものは利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によって創りだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍手として起動を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。
=================================================================

要するに、「世界像」(世界観、歴史的には高等宗教が創造し、経済活動の担い手である中産的生産者層がこれを受け入れ、国王ないし諸侯、政治家が宗教と経済の利害関係を調整しながら新しい文明を築いてきた。アーノルド・トインビーが明らかにした「歴史の研究」は文明を歴史の単位とし、その興亡盛衰を描いているが、文明の根底には神話ないし宗教がある)が個々の人間、民族、人類の価値転換を促し、新しい価値観に基づく人間、民族、人類の行為が歴史を創造してきた、このようにマックス・ウェーバーは見ているのである。

サイト管理者は不気味な様相を呈し始めた今日、21世紀を展望した新たな思想を求める動きが胎動することを期待したい。ここに、思想というのは、新しい文明を創出するための理念と政策体系からなる。その際、たたき台になるのが戦前・戦後、多くの人を魅了したマルクスの唯物史観である。何故なら、マルクス主義は既に崩壊したが、近現代における唯一の世界像であったからだ。

さて、マルクスはその著「経済学批判序文」の中で、次のような歴史発展の「公式」なるものを示した。

「社会の物質的生産力は、その発展がある段階に達すると、いままでそれ(生産力)がその中で動いてきた既存の生産関係、あるいは、その法的表現に過ぎない所有関係と矛盾するようになる。生産関係は生産力の発展を支えるものからその桎梏(しっこく)へと一変する。このとき、社会革命の時期が始まるのである。経済的基礎の変化につれて、法律や政治、社会意識など巨大な上部構造全体が徐々にせよ急激にせよ、くつがえる」(岩波文庫版) そして、こうした社会的生産力と社会的生産関係との衝突から勃発する社会革命によって、社会経済体制はアジア的、古代的、封建的、および、近代資本主義的経済体制へと発展し、ついには社会主義経済体制に移行するようになる。

そうして、「人類社会の前史は終わりを付ける」(同)という。 ところで、マルクスのこの社会発展の「公式」なるものは、すでに破綻を宣告されている。実際、いわゆる共産革命の起こったロシアや中国、北朝鮮などは、王朝交替(易姓革命)の後、資本主義が成立・発展しないままに「社会主義化」しており、マルクスの「公式」では説明できない。

日本共産党はかつて「共産主義読本」という書物を刊行して、弁証法的唯物論・史的唯物論(唯物史観)・資本論の入門書に充てていたが、これらは「スターリン主義」を構成するものであり、今では廃刊となっている。同党独自の先進資本主義での「共産革命」のための独自の「共産主義理論」は不明だ。基本的には、「史的唯物論」に基づいた「日本共産党綱領」(最新版を2020年1月に開かれた第28回党大会で採択)が同党の要(かなめ)になっている。

ただし、市場経済を土台にした社会主義革命を目指しているものの(志位和夫常任幹部会委員長の第98回党創立記念演説)、最も重要な所有論の問題については「生産手段の社会化は、その所有・管理・運営が、情勢と条件に応じて多様な形態をとりうるものであり、日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要である」と述べるにとどまっており、明確な社会主義至上経済体制像は描けていない。

さて、後進資本主義国の社会主義・共産主義革命については、ロシアのメンシェビキに属した女性革命家ヴェラ・ザ・スーリッチがカール・マルクスに宛てた手紙で「ロシアのような後発資本主義国で社会主義革命は可能か」と問い、マルクスが「ロシアのような遅れた国では不可能である」と回答している。

ロシアのメンシェビキの女性革命家・ヴェラ・ザ・スーリッチ

さて、かつての「社会主義国」は今や崩壊し、資本主義的な市場経済(中国の赤い資本主義)へと「逆戻り」しているというのが実情だ。ただし、中国の赤い資本主義は、近代資本主義の成立に不可欠な「禁欲的プロテスタンティズムに裏打ちされた資本主義の精神」が決定的に欠けているため、許認可行政を担当する官僚と政商の汚職がはびこり、一人っ子政策を長年採用し続けたこともあって、経済社会に大きな問題が発生していると推測される。こうした歴史の現実はマルクスの「公式」では全く説明できない状況になっている。

