プーチン大統領、世界で初めて米国ディープステートに徹底抗戦か(追記:2014年暴力革命の映画)
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ウクライナ事変が続いているが、ロシアのプーチン大統領の「ウクライナの日軍事化と非ナチ化」を目指す決意は極めて強固なようだ。確かに、「即時停戦」は喫緊の課題だ。しかし、欧米日諸国がプーチン大統領を「極悪非道の戦争犯罪人」「精神異常者」に仕立て上げ、「悪はロシア」のみとの情報戦を展開しているが、それで「停戦」が実現するはずがない。今回のウクライナ事変の背後に、米国のディープステート(闇の帝国:軍産複合体と多国籍金融資本・企業)の画策があることを改めて認識する必要がある。

米国ディープステート、2014年2月のウクライナ政変に深く関与

日本の国会ではウクライナ事変(一般的にはロシア軍の「ウクライナ=人口4140万人程度=侵攻」、中国政府は「侵攻」とは認めていない)が2月24日勃発してから5日以上も経って3月1日に衆院本会議、3月2日に参院本会議で「ロシア避難決議」が賛成多数で可決されたが、れいわ新選組が反対したため、全会一致にはならないかった。これについて、山本太郎代表は不定例記者会見でその理由を明確に述べている(https://www.youtube.com/watch?v=j_Z2uhKOFGI)。「言葉だけのやってる感」だけの決議内容だからだというのがその理由だが、下図に要約を示しておきます。

ロシアを非難する決議だけを採択しても何ら問題は解決しない。その意味で、れいわ新選組の反対理由はもっともだ。その中でも、「今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、米欧主要国がソ連崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、真摯な外交的努力を行う」としていることは、レベルが低いと言わざるを得ない日本の政界の中では特筆すべきだ。そして、当時のゴルバチョフ大統領に対して欧米主要国(実際には、米国のブッシュ大統領とベーカー国務長官)が「NATO東方拡大せず」と約束した資料も提示している。

要するに、国際法、外交慣例上は首脳間の口約束(それでも何らかの文書に残されている)、密約でも、拘束力は持つ。日米間での「事前協議制度」もそのひとつだ。当時の岸信介首相が、米国にとって都合が悪いことは事前協議しなくても良いとの意味の言葉を語ったため、米軍が日本国内の米軍基地から軍用機を飛行させ、ベトナム戦争など世界の軍事紛争地帯での軍事力行使を自由自在に行うことができるようになった。

ただし、米国はベトナム戦争以降、敗北の連続だ。特に、イラクに大量破壊兵器が存在すると言ってイラクを侵攻し、イラクの国民や施設を大量に殺戮し、あるいは大損害を与えたが、世界のマスコミは当時、これを報道しなかったし、米国も反省はしていない。アフガニスタン侵攻も、侵攻後の民生移管に失敗し、バイデン大統領は逃げるように撤退することを指示した。

今回のウクライナ事変の背景にも、米国を始め欧米主要国のNATO東方不拡大政策を反故にし、対露敵視政策に転換したことがある。もっとも重要な事変はロシア敵視政策を鮮明にしたバイデン政権2期目の2014年2月にバイデン副大統領とビクトリア・ヌーランド国務次官補がウクライナのネオ・ナチ団体「スホボダ(自由)」を指示して起こした「クーデター事件」がある。Wikipediaにはこのクーデターについて、次のように記している。

2013年11月にヤヌコーヴィチ政権が欧州連合(EU)との政治・貿易協定の調印を見送ったことで、親欧米派や民族主義政党全ウクライナ連合「自由」などの野党勢力などによる反政府運動が勃発した。2014年1月後半より、抗議者の中に右派セクターなどの武力抵抗を辞さないとする立場のグループが現れ、これを制圧しようとする治安部隊との衝突が発生、双方に死者が発生した。2月22日にヤヌコーヴィチ大統領が行方をくらませたことを受け、ヴェルホーヴナ・ラーダ(最高議会)にて、親露派政党の地域党と共産党を含む議会内全会派がヤヌコーヴィチの大統領解任(賛成328票中地域党36票、共産党30票)と大統領選挙の繰り上げ実施を決議し、オレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行とアルセニー・ヤツェニュク首相がヴェルホーヴナ・ラーダにおいて承認され、新政権が発足した(2014年ウクライナ騒乱)

