衆院総選挙、「中道改革連合」が台風の目-創価学会票と労組票が新党に流入する公算が大(補論:中道改革連合と自民、維新議席数の構造推計)
衆議院

衆議院が2026年1月23日、冒頭解散され、総選挙(衆院選)が27日公示、2月8日投開票になる。高市早苗首相は、①自民・公明から自民・日本維新への連立組み合わせの変更②日本経済を強い経済にするための責任ある積極財政の展開-について、国民の信を問うということが解散の理由だとしている。しかし、これらのことは国民に信を問わなくても真面目で善良な日本の国民は既に承知していることで、解散の大義面分としてははなはだ弱い。19日の記者会見で高市首相がチラリと言った防衛三文書の見直し(2022年策定の「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略(旧防衛計画の大綱)」「防衛力整備計画(旧中期防衛力整備計画)」の軍事ドローンの採用などの最新軍事戦略の変更・発展による見直し-要するに、国防力=日本の軍事力の増強)と憲法「改正」(最重要項目は緊急事態条項の追加だが、米国憲法には、行政の独裁的権限を認めるような包括的な「緊急事態条項」は明示されておらず、非常時は大統領に大幅な権限を与えた主に1976年国家緊急事態法等の連邦法で対応することにしている)と思われる。もっとも、総選挙で自民・維新が過半数の議席を確保したとしても、参院でも自民・維新では過半数割れしているので、法案を成立させるための与党になるためには自民・維新合わせて、総選挙で三分の二以上の議席数を確保しなければならない。高市首相はそこを語らないため、大義名分はないと断定してよい。他方、野党は大義名分がなくても高市首相が日本国憲法の趣旨に反する7条解散(天皇陛下の政治利用)を行ったので、対応せざるを得ないが、立憲民主党は公明党と事実上の合併を行い、新党「中道改革連合」を22日立ち上げた。現職160議席を有し、今回の選挙には比例ブロックに移行する公明党議員21人を含む合計227人を第一次候補として擁立する。公明党の支持母体である創価学会や日本労働組合総連合会(連合)も全面的に支援することにしており、総選挙の台風の目になる公算が大きい。

中道改革連合は日本で初めての「国民の生活が第一」の真の社民主義政党

日本の政治史に簡単に触れることになるが、日本の政治は自由民主党と社会党の結成から始まった(1955年体制)。社会党の源流は日本に流入した共産主義運動から始まる。日本の共産主義運動は、ロシア革命後に設立されたコミンテルン(「共産主義インターナショナル」の略称で、世界革命の実現を目指し、各国共産党を指導・統一した国際組織=1919年~1943年)の傘下に置かれて出発するが、その運動の潮流を理論的にみると、明治維新をブルジョア革命とみるか、天皇制(本来は国体主義体制であるが、日本共産党が綱領で天皇制と名付けた)絶対主義革命と見るかで、労農派と講座派に分かれた。

労農派は明治維新をブルジョア革命と見たため、唯物史観による次の革命は社会主義革命ということになり、この思想に基づいて左右の社会党が結成された。原始共産制→奴隷制→封建制→絶対主義体制→資本主義体制→社会主義体制→共産主義体制という唯物史観の実態は、マックス・ウェーバー=大塚久雄の歴史社会学でみると、文明の先進地帯・周辺地帯・辺境地帯の継起的変遷・発展(古代オリエント世界・ローマ帝国の奴隷制→西欧=アルプス山脈以北=の封建制→英米を中心とした市場原理を根幹とする資本主義経済体制→市場経済原理を根幹とする経済システムのグローバルな広がり)であるが、日本だけはそれに近い経済発展を遂げている。

マックス・ウェーバーとヴェルナー・ゾンバルト

しかし、日本は後進資本主義国家であったため、独自の資本主義体制になった。この日本の独自性を無視したのが労農派だ。太平洋戦争敗北後に労農派の理論の影響を強く受けて社会主義運動が展開されたが、 1955年10月、左右に分裂していた日本社会党に統合され、保守勢力に対抗する「革新勢力(憲法改正反対・非武装中立)」としてまとまった。これに触発され、同年11月、自由党と日本民主党が合同して自由民主党(自民党)が結成され、保守勢力が一元化された(憲法改正・再軍備推進)。これが、55年体制と呼ばれるものだが、自民党によって確立された戦後の資本主義体制を社会主義革命によって社会主義に移行するということは、理論的にも実践的にも無理であったため、社会党は労働組合員など次第に主要な支持層を失い、社会民主党に道を譲ることになる(1996年1月)。

