安保法制案=戦争法案廃絶に向けて②ー「限定的集団的自衛権」論の欺瞞性【加筆】

参議院で7月27日から安保法制体系案=戦争法案の審議会が始まったが、安倍晋三首相及び安倍内閣は集団自衛権でも、「フルスペック」でなく「限定的」なものなら憲法が認めていると公言してはばからない。ここのところの欺瞞を白日の下に晒せば、違憲立法を企てる内閣であることが明確になり、憲法違反内閣として退陣させることができるはずである。ただし、参議院のインターネット中継を視聴しても、ここのところを安倍首相に認めさせた野党議員はいない。

今回の安保法制体系案について、安倍首相は1972年の政府見解で示された法理の延長にあると言いはる。同年10月14日の政府見解を再掲するとつぎのようになる。なお、朝日新聞のネットでは何故か、削除されているようだ。

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「 集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」
(昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料

「国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第 2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。

そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。

憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない

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憲法9条の解釈に対するこの政府見解では、現行憲法では①個別的自衛権は容認されているものの、 ②集団的自衛権は完全に否定されている。

ところが、昨年2014年7月1日の閣議決定では、この政府見解を「フルスペックな(NATO=北大西洋条約機構=のような)集団的自衛権」は依然として禁じられているが、「国際情勢の変化」を「理由」に挙げて、「限定的な集団的自衛権」なら認めたものと解釈しなおしている。下記がその下りである。

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3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第 13 条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。

一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和 47 年 10 月 14 日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

(4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

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赤文字の箇所が、安倍政権が「国際情勢の変化」を勝手な理由に挙げて、つけ加えた内容である。しかし、要旨「同盟国が攻撃され、わが国の存立が脅かされるに至る事態」という内容は抽象的で(識者含む国民には)まったく分からない。法律用語(法律文)ではないのである。安倍首相自身も分からないのだろう。だから、消火すればおさまる消防行為と殺戮が殺戮を呼び、果てし無き泥沼に嵌(はま)り込んでいく戦闘行為という異次元の事象を同等に取り上げて、国民をだまそうとする。こういうお話では、歯止めもなく、政府の裁量に寄って「限定的自衛権」は際限なく膨れ上がっていく。

言い換えると、「存立危機事態」というのは、法律効果(この場合は米国の敵国への武力攻撃)を可能にするための法律要件としては極めて不的確であり、この概念を用いて書かれた安全保障体系案なる「法律案」は、(後に述べるように、日本国憲法違反であるだけでなく)法律案としても全く体をなさないのである。

【※追記2015/08/01】

例えば、首都大学准教授で憲法学者の木村草太氏によると、

「ただ、72年見解は、存立危機事態を認定し『わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる』、つまり、存立危機事態だと認定できるのは、武力攻撃事態に限られる、と明言している。そうすると、72年見解と矛盾せずに、存立危機事態を認定できるのは、日本自身が武力攻撃を受けた場合に限られなければおかしい。
しかし、政府は今回の(衆参戦争法案審議特別委員会での)審議で、石油の値段が上がったり、日米同盟が揺らいだりする場合には、日本が武力攻撃を受けていなくても存立危機事態を認定できると答弁した。さらに、そうした事情すらなくても、政府が「総合的」に判断して存立危機事態を認定できるかのような答弁もなされている。これでは、いかなる場合に存立危機事態が認定されるのかを確定することは、極めて困難だ」

要するに、「限定的集団自衛権」はいつの間にか必ず「フルスペックの集団的自衛権」に拡大していく。その意味で、「限定的集団的自衛権」=「フルスペックの集団的自衛権」なのである。このため、国際法上の集団的自衛権を行使するというのであれば、憲法9条を改正しなければならないのである。これが、どこの先進国の裁判所も使っていない「統治行為論」を盾に「違憲立法審査権」を放棄している最高裁判所(=司法官僚が支配)に代わり、「最後の憲法の番人」の使命を担ってきた憲法の最後の砦である内閣法制局の歴代の長官が示してきた見解である。

しかし、内閣法制局長官も所詮、内閣の一員であり、内閣総理大臣の部下である。事実上の日本国の再興首脳である内閣総理大臣に一国の指導者としての矜持がなければ、いずれはこうなる運命であった。本来は、最高裁判所がその使命を果たすとともに、議会にも「議会法制局」を置いて良いところだ。米国の議会(下院)は政府の通商交渉について強い権限を持っている。

昨年7月1日の閣議決定を完全に論破する必要がある。

【※追記 

(1)「国際情勢の変化」という虚構

なお、安倍内閣は国際情勢の変化を所与のように語るが、2001年9・11から始まったアフガン戦争、イラク戦争、「アラブの春」、「イスラム国(IS)の誕生」などは全て、多国籍軍産吻合体の利益を追求するために米国と英国、イスラエルが創作した「戦争」(通常のテロをはるかに上回る大規模殺戮行為なのであるが、国際社会はそれに気づかない)であることに留意が必要である。つまり、「国際安全保障情勢の変化」などと言っても、それは米英イ三国による創作劇なのである。

(2)民主党・小西洋之議員による「閣議決定」の批判(http://blogos.com/article/112973/

結論を先に申し上げると、「昭和47年政府見解に集団的自衛権行使が含まれている」という主張は、昭和4konishiImg7220_400x4007年政府見解にある「(我が国に対する)外国の武力攻撃」という文言を、42年目にして勝手に、「同盟国等に対する外国の武力攻撃」という意味に読み替えるという単なる「言いがかり」に過ぎないものであり、何の根拠もない空前絶後の暴挙であり「正真正銘のレッテル貼り」というべきものです

現に、例えば、昭和47年政府見解を作成した当時の吉國(一郎)内閣法制局長官が、当見解を作成し国会に提出する契機となった国会答弁において(作成のわずか3週間前ののもの)、以下のように明言しています。

「集団的自衛権行使ができるということは、憲法9条をいかに読んでも読み切れない。」

「(日本には未だ武力攻撃が発生せず)他国にのみ武力攻撃が発生している集団的自衛権の状況では、日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されることはあり得ず、よって、日本はあらゆる自衛の措置(集団的自衛権行使)を行うことはできない。」

つまり、「昭和47年政府見解には集団的自衛権行使は存在しない」のです。

(3)日本一新の会・平野貞夫氏による「限定的集団自衛権」違憲の論拠

昨年7月1日、安倍内閣が「集団的自衛権の限定的行使」を、憲法の解釈変更で行うことを閣議決定して以来、私は「限定的とはいえ集団的自衛権の行使を容認するなら、日米安保条約を改定して基地提供条約を共同防衛条約に改定する必要がある」と論じてきた。その根拠は、昭和29年の自衛隊法成立の際、下田条約局長の次の見解であった。「集団的自衛権は、共同防衛とか相互安全防衛条約など特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれる。日本の現憲法下でそのような条約を締結することはできない。

自衛権の憲法で認められた範囲は、日本自身に対する直接の攻撃、或いは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない」(昭和29年6月3日・衆議院外務委員会)

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