孫崎享氏の好著「朝鮮戦争の正体」−書評

今から70年前の1950年6月25日、1948年に成立したばかりの朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が大韓民国(韓国)に武力侵入、朝鮮戦争(挑戦動乱)が起こり、戦局は当初北朝鮮軍の圧倒的優位のもとに進んだが、国際連合軍(国連軍)を率いた米国のダグラス・マッカーサー司令官が、無謀と思われた仁川上陸作戦に成功、北朝鮮軍を挟撃したことで国連軍が優位に立った。しかし、毛沢東主席支配下の中華人民共和国(中共)が参戦したことで戦局は膠着、1953年7月27日に休戦協定を締結して、今日に至っている。この朝鮮戦争の本質を論じた外務省元情報局長の孫崎享氏が「朝鮮戦争の正体」を祥伝社から上梓した。サイト管理者(筆者)の感想も加えて、紹介させて頂きたい。

本書は、茶者の「戦後史の正体」、「日米開戦の正体」、「日米開戦のスパイ−東条英樹とゾルゲ事件」に次ぐもので、著者・孫崎氏の四部作を飾るものと位置づけられよう。朝鮮戦争は結局、戦争前の38度線で韓国と北朝鮮が対峙するだけの元の木阿弥にもどる悲惨な悲劇だったが、米国と日本には後戻りが困難かつ重大な影響を与えたというのが、孫崎氏の主要な結論である。重大な影響とは、米国が「常時臨戦国」に、日本は「日本国憲法」下にあるものの、戦後の連合国最高司令部(GHQ)による民主化政策が「逆コース」の道をたどることになり、実質的に憲法を無視する「民主主義軽視」の国になったということだ。

https://note.com/shrine_gardens/n/n6a9396daf18aによる。

どうしてこのような悲劇が生じたのかを信憑性が高く、第一級の資料を駆使して詳細な分析を行ったのが本書である。朝鮮戦争については一般に、「ソ連のスターリンが北朝鮮の金日成主席に命じて電撃的に韓国に対し、武力侵入を行わせ、朝鮮半島を支配下に置こうとした」戦争と理解されている。

しかし、事実はそうではないと本書は語る。話はまず、太平洋戦争が始まってまもなく連合国側の勝利を確信したルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が1941年8月14日に発表した「大西洋憲章」に遡る。米英首脳は戦後処理の基本について、「両国は一切の国民が其の下に生活せんとする政体を選択するの権利を尊重する」という民族自決の権利を基本原則にすることを発表した。

しかし、ルーズベルトは朝鮮半島、インドシナについては民族自決の原則を適用せず、「信託統治」形式を採用する意思でいた。ソ連のスターリンは朝鮮半島の信託統治については、これを認めている(103頁)。具体的には、米英中による信託統治であり、1945年2月8日に開かれたヤルタ会談では、「朝鮮半島に対する信託統治は20年ないし30年は持続すべき」と提案したのに対し、スターリンは「短ければ短いほどよい」と返答したが、信託統治方式ではルーズベルトと同じ考えであったという。

しかし、ルーズベルトが1945年4月12日に死去すると、後任のトルーマン大統領は根っからの一国独占主義者で、表面的には朝鮮半島に対する信託統治方式は支持したものの、実質的には米国下での統治を狙った(104頁)。スターリンがこれに気づかないはずはない。米国は1948年に成立した大韓民国の初代大統領になった李承晩を支援し、ソ連は同じ年に成立した朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)の初代主席になった金日成の後ろ盾になった。

光復節は1545年8月15日であるから、両国の成立まで時間がかなりある。この間の朝鮮半島の動きはどうであったか。これについての概略が94頁に示されている。それによると、

①1945年8月15日、ポツダム宣言受諾とともに、韓国(朝鮮半島)では様々な思想を持ちつつも、民族主義を一致点として、「朝鮮人民共和国」をつくった(日本側は在朝日本人とその財産に危害が加えられることを恐れて、敗戦直後は朝鮮総督府を通じこの動きを支援した)。
②トルーマン政権下の米国はこれを許さず、「米軍政」を敷いた。この軍政を円滑に進めるため、日本の朝鮮総督府で勤務していたり、関係のあった人々を使った。
③その後、これらの人々は李承晩政権等につながる。これら政権は民族主義的であるものの弾圧も行う。
④民族主義的な人の政権に対する反発は反日と一体となる。
⑤したがって弾圧的性格を持つ政権が行った日本との協定は反発の対象になる。

当初の「朝鮮人民共和国」は1945年9月6日に樹立されたが、主席に李承晩(当時は海外)、副主席に共和国の樹立に功績のあった呂運亭(1947年7月19日に暗殺)を置いた。また、国務総理をのちに金日成大学総長になる左派の許憲(きょけん)に任せた。さらに、実務を掌握する内部部長には、3.1独立運動の際に樹立された上海亡命政府=大韓民国臨時政府=で活躍した金九(きんきゅう)を立て(後に、李承晩と対立して1949年6月に暗殺害された)、財政を扱う財務部長には金日成に代わり得る唯一の人物であった左派の蒼晩植(そうばんしょく、ただしスターリンが気に入らなかったため1946年から軟禁状態になり、朝鮮戦争開始後の1950年10月18日に処刑されたらしい)を充てた。

孫崎氏は朝鮮人民共和国という、左右のイデオロギーを超えた民族自決の理念に基づいて樹立された政府に焦点を充てているが、サイト管理者(筆者)の考えでは、民族主義で資本主義と共産主義の対立を克服するのは無理だったと思う。資本主義と共産主義を超克する新しい理念・思想が欠かせなかったのではないかと推察する。