このパラドックスを解くカギは、史的唯物論(唯物史観)の「公式」が近現代史の世界史の主役になった欧米文明の歴史に根拠を持っていたというところにある。前述の内容を補足しておくと、日本の昭和初期のマルクス主義者たちはこのことが理解できなかったため、明治維新の性格付けをめぐって「明治維新は市民革命であり、次は社会主義革命を起こさねばならない」とする労農派(滅びた社会党の理論的支柱、若干社会民主党に継承)と、「明治維新は絶対王政の確立なのであり、次には民主主義革命と社会主義革命のニ段階革命が必要である」とする講座派(栄光の自主孤立路線=結果的に対米従属路線を応援する日本共産党の理論的基礎)分裂、マルクス主義運動は対立・構想が続いた。

※本投稿記事は序論です。暫く追加記を書けておりませんでしたので、最近の情勢を踏まえ順次追加記事を投稿します。





古代オリエント世界(https://rinto.life/108492より)

話を元に戻すと、このパラドックスを解くカギは、史的唯物論の「公式」が近現代史の主役になった欧米文明の歴史事実に根拠を持っていたというところにある。このことを明らかにしたのが、ウエーバーの歴史社会学を頼りに大坂久雄が提唱した「辺境革命論」にほかならない。

大塚によると、マルクスの史的唯物論の「公式」なるものは、次々と生産力を高めながらついには資本主義市場経済体制の形成にまで立ち至った欧米文明固有の、段階的な歴史発展の経路を叙述したものである。

その際、疑問になるのが、欧米文明圏の段階的な歴史発展の過程がなぜ、「辺境革命」だったのかということだ。これは、文明の発展過程でより高度な生産力を持った社会が創造されたのは旧い社会の中心地(当時の先進地帯)ではなく、そこから地理的に遠く離れた辺境地帯だったからである。

つまり、辺境革命の系譜というは、「古代オリエント専制諸国家という姿をとって現れたアジア的貢納性社会→古典古代の地中海周辺におけるギリシア・ローナなどの奴隷制社会→忠誠ヨーロッパとくに北フランスを中心として展開された封建社会→近代西欧とりわけ英国、オランダを起点として拡延するにいたった市場経済の資本主義社会という世界史的経済発展の段階的進行」(大塚)である。

なお、英国に続く米国での典型的な資本主義の発展も辺境革命の典型的な例だろう。重要なことは、それぞれの社会体制の中心地域が地理的に移動し、その担い手も異なっているにもかかわらず、この辺境革命の系譜が、欧米文明という一つの文明の歴史発展の過程として理解できるということだ。

その理由は明らかで、辺境革命の際に先進地帯の文化・文明遺産を継承、発展させてきたという事実があるからだ。ここに文化・文明遺産というのは特に、思想(世界観)と科学技術を指す。つまり、大塚の辺境革命論といは一口に言えば、文明の転換期には、先進地帯の豊かな文化的・文明的遺産を継承、発展させた文明の辺境地帯が、次の時代の新たな経済社会体制を生み出す(実現する)突破口になる、ということである。

●大国の興亡には一定の法則がある

実は、欧米文明内での辺境革命には一定のパターンがある。横浜国立大学教授を務めた内田方明はその著「歴史変革と現代」(筑摩書房)で、大塚の辺境革命をさらに精緻化したが、ここではサイト管理者(筆者)の観点も交えて紹介してみたい。

欧米文明の歴史発展の足跡をたどってみると、文明が栄えた時代には必ずその中心になる「先進地帯」というものが形成されている。この先進地帯は政治的、経済的、軍事的に圧倒的な支配力を擁しており、その支配力によって文明の秩序が保たれているわけだ。

しかし、先進地帯の支配が永久に続くわけではない。文明の発展には限界が生じるようになり、社会全体が閉塞状況に陥る(主として、権力者の権力の不正使用による腐敗・堕落)。先進地帯による支配の正当性が崩れ、経済の成長はストップする。軍事的にも弱体化するのだ。そして何よりも、文明を根底から支えていた思想が動揺をきたすようになる。この時に重要な意味を帯びてくるのが、文明の先進地帯の周辺に位置する「周辺地帯」である。

