日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

(「磐座(いわくら)学会十周年記念大会)

9月28日(日)、大阪歴史博物館で開催された「磐座学会十周年記念大会」にパネラーとして出席した。「磐座って何だ!」と思う人のために、少し説明しておく。縄文時代から人々は巨石や奇石に〝神が宿る〟という思想があった。古い神社の御神体とか、キリスト教の「嘆きの壁」も石が信仰の対象である。学会は巨石構築物一般を「イワクラ」と呼ぶ。

この「磐座」研究に学会をつくろうと提案したのは私で、当時、京都創形大学教授だった渡辺豊和氏が会長に就任して平成16年5月に発足した。田中康夫長野県知事と梶原拓岐阜県知事を顧問にし、奈良市でスタートさせた。私が磐座学会を発想したのは、「日本人の思考の原点は何か」を解明するためであった。磐座学会の大会に私が出席すると、何故かしら不思議なことが起こる。第1回の設立大会で奈良駅に着くと、小沢民主党副代表から携帯電話があった。「年金問題で菅代表が辞めることになった。後を引き受けざるを得ない。すぐ事務所まで来てくれ」という。「今奈良駅に着いたところだ」と答えると「すぐ帰れ」「だめだ。大事な学会の発会式だ。明日の夕方なら帰京する」。結局小沢さんにも事情があり、岡田克也氏が代表に就任した。

2009年の「イワクラサミット」が、9月5日(土)に長野県茅野市で開かれたときは、シンポジウムで発言中に携帯に小沢さんからの電話。民主党に政権交代した直後で「幹事長を引き受けた。これから鳩山代表に会う。特別国会について相談したいので至急会いたい」。「いま、茅野市の磐座学会で発言中・・・」、「いつも大事なときに東京にいない!」と相当に怒っていた。

今回の十周年記念大会には小沢さんからの携帯電話はなかった。しかし、参加者の多くから「民衆の福寿実現のため、小沢さんに、もう一度〝縄文革命〟を成功させて欲しい」との熱い声援を受けた。シンポジウムでは、縄文時代には自然=神と人間が一体となって生きていたことが話題となた。京大教授の鎌田東二氏が「現代は人間が人間を苦しめる時代」と、水俣病を告発した石牟礼道子さんの話を紹介した。昭和43年、園田直厚生大臣が「公害認定」した問題だ。その時、記者会見でのキャッチフレーズを頼まれた私が「企業より人間が大事」と進言する。これが当時の社会に高く評価された話をした。最後に「約半世紀を経て、人間より大企業が大事の政治が平然と強行されている。批判と反省の声が少ない。縄文革命を実現しなければ人類は滅びる」と結んだ。

○日本国憲法と「国連の集団安全保障」(10)

宮沢政権が衆議院でPKO協力関係法案の審議に懸命に対応している時期だった。かねてから、私のところに持ち込まれていた四国西南地域に空港を建設する話が具体化する。これは日本が国連に協力する法整備とともに、具体的貢献になるものでその経緯を少し説明しておきたい。

(〝PKO訓練センター構想〟の極秘報告書!)

平成2年8月に湾岸戦争が始まった時期に、私は中内力高知県知事と、知人の荻防衛施設庁参事官からある要望を受けていた。中内知事の要望は、「来年の任期切れで引退する。高知西南地区(四万十川・足摺岬・宿毛湾)の遅れ対策として、空港を建設したい。運輸省は600メートルしか認めない。何とか知恵を出せ!」と。荻参事官の話は国の安全保障に関わる大事な要望だった。「冷戦が終わって沖縄米軍基地の縮小を構想している。

自衛隊の岩国基地を拡張して対応しようと計画したところ、海の埋め立てや漁業補償が高額で1兆2千億円を超える。これでは税金の浪費だ。平野さんの故里の土佐清水市と三原村にわたって広大な国有地がある。西日本では唯一の4000メートル級の空港が可能だ。宿毛湾も近くにあり周辺の整備をしても半分以下の予算で済む。地元を説得する智恵を出してくれないか!」と。

時は、湾岸紛争への対応もPKO三党合意ができ、政界もひと息入れ、ジョン万次郎の会設立も全国ニュースで評価された時期だった。私は中内知事に荻参事官からの要望を伝えたところ、沖縄の米軍基地を移すことを直接出しては地元は説得できないので、何か構想を考えてくれ」とのこと。そこで私が考えたのが『ジョン万次郎記念国際貢献PKO訓練センター(仮称)の建設』であった。要点は次のとおり。

1)四国西南地域の地政は、東アジア全体をカバーする空と海を一体化する古代からの拠点である。アジア地域に紛争や災害が発生した場合、国際的スケールで人道的救援活動に積極的に参加することは、憲法の精神から言ってもこれからの日本がやらなければならない。

2)そのために『ジョン万次郎記念国際貢献PKO訓練センター』を建設すること。第1に、国連PKO訓練センターを設置し、人材育成や物資の保管などを行う。第2に、それが東アジアの物流センターの役割を課すことも期待できる。第3に、航空自衛隊及び米軍の活用も可能にし、民間航空機にも活用できるようにする。

この構想を中内知事に伝え、実現のため空港建設が可能かどうか、地勢や地質など基礎調査を極秘に県知事が使える経費で行うこと。また、西南地域に新設する県立病院の場所の選定でもめているが、センターの中心となる三原村とすることなどを進言した。

中内知事は喜び、上京して湾岸紛争への対応で多忙な小沢幹事長に陳情し協力を求めたところ、「岩手県につくりたいぐらいだ。ジョン万次郎記念が面白い。実現しよう」と応じてくれた。極秘に日本工営株式会社に依頼した「基礎調査」が終わり、中内知事に報告が届いたのが翌3年10月で知事任期切れの2ヵ月前だった。政界も大変動があった。小沢幹事長は辞め、病気回復、海部首相は失意の退陣、そして、宮沢首相が政治改革と国連協力を公
約して、活動をはじめた時期であった。
報告書は「高知県西南地域における空港建設に係る構想調査」というものであった。結論は「地勢・地質上問題なし」とのことで、滑走路が3500メートルの空港完成予想図まで添付されていた。概算事業費は、本体工事・関連施設・関連工事を合計して、3284億3800万円と試算していた。何と、岩国基地の3分の1以下の事業費で、3500メートルの空港ができるわけだ。

防衛施設庁もこの極秘調査に関わっていて、衆議院でPKO協力関係法案の審議がクライマックスになった時期、毎日のように私のところに関係者が顔を出し、地元対策に知恵を出すよう要望していた。その時期、高知県知事選で、無党派の橋本大二郎氏が圧勝し、自民公認の川崎副知事が大敗した。この知事選が私の身の上に大変化を起こすことになる。
(続く)

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