一方、講座派の影響を受けた政治勢力は日本共産党を形成するが、コミンテルンの後継としてのコミンフォルムや中国共産党から革命路線を強要され、1950年代前半に山村工作隊などの武装組織を結成して「革命活動」を起こすが、国民の大きな批判を受け、1955年7月に開いた六全協で武装闘争路線を間違いと総括し、講座派本来の二段階革命路線、つまり、民主主義革命を起こしたのち、社会主義革命に移行するという二段階路線を採択、議会主義運動を展開するようになった。

しかし、社会党の社会主義革命路線はその路線図を全く描けなかったため、基本理念が消滅し、政党としては消滅せざるを得なかった。また、日本共産党も、階級社会であり、搾取社会でもある戦後日本社会を改良して何になるのか、という疑問が常につきまとった。民主主義社会に移行して、資本主義社会を開花させたとしても結局は、共産主義思想からすれば、搾取社会の階級社会であることに変わりはない。だから、民主主義革命を起こして体制を改良し、その延命に協力してどのような意味があるかという根源的な問いが常に付きまとった。それに、いつ民主主義革命を起こし、社会主義革命に移行するのかそのスケジュールが全く曖昧(不明)であった。

日本社会党や日本共産党はケインズ理論・ケインズ政策に基づく財政・金融・税制政策による資本主義経済社会の新たな段階を「国家独占資本主義」として批判したため、これらの政策は自由民主党が官僚機構を用いて行うことになった。その甲斐があって、日本は世界第二位の国内総生産(GDP)大国になった。要するに、日本の戦後政党は自由民主党と共産主義思想に基づく左翼政党しか存在しないという不毛の構造であったため、政党活動自身は低迷した。

これに対する不満から、公明党や新進党、民主党、維新、希望の党、立憲民主党、国民新党などさまざまな政党が誕生した。しかし、2009年には民主党政権が誕生するなど自民党と対抗できる政党による政権が誕生したこともあったが、統一理念がなくバラバラになり、一時的なものにとどまった。そして、共産主義思想を理念としない野党の中には、理念の欠如から、希望の党のように出現しても消滅した政党も少なくなかった。

これに対して、欧州では1863年に結成されたドイツの中道左派政党である社会民主党が、当初はマルクス主義を基本理念としていたが、1959年11月、バート・ゴーデスベルク(現在ボンの一部)で開催された党大会で、マルクス主義と決別するゴーデスベルク綱領を採択し、中道右派政党であるキリスト教民主同盟に対抗する一大政党に成長した。ドイツはこのキリスト教民主同盟と社会民主党が政権交代を果たす二大政党政治が展開した。ただし、両党は欧州連合(EU)の官僚独裁機構と、ウクライナ戦争に対する支援とロシアに対する経済制裁の反作用で危機的な状況にある。

しかしながら、日本ではこうした二大政党政治は育たなかった。これは戦後の野党(社会党と日本共産党)が理論的に間違った共産主義思想を基本的に理念としていたためである。また、共産系以外の野党は理念・綱領が確立されていなかったため、結局は分裂を繰り返すことになり、自民党に対峙できる政権交代可能な政党が育つことはなかった。このため、基本的には自民党一党体制が延命することになり、後には、公明党が自民党の補完政党になり、政権与党として延命してきた。しかし、自公連立政権体制が機能したのは2021年の衆院選までである。

2024年の衆院選では、自民党191議席、公明党24議席と自公併せて215議席と過半数に達しなかった。さらに、2025年参院議員選挙では自公併せて47議席で、非改選75議席を加えて122議席とこれまた、過半数の125議席に3議席届かなかった。このため、自民党は石破茂総裁から高市総裁へと移行したが、公明党の斎藤鉄夫代表ら執行部が自民党の裏金問題など「政治とカネ」の問題や高市総裁の日中共同声明や日中友好平和条約を無視した反中姿勢などの反共右翼路線を嫌い、自公連立体制からの離脱を決意、26年間にわたる自民、公明両党の連立・連携関係が崩壊した(https://www.jiji.com/jc/v8?id=202517tenbyo)。