文明の周辺地帯とは、「先進文明の中心地に比較的近接しているような文化地理的な状況に置かれていて、そのため比較的に、先進文明の政治的・軍事的・経済的・思想的・文化的な支配と影響にさらされるばかりでなく、さらに包摂されるか、その支配圏の全文化的運命や傾向に巻き込まれてしまうような地帯」(内田)のことである。

ペルシア戦争に勝利したギリシア(https://seethefun.net/)
古代イスラエル教発祥の地(https://sekainorekisi.com/glossary/

もっとも、周辺地帯が特別な意味を持つのは、この地帯が先進地帯に完全に隷属するのではなくて、むしろ、先進地帯の支配に抗しつつ、その文化の限界を克服した新たな精神文化(大衆に受け入れられた思想)を創造するところにある。

しかし、地理的な条件からいって、周辺地帯は先進地帯の支配からの完全な脱出、つまり、新たな社会体制の創造が困難な状況にある場合が多い。先進地帯からの体制ぐるみでの脱出して、独自の社会体制の創造が可能になるのは、文明の「辺境地帯」なのである。

辺境地帯とは、「文化地理的状況が周辺地よりももっと距離的に遠く離れていて、先進地帯からの影響を受けながらもそこから脱出して、独自の社会体制を創造することに成功できるような場所」(同)のことである。欧米文明はこのような文明の先進、周辺、辺境地帯のダイナミックな交渉の中から発展してきたのである。ところで、サイト訪問者に注意を促しておきたいことは、文明の周辺地帯には大きく分けてニ通りのタイプがあったということだ。

よく知られているように、欧米文明の精神文化の系統には、ユダヤ・キリスト教という一神教の伝統を継承するヘブライズムと、古代ギリシアに端を発し、現世志向的で合理的な精神を尊重してきたヘレニズムの二つの系列がある。これに相応して、文明の周辺地帯にもヘブライズムを深化さてきた周辺地帯とヘレニズムを発展させてきた周辺地帯の二つのタイプがあるのだ。

そこで、ウェーバーの歴史社会学からヘブライズムとヘレニズムの役割を説明してみよう。ウェーバーは、歴史を「合理化」の過程として捉えている。もっとも、ウェーバー社会学の中では、合理化といってもいろんな合理化がある。サイト管理者(筆者)の見る限りでは、その中でも「倫理的合理化」と「理論的合理化」が最も需要だ。

◎ブレーク:戦後の知識人は日本が冷戦構造に組み入れる過程で「進歩的文化人」と揶揄されてきた。その代表が「日本政治思想史」(1952年)が主著の丸山真男(マックス・ウェーバーの業績を取り入れている)、南原繁(内村肝臓の弟子の系譜に属する)らだ。大塚久雄、森嶋通夫(大阪大学で近代経済学を受け入れ、育てた)もその系譜に属する。

進歩的文化人は吉田茂首相から「曲学阿世」と非難されたが、吉田・岸信介首相はは米国の要求に従って、警察予備隊を自衛隊を再編し、旧安保条約・新安保条約を締結することで、戦後の「保守政治」の元祖になった。しかし、その戦後の保守主義は新自由主義と結託して、日本を閉塞状態に陥れている。「進歩的文化人」をいわゆる「保守主義」にとらわれない、新たな角度から再評価する時がやっと訪れてきたのではないかと思う。

話を元に戻して、このうち、倫理的合理化というのは「人間を内側から倫理的に変革し、やがては、楚々側の社会秩序の変革にも至るような合理化」(大塚)のことである。これに対して、理論的合理化というのは、「一見不合理であるような現世も、結局は深い意味を帯びる総体であるし、あるべきであり、またそうであり得ることを人々に説得することのできる合理的な『世界像』、すなわち、『神擬論』を創造することが」(同)が中心になる。

平たく言えば、「この世は不条理なことだらけなのに、何故神仏が存在するのか、神仏が存在するなら世の中に悪がはびこっているのはおかしい」という民衆の素朴な疑問に応えるのが、神擬論というわけだ。加えて、世界の合理的理解の深化も含まれよう。





ウェーバーの歴史社会学によると、このふたつの合理化のうち、倫理的合理化の推進力になったのが「預言者」であり、理論的合理化の担い手になったのが祭司層を含む知識人である。