このクーデター事件を主導したのは、オバマ政権の副大統領だったバイデン氏と報道官から昇格したビクトリア・ヌーランド国務次官補だ。このことを詳細に記しているのが、朝日新聞出身で高知大学の塩原俊彦准教授と国際政治ジャーナリストの成澤宗男氏だ。まず、塩原准教授は論座サイトで次のように述べておられる(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022022600002.html?page=3

それでは、2014年2月以降、何が起きたのかをもう少し詳しく考察してみよう。それを示したのが巻末表である。時系列的にみると、1月から武力衝突が繰り返されていたことがわかる。おそらく「マイダン自衛」が徐々に武力を整えていった時期と重なる。英国のフィナンシャル・タイムズと提携関係にある、比較的信頼できるロシア語の新聞「ヴェードモスチ」が2月20日付で伝えたところによると、ウクライナ西部のリヴォフ市長は、三つの地区警察署の武器保管庫が襲われ、約1500もの銃火器が持ち出されたことを明らかにした。リヴィウ(リヴォフ)の南東にあるイヴァノ・フランキーウスクでは、武器が自衛組織との共同管に移行したという。この時点で、行政庁舎が自衛組織によって占拠されていたのは、ル-ツィク、リウネといった北西部の都市、イヴァノ・フランキーウシクである。リヴィウの場合、行政庁舎のほか一部の警察署も占領されていた。

反政府勢力の動向拡大図1 反政府勢力の動向=(出所)「ヴェードモスチ」,2014年2月20日
オレグ・チャグニボク拡大政党「自由」の党首オレグ・チャグニボク(インターネット上で入手できる画像を筆者がダウンロードした)

当時に有力となったのが、政党「自由(スボボダ)」であり、その党首オレグ・チャグニボクの写真をご覧いただきたい(下参照)。インターネット上で入手できる画像をダウンロードしたものだが、左手を高く掲げて党の敬礼をする姿を見ると、ヒトラーを連想しないわけにゆかない。

こうしたナショナリストたちは、ナチスを思わせる暴力集団と化し、彼らが民主的な選挙で選ばれて大統領となったヴィクトル・ヤヌコヴィッチを武力で追い出したのである。当時の雰囲気を知ってもらうために以前、紹介したのが以下のBBCの番組であった。

実際に暫定政権ができると、「自由」のメンバーが入閣した。当初、アレクサンドル・スィチ副首相、イーゴリ・シュヴァイカ農業政策・食糧相、アンドレイ・モフニク環境・天然資源相、イーゴリ・チェニューフ国防相の4人が閣僚に任命されたのだ。このとき、首相になったアルセニー・ヤツェニュークは駐ウクライナ大使やヌーランドの指示を受けていたことは間違いない。

こうした事情から、プーチンはウクライナでナショナリストやネオナチによるクーデターが引き起こされたとみなしている。もちろん、これはプーチンの思い込みではない。たしかに、2013年から2014年当時、こうしたナショナリストが「大活躍」していたことは事実だ。にもかかわらず、欧米諸国は彼らの横暴を赦(ゆる)し、プーチンのクリミア併合だけを批判した。

また、国際政治ジャーナリストの成澤宗男氏も、「バイデンが国務省に入れた二人の極右」と題する記事で次のように記されている(https://blog.goo.ne.jp/lotus72ford/e/5f173a4bff98d702eb75caa05e5dbae8)。

2013年1月に発足したオバマ2期目政権は、これ(比較的米ロ関係が良好だった第一期時代前期とは異なって後期にオバマ政権の対ロ強硬姿勢が目立つようになってきたことに対するロシア側の対米強硬路線の顕在化)に対抗するかのように、もはや「リセット」を以前ほど重要視しない意図を反映するかのような人事が目を引いた。11年3月のリビア空爆を先導したヒラリーが退陣したが、同じく軍事攻勢路線に関し中心的役割を果たし、「リベラル介入主義者」と呼ばれたサマンサ・パワーが国家安全保障会議の特別顧問から国連大使に就任。さらに同じ立場と目されたスーザン・ライスが、国連大使から国家安全保障担当大統領補佐官に移動した。両者はロシアへの敵意を隠さない共通点があり、オバマの対ロシア政策の転換を印象付けたのは疑いない。

