一方、韓国側の日韓請求権協定の解釈だが、これも戦後の推移によって変遷がある。韓国政府は当初の1966年に発行した「大韓民国と日本国の間の条約および協定の解説」の中で、「被徴用者の未収金及び補償金・・・などが全て完全かつ最終的に消滅することになる」として、元徴用工で死亡した犠牲者の遺族に一人あたり約19万円を支給する法律を制定した。つまり、同協定で個人請求権が消滅すると考えていた。時代的背景としては、日韓基本条約と日韓請求権協定が軍事クーデターで政権を奪取した朴正煕(パク・チョンヒ)大統領政権下で行われ、同大統領が、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルの賠償金を利用して韓国経済の近代化を急いだことにある。

もっとも、韓国が他国から得た賠償金は総計で日本からの賠償金の3倍程度ある。これらを土台に1970年の「漢江の奇跡」が実現した。しかし、1979年10月26日、側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長金載圭によって暗殺され、朴正煕大統領の跡を継いだ全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領(在任:1980年 – 1988年)の任期が終了、盧泰愚(ノ・テウ)大統領が跡を継いだ後、韓国の民主化が始まると、日韓請求権協定に対する韓国政府の解釈も変わってきた。なお、朴正煕大統領には「漢江の奇跡」つまり高度経済成長を成し遂げたという大きな業績はあるものの、軍事独裁体制を敷いて韓国の民主化を阻止したという負の側面もある。最期に、側近の中央情報部(KCIA)部長金載圭によって暗殺された事件も全容が解明されていない。米国との関係悪化説もある。

それはさておき、金泳三(キム・ヨンサム)大統領時代の1995年9月20日に、「日韓請求権協定で政府レベルでの金銭的補償については一段落したが、政府は個人の請求権があることを認めており、被害者が起こした裁判については国際世論を喚起する努力をするなど、可能な支援を提供したい」という外務部長官の談話を発表、2007年までの日本政府の主張と同じ見解を採るようになった。金大中大統領時代の2000年10月9日にも同様の外務部長官談話があった。つまり、日韓請求権協定で放棄されたのは両国間の外交保護権であり、個人の請求権は消滅していないということである。

その後、元強制徴用者や日本軍従軍「慰安婦」被害者、原爆被害者ら約100人が韓国政府に対して、日韓基本条約、日韓請求権協定締結時の詳細な資料を求める裁判を起こした。当時の、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は最終的にはこの要求に応じ、民間と政府の委員で構成される民官共同委員会を設置。2005年8月26日に、➀韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ平和条約第4条に基づく韓日両国間の財政的・民事的債権債務関係を解決するためのものである②日本従軍慰安婦問題など、日本政府・軍・国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求協定により解決されたとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている③サハリン同胞、原爆被害者問題も韓日請求権協定の対象外-などの見解をまとめた。

ただし、元徴用工問題については、「韓国政府は受領した無償資金中から相当金額を強制徴収被害者の救済に使用すべき道義的責任がある」との見解を示し、徴用工強制動員問題は日韓請求権協定の対象範囲との認識を示している。しかし、日韓請求権協定によっても、放棄されたのは外交保護権であって元徴用工の損害賠償権は認められるとの金泳三政権時代、金大中政権時代の解釈は変更されていない。

この民間共同委員会が示した「韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ平和条約第4条に基づく韓日両国間の財政的・民事的債権債務関係を解決するためのものである」という解釈が、元徴用工の上告に対する2012年5月24日の韓国大法院の差し戻し判決に重大な影響を及ぼす。この差し戻し判決は、大韓民国憲法前文に「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓民国は3.1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗胆した4.1民主理念を継承し」と記載されていることを理由に、現在の韓国政府は上海に樹立され、世界に日本の植民地統治の不当性を世界に訴えていたた亡命政権である大韓民国臨時政府の法的な後継者であると宣言。その上で、大法院は日本の朝鮮植民地支配は不当な軍事的占領に過ぎなかったと認定している。