そして、預言者と知識人の「協同作業」の過程で、現世を合理的に改造する「実践的合理主義」(近代科学)が形成される。近代科学というのは、キリスト教とギリシア思想・哲学の初産であるが、日本では近代科学の形成に当たってキリスト教が果たした役割がほとんど無視されている。この実践的合理主義が生産力の担い手である「小市民層」に受容されることによって、生産力と社会体制の段階的な発展が可能になるというのが、ウェーバーの基本的な歴史発展の見方だ。その際、ヘブライズムは倫理的合理化の原動力になったし、ヘレニズムの合理的精神はヘブライズムとともに理論的合理化を推進するのに大きな役割を果たしたものと見ることができよう。

なお、精神文化は宗教的ないし思想的カリスマによって文明の周辺地帯で創造されるが、それが新たな社会体制として結実するには、先進地帯の支配を粉砕するための政治的ならびに軍事的カリスマの力がひつようである。さて、辺境革命論がマルクスの史的唯物論(唯物史観)の「公式」をうまく説明できることを簡単に示しておきたい。

●新しい波は辺境地帯から勃興する
第一期辺境革命、古代オリエント専制国家から古典古代奴隷制社会へ。この時代の文明の先進地帯は、古代四大文明ののうちエジプト文明、メソポタミア文明が発症した古代オリエント世界に興亡盛衰した、賦役貢納制を経済的土台とする専制諸国家である。これに対して、文明の周辺地帯としては古代イスラエルと古代ギリシアのニタイプが考えられる。
古代イスラエルは、古代エジプト王朝の奴隷の立場で当時の最高の生産力ー特に手工業ーを身につけた後、モーゼを中心として出エジプトを試み、一神教を奉じて都市国家を建設した。古代イスラエルはその後、サウル、ダビデ、ソロモンの三代にわたって王朝を築き、最盛期を迎える。しかし、ソロモンの死後は南北王朝に分裂し、北朝イスラエルはアッシリア王朝に滅ぼされ、民族は「バビロンの捕囚」の憂き目に会う。
その後、ペルシアが東に興ってバビロンを滅ぼしたことから、イスラエル民族のバビロンの捕囚は解け、民族はペルシアの監視の下にエルサレムへの帰還と民族の象徴としての神殿の建設を許されるようになる。しかし、イスラエル民族はエルサレムに帰還後も、ペルシアやマケドニアなど古代オリエント世界に次々と興亡した専制国家の支配を受け、辛酸をなめつくした。
こうした中で、イスラエル民族は民族の苦しみの理由を合理的に説明する「苦難の神擬論」としての古代ユダヤ教を創造し、後々の世界史に決定的な影響を与えるようになった。何といっても、古代ユダヤ教から世界宗教としてのキリスト教とイスラム教が誕生したからだ。こうして、古代イスラエルは典型的な文明の周辺地帯(ヘブライズム型)になった。
一方、古代ギリシアは古代オリエント世界の周辺地帯ー正確に言えば周辺的辺境地帯ーに位置して、東方世界の発達した生産力ー特に手工業生産ーを受け継ぎながら、東方のアジア的生産様式の限界を何とか乗り越えた古代的生産様式を形成した。そして、ペルシア王朝に苦しめながらも、ペルシア戦争に何とか勝利し、紀元前5世紀にはこれまた世界史に巨大な影響を与えたギリシアの精神文化を創造する。こうして、古代ギリシアはやや変形的だが、文明の周辺地帯(ヘレニズム型)の役割を果たした。
ローマ帝国・キリスト教の国教化(392年、https://www.lets-bible.com/history_christianity/a12.php)
そして、第一期辺境革命での辺境地帯が古代ローマだった。イタリア半島に興った古代ローマが、ギリシアの遺産を継承して地中海世界を統一し、古代的生産様式(奴隷制生産様式)を経済的土台として、長期にわたる繁栄を持続したのである(パックス・ロマーナ)。この時期、古代ユダヤ教から発展した原始キリスト教・初期キリスト教(アタナシウス派)が゛ローマに流れ込み、最終的には古代ローマの国教となった。