この人事に付随して、ヴィクトリア・ヌーランドの国務省スポークパーソンから国務次官補への移動があったが、前二者ほど注目された形跡は乏しいものの、「スポークスパーソンとして国内の反対派に対するクレムリンの弾圧を『魔女狩り』と非難し、ロシアへは強硬な態度を取る」姿勢から、さらにそうした印象を強めたはずだ(中略)。

実際、米国の対外政策とその実行を担う立場として、「リベラル介入主義者」とネオコンに決定的な違いがあるとは思えない。前者を代表するヒラリー・クリントンを、ネオコンと同一視する見方もある。実際、ヒラリーが16年の大統領選挙を闘った際は、ロシアとの関係改善や対外軍事活動の見直し・縮小を掲げたドナルド・トランプを嫌ったロバート・ケーガンやウィリアム・クリストルといったネオコンの主要メンバーが、従来の共和党との関係の深さにもかかわらず一斉に彼女の支持に回った。

ヌーランド自身も、ヒラリーとの関係が深い。ブッシュ(子)政権2期目にNATO大使に栄転してブリュッセルで勤務していたヌーランドは、民主党のオバマ政権が09年に誕生するのを待たずに08年5月から国務省の要職を離れて、しばらく海軍大学で教鞭を執っていた時期がある。だが、ヒラリーは国務長官在任中に、ヌーランドを国務省に戻している。

これについては、「ヒラリーの裁量によって任命された人々にとって驚きだったのは、彼女が(共和党系と見られていた)ヌーランドを海軍大学での無名の状態から引き揚げ、国務省のスポークスパーソンに任命したことだった。これが、ヌーランドが影響力を及ぼすことにつながる道となった」という逸話がある。スポークスパーソンとしてヌーランドは、ヒラリーと共に80カ国以上を訪問し、記者会見設定やブリーフィング等の日々の業務をこなしながら助言者としての役割も果たしたとされ、緊密な関係を築いた。いずれにせよ細かい区分はどうあれ、超タカ派のヒラリーの系列としてのパワーとライス、ヌーランドという三者の布陣は、オバマ二期目政権の何らかのロシアに対する政治的メッセージであったのは確かだろう。

ただヌーランドについては、当時その反ロシア姿勢について「過大に受け止めるべきではなく、彼女はチームプレイを重視し、大統領と国務長官の政策を支持するだろう」と予測する向きもあった。だが、これは完全に外れてしまう。ヌーランドは「チームプレイ」どころか明らかに暴走を重ね、今日まで続いている米国の対ロシア政策の決定的な悪化要因を作り出すまでに至る。言うまでもなく、14年2月のウクライナクーデターヘの関与に他ならない。(以下、略)

ビクトリア・ヌーランド現国務次官は1961年ニューヨーク州ニューヨークシティに生まれたが、父方の祖父はロシアから移住してきており、ロシアとウクライナの複雑な関係を継承している。もともと、ウクライナをロシアから完全に奪取する意図があったと見られる。こうした2014年2月のクーデター(政変)がロシアによるクリミア半島の併合につながり、今日のウクライナ事変の直接の原因になっている。ただし、リベラル強硬派もネオ・コン(ネオ・コンサーバティブ=新保守主義=)も米国のディープステート(闇の帝国:軍産複合体と多国籍金融資本・企業)の傘下にある。

これに関連して、植草一秀氏のメールマガジン第3168号「(ビクトリア・)ヌーランドと極右勢力の真実」は次のように伝えている。

2004年と2014年の政権転覆がどのように遂行されたのかを、米国を代表する映画監督のオリバー・ストーンが鮮明に描く。作品名は『ウクライナ・オン・ファイヤー』。2016年の作品である。日本語字幕付きの動画を閲覧することができる。

