麻生財務相のナチス発言の釈明はデタラメ―謀略と政治弾圧による憲法改悪が狙い

麻生太郎財務相が7月29日に、国粋主義者の公益法人である国家基本問題研究会(櫻井よしこ理事長)主催の会合で「憲法改正」のために、「静かにワイマール憲法を変えたナチスの手口を学んだらどうか」とつい「憲法改正」と言う名の憲法改悪を断行するとのホンネを漏らしたことが袋叩きに合っているが、さすがにヤバイと思ったのか、釈明文を読み上げて逃げの手を打った。しかし、Wikipediaなどによると、この釈明文はデタラメである。

麻生財務相は8月1日、「憲法改正について、落ち着いて議論することが重要だと考えている。喧騒にまぎれて十分な国民的議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法にかかる経緯を挙げた」と釈明した。しかし、当時としては20歳以上の国民(男女同権)に大統領の選挙権を与えるなど最も民主的とされたワイマール憲法(今日の米国流の大統領制)はその一面で、大統領に首相を任命する権限や国会を解散する権限、非常時に憲法を停止する非常大権を与えるなど、問題含みの憲法であった。このワイマール憲法のはらんだ問題点の間隙をついて、謀略を使いつつ全体主義独裁体制を築いたのがアドルフ・ヒトラー率いるナチス党(国家社会主義労働者党)であった。

ワイマール共和国時代の第二代大統領に選出されたパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領(在任期間1925年―34年)は保守的性格が強く、第一党であるドイツ社会民主党を信頼しなかったので、ヘルマン・ミュラー首相の退陣後(1930年3月)は自らの指名のみを基礎とする「大統領内閣」を組織させた。

このヒンデンブルク大統領が1933年1月、任命して成立した内閣がアドルフ・ヒトラー内閣であった。ヒトラー率いるナチス党は国会では少数派であったため、政権基盤を強化するためにヒンデンブルク大統領の了解の下に議会を解散し、3月5日に総選挙を行うことを決めた。

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ところが、2月27日午後21時30分ころから国会議事堂が放火されるという事件が勃発した。ヒトラーはこの放火事件について、「共産主義者による反乱計画の一端」と見なし、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」と叫び、翌々日の29日、「国民と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」の二つの緊急大統領令の発布を提議し、ほとんど修正される事無く閣議決定された。

これによって言論の自由や所有権は著しく制限され、政府は連邦各州の全権を掌握できるようになり、共産主義者や社会民主主義者は警察によって拘束された。この放火事件がナチス党の勢力拡大に功を奏し、3月5日の総選挙では100議席を持っていた共産党は81議席へと後退。一方ナチス党は199議席から288議席へと躍進した。ただし、全体の647議席の過半数獲得には至らなかった。

3月23日、全焼した国会議事堂に代えて臨時国会議事堂となったクロールオペラ劇場で総選挙後初の本会議が開催された。出席した議員の数は535人であり、共産党議員81人、社会民主党議員26人、その他5人の議員は病気・逮捕・逃亡等の理由で「欠席」したというか、させられた。

ヒトラー政権はこの臨時国会に政府に法律を制定させることを認める全権委任法案を提出、出席した社会民主党議員は全員が反対したものの、ナチス党は共産党議員と社会民主党議員、その他議員112人を欠席させたことと、「4年間の時限立法」としドイツ国家人民党と中央党の協力を得たことで、法案の成立に必要な3分の2の賛成票を確保した。かくして悪名高き全権委任法は成立し、ナチス党の独裁体制が成立して、民主的と言われながらも重大な欠陥のあったワイマール憲法は実質的な機能を停止した。この状態を麻生財務相は「ナチス憲法の成立」と呼んだわけだ。

問題はこの国会議事堂放火事件である。当時の『ロンドン・ニューズ・クロニクル』紙は「ドイツ共産党員が議事堂の火事と何らかのつながりを持っているという主張は、何の根拠もないたわごとにすぎない」と政府(ナチス党)の公式発表を批判したが、外交団や外国報道陣の意見もほぼ同じであった。次第に火事はナチスの仕業であるという報道が外国で流れ、議長公邸から国会議事堂の間には地下道が存在するという事実がそれをさらにあおりたてた。

さらに亡命した共産党員であるヴィリー・ミュンツェンベルクらは匿名でパリにおいて『褐色の書』と題した本を出版した。放火の真犯人がナチ党であるとし、具体的な犯人まで提示した。この本は世界的に広く信用されたと言われる。諸般の状況からして、国会議事堂放火事件はナチス党の自作自演であることは間違いない。

こうした経緯からして、「憲法もある日気がついたら、ワイマール憲法が変わっていて、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」という麻生財務相の発言は、歴史的事実を全く無視したものである。ナチス党は謀略と政党の弾圧により独裁体制を築いたのである。同財務相はこの「(ナチス党の)手口に学んだらどうかね」と言い切ったのである。つまり、謀略と政治家(国会議員)の弾圧によって、「憲法改正」という名の憲法改悪を行う用意があるというのが、麻生発言の真意である。

 

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