このため、高市総裁は日本維新と連立を組み直し、衆院では過半数ぎりぎりの233議席を確保できたため、高市政権が発足した。しかし、参院では自民と維新の議席数は2025年の選挙で改選議席46議席であり、非改善74議席の合計120議席と過半数(参議院議員の総定数は248議席で、過半数は125議席)に達しない状態になった。つまり、自民党は2024年の衆議院選挙を境にして、他の政党と連立を組んでも法案を成立させることができる政党ではなくなってしまった。これには、日本の経済情勢に大きな変化が生じ、都市部の無党派層の自民党離れが加速するなど、自民党を支える国民層に構造的な変動が生じたためだ。この点について、マイクロソフトの有力AIシステムであるCopilotとチャット(会話)した。

2024年の衆院選で自民党が公示前の247議席から191議席しか獲得できなかったのは都市部の自民党離れが加速した結果だが、その原因は経済情勢によると思う。具体的には、収入減とインフレが都市部の無党派層の生活を直撃したことがある。そして、自民党離れの受け皿として「新党」が出現したものの、既成の政党と連立を組んでも政権交代が可能な「新党」とはとても言えなかった

あなたが言っている「収入減+インフレ(実質所得の低下)」が都市部の無党派を大きく動かした、という構造認識はとても重要だよ。そして、24衆院選の“新党効果”が何によって生まれたのかを理解するには、当時どんな新党・新勢力が存在していたかを整理する必要がある。ここでは、特定の政党を評価するのではなく、選挙構造としての“新党の種類”をまとめるね。

🟦 1. 24衆院選の背景:実質所得の低下が都市部の無党派を動かした

構造的にはこうなる:

  • 名目賃金は横ばい
  • 物価上昇(食品・光熱費中心)
  • 実質賃金がマイナス
  • 都市部ほど生活コストが高い
  • 若年層・子育て層の負担が増大

このため、 都市部の無党派が「既存政党では生活が改善しない」という心理になりやすかった。これが“新党効果”の土台。

🟩 2. 24衆院選で「新党」と呼ばれた勢力は複数あった

参政党は確かに“新興勢力”として存在していたけれど、 24衆院選の構造変化を生んだ“新党”は参政党だけではない。

当時の新党・新勢力を整理するとこうなる:

🟧 ① 参政党(新興勢力)

  • 都市部の若年層に一定の支持
  • SNSでの情報拡散力
  • 生活不安・政治不信の受け皿

ただし、議席規模としては限定的。

🟦 ② 無所属系の再編勢力(地方型)

  • 地元型の無所属議員
  • 既存政党に属さない“地域の代表”
  • 都市部より地方で強い傾向

これは“新党”ではないが、 既存政党以外の選択肢として無党派を吸収した。

🟩 ③ 小規模新党(地域政党・テーマ政党)

  • 地域密着型の小政党
  • 特定政策を掲げるテーマ政党
  • 都市部の無党派が“試しに投票”する対象になりやすい

これも“新党効果”の一部。

🟨 ④ 立憲・国民・維新の“新顔候補”

これは政党としては新党ではないけれど、 無党派は「新しい候補」を“新党扱い”する傾向がある。

都市部では特に:

  • 新人
  • 元官僚
  • 元地方議員
  • 市民活動出身

こうした候補が“新しい選択肢”として支持を集めた。

🟥 結論:24衆院選の“新党効果”は参政党だけではなかった

あなたの記憶通り、参政党は確かに新興勢力だった。 しかし、構造的には次の4つが“新党効果”を生んだ。

  1. 参政党(新興勢力)
  2. 無所属系の再編勢力
  3. 小規模新党(地域政党・テーマ政党)
  4. 既存政党の“新顔候補”

つまり、 「新党効果=参政党」ではなく、 “既存政党以外の新しい選択肢”が複合的に票を吸った。

これが都市部の無党派が早く動いた理由でもある。

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