ヤコーヴィッチ大統領を追放した2014年2月クーデターを指揮したヌーランド国務次官補

(題名は)「ウクライナ・オン・ファイヤー」https://www.nicovideo.jp/watch/sm40134434

ビクトリア・ヌーランド国務次官補(当時)が何度も出てくる。是非、ご高覧賜りたい。

プーチン大統領も3月24日のウクライナ事変(ロシア軍によるウクライナ国内への武力介入)の前にロシア国民に対して次のように語っている(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html)。

まずことし2月21日の演説で話したことから始めたい。それは、私たちの特別な懸念や不安を呼び起こすもの、毎年着実に、西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に、無遠慮に作り出している、あの根源的な脅威のことだ。つまり、NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近していることについてである。この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。

私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。(中略)

ただ、(ベオグラード、イラク、リビア、シリアなどに対する欧米諸国の軍事介入の)中でも特別なのは、もちろん、これもまた何の法的根拠もなく行われたイラク侵攻だ。
その口実とされたのは、イラクに大量破壊兵器が存在するという信頼性の高い情報をアメリカが持っているとされていることだった。それを公の場で証明するために、アメリカの国務長官が、全世界を前にして、白い粉が入った試験管を振って見せ、これこそがイラクで開発されている化学兵器だと断言した。後になって、それはすべて、デマであり、はったりであることが判明した。イラクに化学兵器など存在しなかったのだ。信じがたい驚くべきことだが、事実は事実だ。国家の最上層で、国連の壇上からも、うそをついたのだ。(中略)

アメリカは“うその帝国”

NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。これだけのいかさま行為は、国際関係の原則に反するだけでなく、何よりもまず、一般的に認められている道徳と倫理の規範に反するものだ。正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。

ちなみに、アメリカの政治家、政治学者、ジャーナリストたち自身、ここ数年で、アメリカ国内で真の「うその帝国」ができあがっていると伝え、語っている。これに同意しないわけにはいかない。まさにそのとおりだ。(中略)

そんな中、ドンバスの情勢がある。2014年にウクライナでクーデターを起こした勢力が権力を乗っ取り、お飾りの選挙手続きによってそれを(訳注:権力を)維持し、紛争の平和的解決を完全に拒否したのを、私たちは目にした。8年間、終わりの見えない長い8年もの間、私たちは、事態が平和的・政治的手段によって解決されるよう、あらゆる手を尽くしてきた。

すべては徒労に帰した。先の演説でもすでに述べたように、現地で起きていることを同情の念なくして見ることはできない。今やもう、そんなことは到底無理だ。この悪夢を、ロシアしか頼る先がなく、私たちにしか希望を託すことのできない数百万人の住民に対するジェノサイド、これを直ちに止める必要があったのだ。まさに人々のそうした願望、感情、痛みが、ドンバスの人民共和国を承認する決定を下す主要な動機となった。さらに強調しておくべきことがある。NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。(中略)

私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。もしそうだとしたら、まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。このことに同意しないわけにはいかない。親愛なる同胞の皆さん。自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。

結局のところ、歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。それはつまり、下された決定が実行され、設定された目標が達成され、我が祖国の安全がしっかりと保証されるということだ。あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。

プーチン大統領は「ウソの帝国」と戦うことを言明している。「ウソの帝国」とは第二次世界大戦後、世界を支配してきた米国のディープステート(闇の帝国:軍産複合体と多国籍金融資本・企業)のことだ。現在のウクライナ事変の下では、停戦は急務だ。ただし、れいわ新選組の山本太郎代表が示唆するように、プーチン大統領だけを「極悪非道の悪人」と非難するだけでは、停戦の実現はできない。取りあえずは、ウクライナをフィンランドのように「中立国化」し、ロシアの安全保障を確保することが先決だろう。そして、中期的にはゴルバチョフ財団の元ゴルバチョフ大統領が提案したように、冷戦の遺物である北太平洋条約機構(NATO)を「欧州共通の家」に昇華させる粘り強い外交が必要になると思われる。

ゴルバチョフ財団(ゴルバチョフ元大統領は現在91歳)も次のような声明を発表している(https://digital.asahi.com/articles/ASQ346679Q33PLZU006.html?iref=pc_ss_date_article)。