ところが、日本の判決の理由には、日本による植民地支配が合法だということを前提に国家総動員法などを元徴用工原告らに適用することを有効と評価した部分が含まれており、この部分は韓国憲法の核心的価値と正面から衝突するから、その効力を認めることは公序良俗に反するものとして、日本判決の拘束力(既判決力)は、韓国の裁判所に及ばないとの判断を下している。

そのうえで、➀日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が日韓請求権協定の対象であったとは考えられない②仮に原告らの請求権が同協定の適用対象に含まれるとしても、それは外交保護権が放棄されただけで、個人の請求権は消滅していない-との判断から、差し戻し判決を行った。

これに関連して、現在の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2017年8月17日の就任100日記者会見で、「強制徴用者問題も、両国間の合意が個々人の権利を侵害することはできません。両国の合意にもかかわらず、強制徴用者個人が三菱をはじめとする会社に対して持っている民事的な権利はそのまま残っているというのが韓国の憲法裁判所や大法院の判例です。政府はそのような立場で過去事問題に取り組んでいます」と語っている。1992年の大法院差し戻し判決の②の立場に立つことを明確に表明したことになる。

高等審への差し戻しで原告側は勝訴したが、被告側の日本企業はこれを不服として大法院に再上告。その上告審の判決が2018年10月30日に示された。結果は元徴用工被害者側の勝訴であり、上告した日本企業は損害賠償を命じられた。結論は、裁判官13人のうち、裁判官11人が日本企業の訴えを退け、2人が受け入れたという内容だった。

日本企業の訴えを退けた判断を下した11人のうち7人は、「植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は韓日請求権協定の対象に含まれていない」と2012年大法院の差し戻し判決と同じ賛成理由を述べた。残る4人のうち3人は、2012年大法院判決の予備的理由②と同じで、「強制動員された被害者の損害賠償請求権も日韓請求権協定の対象に含まれるが、請求権協定では大韓民国の外交的保護権のみを放棄し、原告らの個人請求権は消滅していないし、韓国において被告に対して訴訟によって権利を行使することができる」という判断である。

こうしてみると、問題の根本は、1905年の日露戦争終結後の1905年(明治38年)11月17日に大日本帝国と大韓帝国が締結した第二次日韓日韓協約(乙巳保護条約)以降、1910年8月22日に締結された第三次日韓協定(日韓併合条約)を経て1945年まで続いた日本の大韓帝国統治(韓国側は「植民地支配」)にあることが分かる。

日韓近現代史については、両国の間で見解が異なることはサイト管理者も承知しているが、日本は村山富市首相が戦後50周年の8月15日に発表した村山談話で日本国を代表して「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と表明していることを、日本は政府、国民ともに風化させ、忘れてはいけない。

大日本帝国憲法を起草し、初代大韓帝国統監に就任した伊藤博文

ただし、乙巳保護条約や日韓併合条約については、遅くとも明治6年の政変からの日本の近現代史を詳細に分析し、その是非を問わなくてはならないと考える。今日において、未だに日本の近現代史は総括されていない。特に、1909年10月26日、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ(ココフツォフ)と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で安重根に暗殺された伊藤博文の十分な研究が必要である。伊藤は、極貧の農家の長男として生まれながらも桂小五郎(木戸孝允)の後ろ盾もあり、明治以降の日本史で最年少で総理大臣に就いた。伊藤は当初、大韓帝国は自治に委ね、日本はその近代化を支援すべきであり、併合までする必要はないとの考えだったという。その当初の考えがどのように、また、どうして変化したのかについても詳細に調べなければならない。

話を元に戻して2000年ころから始まり、2007年の最高裁の判決で確定して以降の日韓請求権協定に関する日本政府の解釈変更は、国際社会への信義にもとるものと言える。そして、2018年10月30日の韓国大法院判決以降の日本政府=安倍晋三政権の採用してきた韓国をホワイトリスト国から外すなどの貿易制裁措置などの措置は異常であるとしか言いようがないと、サイト管理者は考える。

投稿記事内容を表にまとめると、元徴用工被害者訴訟に関する解釈、裁判の判決結果は日韓両国政府、最高裁判所の判断は次のようになる(本書77頁)。

A解釈 B解釈 C解釈 D解釈
支持者 被告企業 最高裁(日本政府)
大法院反対意見
大法院個別意見
2007年までの日本政府
大法院多数意見
現在の韓国政府
実体的権利
訴訟による権利行使
外交保護権
結論 棄却 棄却 任用可能 任用可能