さて、こうしたトルーマン下の朝鮮半島支配に対して、ソ連のスターリンはどう動いたのか。これについては、本書95頁以下に詳しい。ソ連が第二次世界大戦末期に日本に宣戦布告し、満州・朝鮮半島・樺太に進攻することを頼み込んだのは、もともとルーズベルトだった。米国にとって最大の関心事は欧州であったし、また、日本本土への侵攻は同国にとっても膨大な被害を生じるからだ。

このため、日本側の無条件降伏を勝ち取るために広島、長崎に原爆を投下したが。さらに「ルーズベルト大統領は1943年11月から12月にかけて行われたテヘラン会談でソ連に日ソ不可侵条約を破棄して対日参戦することを要請し、1945年2月のヤルタ会談で『千島列島がソビエト連邦に引き渡されること』の内容を含むヤルタ協定がむすばれました」(96頁)。

北方領土問題は米国が深く関与している。されはそておき、1942年6月のスターリングラードの攻防で勝利し、以後ナチスを打ち負かしたソ連は矛先を極東に向け、満州・朝鮮半島・樺太に侵攻し、日本の北方領土の事実上の支配権を得るとともに、朝鮮半島にも侵攻した。

ただし、スターリン自身には当初、ルーズベルトの信託統治安に賛成しており、朝鮮半島の分割統治案は、考えの外にあった。スターリンがトルーマンの分割統治案を黙認するのはは、トルーマン側の工作による。本書101頁によると、「朝鮮を分割する案は二人の大佐(チャールズ・ボーンスティール、ディーン・ラスク)によって作成された。彼らは38度線で半島を分割する提言を行ない、上司の承認を得て、案はスターリンに送られ、ワシントンが驚いたことに、スターリンは反対しなかった」(101頁)。

そこで、スターリンは38度線以北を代理統治させるため、朝鮮日報社長・曹晩植、コミンテルンが非合法的に派遣した金容範らを検討したが独自色が強かったため最終的には拒否し、金日成を選択した(117頁)。こうして、1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が北緯38度線を堺に成立した。

李承晩も金日成のいずれも民族主義的色彩が強かったため、李承晩は北進、金日成は南進を主張し、1950年6月以前にもこぜりあいはあった。ただし、本書の重要な主張のひとつは、金日成が大規模な軍事南進を行うことをスターリンは認めなかったというところにある。

しかし、1950年1月12日に米国のアチソン国務長官がナショナル・クラブで講演した演説(米国の防衛境界線はアリューシャン列島に沿い、日本に行き、そして琉球に行く【朝鮮半島が米国の防衛ラインに入っていないという読み方ができる可能性があります】)を誤解した金日位が1960年6月25日、とうとう武力南進を企てることになる(63頁)。

この朝鮮戦争(韓国動乱)の勃発によって、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法の制定などGHQ民生部が進めてきた日本の民主化政策は完全に破綻し、GHQのG2が主役となって、民主化の逆コースを推し進めることになる。

その象徴として、孫崎氏が指摘しているのは、①GHQが1950年7月8日に日本政府に対し、警察予備隊創設の命令を下し、8月10日には日本国憲法では8月10日には国権の最高機関と定められた国会ではなく、政令によって警察予備隊令が発令されたこと②1950年7月にはいわゆる「レッドパージ」が行われ、7月29日の日経新聞では326人が解雇になり、日本国憲法に定める言論の自由が破壊されたこと③吉田茂首相が米軍指揮下の下にあるGHQからの要請を大久保海上保安庁から受けた後、長官には極秘事項にさせて1950年10月以降、日本の海上保安庁などが米軍、英軍司令下に入って掃海活動に従事したこと(日本人2000人が参戦、うち20人が死亡ないし重症)−などです(本書第4章)。

日本が民主主義化の逆コースをたどり始めるとともに、「冷戦体制ががっちりと世界に定着しました。米国では軍産複合体が国を掌握するようになりました。リベラル志向が皇太子、『全体主義的民主主義』」が自由主義陣営の基本的考えになりました」(185頁)と著者は結論づけている。

ソ連の崩壊によって冷戦体制は崩れるが、にもかかわらず、米国の軍産複合体は新たな目標を設定している(235頁)。
①重点を東西関係から南北関係に移行する。
②イラン・イラク・北朝鮮の不安定な国が大量破壊兵器を所有することは国際政治上の驚異になる。したがって、これらの諸国が大量破壊兵器を所有するのを防ぎ、さらにこれらの国々が民主化するため、必要に応じて軍事的に介入する。
③軍事の優先仕様を志向する。
④軍事行動は米国が設定する。

本書は、朝鮮戦争(韓国動乱)に新しい見方をもたらしてくれる。一読をお勧めしたい。なお、サイト管理者(筆者)が付け加えたいのは、①米国の軍産複合体とともに、米国から始まり、世界中に広まっている新自由主義が世界経済を不安定化している(バブルの発生と崩壊、日本においては長期デフレ不況をもたらした)が、これでは現在のコロナ禍には勝てない③共産主義とは何かを探求すること、共産主義に代わる思想の出現の必要性−を訴えたい。

著者は、恐らく民族主義(民族自決の有効性)に基づいて、南北の閣僚級会談を年に1,2回開くことが望ましい(253頁)と、筆者にはやや諦めのものの言い方をされているが、上記こそ新しい時代をもたらしてくれるのではないかと期待している。

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