ゴルバチョフ氏は危機の原因を、2013年の欧州連合(EU)とウクライナの連合協定をめぐる署名問題だったとする。「この問題がロシアとウクライナの関係にどう影響するかを顧みることなく検討された事実に、私は最初から胸騒ぎがした」。ロシア・ウクライナ・EUの〈トライアングル〉を築くため、交渉と調整のメカニズムを模索する必要があったが、EU側がロシアとの協力を一切拒否した、とゴルバチョフ氏はみた。

「ウクライナのヤヌコビッチ大統領(当時)は自身の政治的利益(注:ロシアとの協調のことを指すのではないか)を優先し、結局はEUとの協定書に署名しない決定をした。これはウクライナの多くの人に理解されず、デモと抗議が始まった。最初は平和的だったものの、次第に急進派や過激派、扇動集団が主導権を握るようになった」。ゴルバチョフ氏は、14年1月にプーチン大統領とオバマ米大統領(当時)に公開書簡を送り、大規模な流血を防ぐために交渉のイニシアチブをとるよう呼びかけたと明かしている。「私の書簡は文字通り魂の叫びだった。しかし、それは届かなかった」。14年2月のヤヌコビッチ政権崩壊後、親ロシア派勢力が南部クリミア半島を押さえた。ロシアは同年3月、クリミアを一方的に併合した。(中略)

自叙伝の執筆時点でゴルバチョフ氏は、ウクライナ問題の解決策は、14年9月と15年2月、ウクライナ政府と同国内の親ロシア派との間で交わされた停戦合意協定「ミンスク合意」の達成に尽きるとしている。だが、ロシアはウクライナがこの合意を履行していないと主張した。今年2月にはついに、プーチン大統領が合意を破棄して軍事侵攻に踏み切ってしまう。ゴルバチョフ氏は自叙伝で、「ウクライナ国民のためになるのは、民主的なウクライナであり、ブロックに属さないウクライナであると私は確信している。そうした地位は国際的な保障とともに憲法で裏付けられなければならない。私が想定しているのは、1955年に署名されたオーストリア国家条約のようなタイプのものだ」と述べる。 これは、第2次世界大戦時の連合国がオーストリアの主権回復を認めた条約だ。オーストリアはその後、永世中立を宣言した。(中略)

ウクライナに軍事侵攻し、「核大国」を誇示して威嚇するプーチン大統領の行動は決して容認できない。一刻も早い停戦に向けて各国は尽力すべきだ。ただ、冷戦終結とソ連崩壊から30年以上たった今、なぜ今回の事態が防げなかったのかを冷静に振り返り、見つめ直す必要がある。留意しておくべきは、西側が冷戦終結後の対ロシア戦略を誤り、東西をカバーする安全保障の国際管理に失敗したという現実だ(注:「欧州共通の家」構想実現に失敗したの意味と受け取れる)。

プーチン大統領・ロシア軍、ウクライナ南部回廊制圧狙いか

ウクライナ事変でのロシア軍とウクライナ軍の戦況の詳細は不明だが、朝日新聞出身で五月書房取締役の国際ジャーナリスト・佐藤章氏が米紙ニューヨーク・タイムスに基づいて、清水有高氏主催のYoutubeのチャンネル「一月万冊」で明らかにしたところ(https://www.youtube.com/watch?v=L8D0KSakFCI)によると、①プーチン大統領は当初、48時間以内にキエフの制圧を計画していたがウクライナ軍の頑強な抵抗にあったこととロジスティック(兵站)の不備が表面化したため当面、キエフの制圧は延期②代替策として原子力発電所が多数設置されている南部を制圧、取り敢えずウクライナを北部と南部に分割し、ドネツク・ルガンスク州からクリミア半島を経てオデッサに至る南部地方の回廊を抑えることに注力、この軍事路線が奏功してきている可能性があるーと分析している。

ザポリージャ原発の制圧はその一環。ただし、ニューヨーク・タイムスによると、ロシア軍は兵士がサポリージャ原発のある地域でいわば略奪を行っていると指摘。ロジスティック(兵站)に大きな問題が生じているようだ。プーチン大統領はロシア国民の支持の獲得、兵站の確保、ロシア軍兵士の士気の維持に大きな問題を抱えている。


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