◎は認める、☓は認めない。棄却は元徴用工被害者原告の敗訴、任用可能は勝訴を意味する。さて、裁判には長期にわたる時間と多額の費用がかかる。このことに鑑み、弁護士からなる著者たちは次のような救済措置を提案している。被害者救済のための基金設立による元徴用工被害者およびその家族らへの救済措置である。

本書の6人の弁護士からなる著者たちは次のような救済措置を提言している(93頁)。

(A案)日本政府及び日本企業、韓国政府及び韓国企業のそれぞれが資金を拠出して基金を設置し、被害者への補償などの事業を行う。
(B案)日本企業、韓国政府及び韓国企業のそれぞれが資金を拠出して基金を設置し、被害者への補償などの事業を行う。
(C案)日本企業、韓国企業のそれぞれが資金を拠出して基金を設置し、被害者への補償などの事業を行う。

ここで、韓国企業が含まれているのは、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルの賠償金でインフラ整備の受注など高度経済成長の恩恵を受け、財閥などの大企業が大きく発展したからである。また、韓国政府が含まれているのは。日本からの賠償資金5億ドルを基に政府が創設した公営企業16社が民営化され、株式の売却によって18兆ウォン相当の利益を得たとの報道があるからである。

サイト管理者としてはA案が望ましいと考える。もっとも、公職選挙法違反容疑、政治資金規正法違反容疑、利権支出による特定企業への優遇疑惑など疑惑のデパートと化し、そのうえウルトラ右翼(大和民族至上主義)の組織である日本会議と結託して、国民の嫌韓意識を煽っている今の安倍政権では期待できない。日韓関係の正常化と発展、加えて対米隷属外交からの脱却などのためにも、一刻も早く、現在の安倍政権には退場してもらわなければならない。

「国民生活が第一」が持論の小沢一郎衆院議員(国民民主党所属)の側近として政治の舞台裏を知り尽くした、サイト管理者と同じ土佐の高知県出身の平野貞夫氏は、与野党につぎのように促している。
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(葬られた『政治倫理綱領』)
35年前、昭和60年10月に衆参両院で『政治倫理綱領』が議決された。当時私は衆議院事務局委員部総務課長で、小沢一郎議運委員長の下で、『政治倫理綱領』や関係法規の原案づくりをやっていた。当時、精魂込めた作業にもかかわらず、現在では誰も直視しないどころか、その存在さえ知らない国会議員が半数を超えた。憲法・国会法と共に衆参両院手帳に掲載されている重要指針である。今や、葬られた『政治倫理綱領』だが紹介する。

(前文略)
1、われわれは、国民の信頼に値するより高い倫理的義務に徹し、政治不信を招く公私混淆を断ち、清廉を持し、かりそめにも国民の非難を受けないよう政治腐敗の根絶と政治倫理の向上に努めなければならない。

1、われわれは、主権者である国民に責任を負い、その政治活動においては全力をあげかつ不断に任務を果たす義務を有するとともに、われわれの言動のすべてが常に国民の注視の下にあること
を銘記しなければならない。

1、われわれは、全国民の代表として全体の利益をめざして行動することを本旨とし、特定の利益の実現を求めて公共の利益をそこなうことがないよう務めなければならない。

1、われわれは、政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯な態度をもって疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならない。
(以下、略)

仮に私が安倍首相の政治姿勢や疑惑問題を追及するなら、まず『政治倫理綱領』の以上の部分を(安倍首相に)朗読させる。そして、これらの項目の評価と国会議決の重大さを確認する。
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政治屋の襟を正すには良い案であるが、国会とは元来、政策論争を展開すべきところである。戦後は昔も今も、政策論争以前の政治屋の腐敗、汚職の追及に明け暮れてきた。これは、日本国民がそういう政治屋に国会での職を与えることから、未だに民主主義・国民主権を理解していないことに根本的な原因がある。真の市民による下からの民主主義革命が必要な時期である。

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