●第二辺境革命、古典古代生産様式から封建的生産様式へ

古典古代生産様式から封建的生産様式へ。この時代の文明の中心地帯は帝政末期のローマ。一方、文明のヘブライズム型周辺地帯はローマ領北アフリカである(内田)。ここは、ローマ帝政末期の精神的、社会的混乱が集約された地帯で、古代イスラエルと文化的に同じような状況にあったと見られる。ここで、重大な精神文化の創造を行った人物が、古代最大のキリスト教の教父、護教家として大著「神国論」を執筆したアウグスチヌスである。

アウグスティヌスの記念像(https://biz.trans-suite.jp/16927より)

なお、第二期辺境革命ではヘレニズム型の周辺地帯は明確ではない。辺境地帯は、現在の北フランスとライン川下流地方の間のガリア。帝政末期には、奴隷階級を中心とするローマ帝国版図内の手工業者が西方に移動していくようになる。古典古代世界での生産力の担い手であったこれらの手工業者たちはまた、原始キリスト教から初期キリスト教を経てアタナシウス派のキリスト教として集大成されたカトリックの受容者でもあった。

一方、アジア系のフン族の侵入により南下してきたゲルマン民族は彼らを受け入れた。そうして、中世を通して「技術開発センター」でもあり続けた修道院を核に、新たな農村としての「ゲルマン共同体」を建設していった(ゲルマン共同体とそれ以前の農村共同体の相違については大塚の「共同体の基礎理論」(岩波書店)に詳しい)。その特徴は、古代オリエント世界のアジア的共同体や古代ギリシア・ローマ帝国の共同体に比べて、農民がより主体的、創造性を発揮できる土地の分配方式=形式的平等の原理(農民の家族構成によらずに一定の農地を分配し、農民がこれを占有する)=を確立していたことである。

つまり、ゲルマン民族は民族の大移動の過程でローマ帝国よりも生産力が高い社会に移行するという社会革命を推進したのである。そして、社会の深層で進んできた組織革新を基盤として、実際に「封建革命」を遂行したのが、フランク王国目ロビング王朝の宮宰だったアルヌルフィンガー家のピピンである。ピピンは紀元751年、メロビング王朝をを打倒してカロリング王朝を樹立したが、この「ピピンのクーデター」によって、地中海に基盤を持っていたローマ帝国を中心とした古典古代世界は完全にその息の根を止められることになった。

そうして、ピピンの子のチャールズ大帝が、前ヨーロッパ(西欧)に父の封建革命を拡大したのである。その象徴的な出来事がカトリックの法王レオ三世による「神聖ローマ帝国皇帝」戴冠であった(紀元800年)。このチャールズ大帝の愛読書が、アウグスティヌスの著した「神国論」だった。

チャールズ大帝の戴冠式(https://www.lets-bible.com/history_christianity/b14.php)

一般的に、中世封建時代というと近代に至る過渡期の暗い時代と考えられているが、実際はそうではない。封建時代には修道院内部での倫理的、理論的、実践的合理化(技術開発)が推進された。そうして、修道院部の合理化とゲンルマン共同体の組織原理の相乗作用で農村の生産力が着実に発展した。農村の余剰生産物の交換の場としての市(イチ、局地的市場圏)があちこちに形成され、市場経済としての近代資本主義を準備したのである。封建時代を係止したところに、スターリン主義型のマルクス主義理解の大きな過ちのひとつがあった。

※追記:西欧に根付いた中世封建主義の意義について詳細に論じたのはウェーバーの主著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。マルクス主義の立場に立つものとしては望月清司の「マルクスの歴史理論」。古典古代世界と西欧抽選封建社会の根本的相違について詳細に記したのが、安藤英治の「ウェーバーと近代」。日本で西欧中世史研究の第一人者として知られる木村尚三郎も「西欧精神の探究ー革新の十二世紀」を著述している。木村は一番的に近代西欧の扉を開いたとされる宗教改革とルネッサンの以前の十二世紀に西欧社会で既に革新が行われ、その跡を継いだものが宗教改革とルネッサンスであるとの指摘をした。自生的には封建社会を経なければ、近代資本主義社会は形成されない。

世界の中でも日本だけは例外で、中世封建社会が形成されたため、非西欧文明社会では初めて近代資本主義を受け入れることができた。これについては、ウェーバーも「世界宗教の経済倫理」で言及している。

第三期辺境革命。封建的生産様式から資本主義的生産様式へ。文明の先進地帯はガリア地域。周辺地帯としてはミラノ、フィレンツェといったイタリア半島北部の商業都市(ヘレニズム型)と、ルターやカルビン、ツゥィングリが宗教改革を起こしたドイツのウィッテンベルグやスイスのジュネーブ、チューリヒ(ヘブライズム型)の二つのタイプがあった。

しかしながら、これらの周辺地帯では封建社会の束縛を脱することができなかった。宗教改革の実践的担い手であった小市民(プチ・ブルジョアジー)的工業生産者達も大陸での宗教的迫害(フランス絶対王朝下のユグノー迫害など)を避けるために、英国に移住せざるを得なかった。中世末期以降、西欧封建社会の中では辺境地に位置した英国、その中てもさらに辺境の西北の農村地帯は、禁欲的プロテスタンティズムを受容した大陸の小市民的手工業者達を受けいれた。こうして英国は、封建制の産み落とした(が培った)生産力、とくに、中世都市ギルド内部で高度な発展を遂げた手工業を遺産として受け継ぎ、資本主義発達の中心地域としてあらわれてくる」(大塚)ようになったのである。

この時、中世修道院内部での倫理的、理論的合理化の過程で進化してきたキリスト教の禁欲のエートス(精神的駆動力)は世俗内合理的禁欲に転換して、資本主義の精神の母胎になった。なお、英国は中世西欧社会の辺境地帯だが正確には周辺的辺境地帯。完全な辺境地帯は米国であり、局地的市場圏から広域的市場圏を経て、国民経済圏の統合に到る資本主義の典型的な発展は、米国で起こった。





●今、東アジアがその時を迎えている

われわれは今や、マックス・ウェーバー=大塚史学=内田方明の辺境革命論を頼りに、早足で現代史を位置づけるところまで漕ぎ着けた。すなわち、現代は、第一次世界大戦後、英国に代わって米国が文明の先進地帯になった。しかし、第二次世界大戦後は軍産複合体と多国籍業の暗躍で次第に衰退するようになり、冷戦に勝利して復活したように見えたのも束の間、弱肉強食の新自由主義を採用した(これによって、ウェーバーの言う人類の歴史とともに古い「選民資本主義」に暗転した)ため、リーマン・ショックに象徴されるバブルの惹起・崩壊、社会階層の分裂・分断に見舞われるなど経済社会が混乱を重ねた。そこに、コロナ禍が追い打ちをかけている。

この意味で、現代は第四期の辺境革命に遭遇していると思われる。なお、ロシアに始まった共産革命の失敗は、それが先進資本主義国の豊かな生産力と合理的禁欲のエートスを継承、発展できなかったところにある。

実は、西欧からロシア・バプティスト派とも言うべき勢力がロシアに流れ込み、独立自営農民層を形成する動きもあり、ピョートル・ストルイピンの「上からの資本主義化」を行う試みもあったが、共産革命によって挫折した。マックス・ウェーバーはロシア第一次革命が勃発すると1週間でロシア語を独習、「ロシア革命論」(林道義)を執筆した。この著書で、ロシアは「共同体間分業」ではなく、「共同体内分業(大塚の言う局地的市場圏)」を発展させて、独立自営農民層、高度な技術を持った手工業層を育成する必要があると指摘したが、これらの動きは共産主義革命によってすべて潰された。

共産革命は「疑似第四期辺境革命」としてしか位置づけられない。スターリンは神学校を卒業しているが、スターリンが行った「集団農場化(コルホーズとソフォーズの形成)」は、日本の大化の改新後に成立した律令国家の「公地公民制」のようなものであり、「古代化社会主義革命」(林道義の「スターリニズムの歴史的根源」)としか言いようがなかった。ロシアで起こった二次にわたる共産革命はせいぜい「疑似第四期辺境革命」としてしか位置づけられない。

それでは、真正の辺境革命は起こり得るのか。現代はその激動の揺籃期と言えると思うが、サイト管理者(筆者)は基本的には東アジア地域が周辺・辺境地帯になると考えている。ただし、困難を極めることになる。本稿では大まかな流れと克服すべき重要な課題について触れるに止め、詳細については本サイト全体で投稿させていただくことにしたい。

 

最新の記事はこちらから