日本一新運動の原点(275)ー戦争法案廃案の死角⑩

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 幻の「メルマガ・日本一新」号外

最近、想定外のできごとが多すぎる。3月末、妻の突然の他界も「こんなことが有り得るだろうか」と仰天したが、それと同じくらいに驚いたのが、7月15日の衆議院安保法制特別委員会の強行採決をめぐる問題である。強行採決が確定的との情報なので、事務局と相談して「死角シリーズ号外」を出す準備をしていた。

当然、野党第一党である民主党を中心に、大島衆議院議長に「本会議への上程をせず、立憲主義を死守する議長の責任を果たせ」と、抗議と要請を行うと想定していたからだ。しかし、あに図らんや粛々と採決されたのだ。そこで、幻〟となった号外の要旨から紹介することにしよう。

○ 大島理森衆議院議長への進言!

わが国の『立憲政治』と『議会民主政治』を〝死に体〟とするか〝再生〟させるか、大島議長は歴史の峠に立っていることを自覚されたい。狂乱の『安倍自公政権』は、7月15日「立憲主義と憲法違反」と国民大多数の声や憲法学・政治学など、専門学者の圧倒的多数の意見を無視して、安保法制関連法案を強行採決した。

この強行採決は、通常の速記録が採れなかったとか、定足数が足りないとか、採決の有効な要件が欠けていたとか、という技術的問題として論じるべきではない。

安保法制関連法は、わが国が外国で戦争に参加するための法案である。戦後70年間、吉田自由党政権が冷戦下の厳しい国際情勢の中で憲法9条の解釈運用で苦しみ、その結果がこれだけは死守すべしと確立したのが「集団的自衛権不行使」であった。理由は、如何に限定的とはいえ憲法が禁止した行使を解釈改憲で行うことは戦前の軍事国家に回帰することが必定であるからであった。

衆議院議長という職責は重大である。安倍自公政権が狂乱状態で犯した「立憲主義と議会民主政治」を、法規先例を超えて再生に政治生命を懸けるべきである。という出だしで、参考までにと、第72回国会(昭和49年)、違憲の『靖国神社法案』を廃棄に追い込んだ前尾繁三郎衆議院議長の見識と、政治生命を懸けた行動を説明しておいたが、幻に終わった。

○安全保障法制関連法案を廃案にする〝死角〟がありますよ!10

参議院に送付された安保法制関連法案を廃案にするためには、まず衆議院での審議の総括というか反省をしておかねばならない。

(すべての責任は野党第一党の民主党にあり!)
民主党がしっかりと集団的自衛権問題を学べば、一丸となって廃案にできるチャンスはあった。民主党幹部の何人かが、岡田代表はじめ安倍首相との質疑の中で「集団的自衛権の限定的行使は、状況によって理解している」などと公言するようではダメだ。これをテレビを観ていて、民主党という政党は第二次世界大戦・敗戦・講和独立・日米安保・冷戦・冷戦終結等の歴史の中で保守・革新の政治家や行政の先人たちが、どんなに苦労を重ねてきたか理解していないことに驚いた。

第二次世界大戦以後の、お受験用の年表としての歴史は知っているものの、歴史の表面や教科書的知識を拡げるだけで、安全保障について人間の臭いのする質疑ができない。困ったことだが、米国と協力しながら対峙してかろうじて日本の自立を守った先人たちの涙や汗を知らない。憲法9条の解釈運用で苦労して集団的自衛権行使を違憲とする理由は、この首の皮一枚が、わが国を、「戦前の軍事国家に回帰させない盾」となっている政治構造を理解しないからである。

集団的自衛権限定行使の合憲性を、安倍政権と一見まじめそうに議論している民主党の政治家には、憲法学者や元内閣法制局長官らだけではなく、若い学生や女性の魂の叫びを理解できないのではないか。さらに立憲政治の危機という中で、共産党との共闘を嫌う幹部が多くいたことだ。彼らは心理的に政治家ではなく、官僚の意識なのだろう。行政の新しい情報に詳しいことが秀でた政治家と思い込んでいる。そのくせ、国会の議事運営ルールに無知なことも安保法制関連法案の採決でそれが露呈した。

岡田代表は特別委員会が強行採決した直後、記者団に「委員会でもう一度審議し、採決し直すべきだ」と語っていたが、「廃案にすべきだ」と主張すべきなのに、岡田代表も眼の病が頭に移ったのかと感じた。「採決し直す」とは安保法制関連法案を容認することだ。案の定、本会議の議事での混乱は笑い事では済まされなかった。

特別委員会で強行採決した安保法制関連法案は、内容の違憲性はいうまでもなく、国会提出手続きにおいても違憲性があった。10件の法案を1件に括り審議権を犯したことだ。これは議長の責任でもあり、『原点―266号〝死角〟1』で述べたとおりである。民主党は最初から大島議長をターゲットにすべきであった。それが出来ないこと自体、勝負は最初からついていたといえる。民主党は、6月4日の憲法審査会の違憲論騒ぎから戦略変更したが、遅かりし由良之助であった。

民主党は安保法制関連法案の本会議上程には、物理的抵抗をしてでも、阻止することを他の野党に提起すべきであった。立憲主義は先人の血と汗で確立したものであることを知らないのか。抵抗できる野党だけでもよい。大島議長が自公与党の意志に従うなら、議長不信任案を提出し、堂々と立憲主義に反する政治運営と政策を国民に訴えるべきであった。

大島議長の責任も問わず、安倍首相や関係閣僚の責任も攻めず、効果的とは言えない討論を行い、国民に民主党の主張をしたと自己満足している岡田代表の見識は私には理解できない。さらに、討論を行って採決で退席するとは何年国会議員をやっているのか。衆議院規則第135条は「議事日程に記載した案件について討論しようとする者は、反対又は賛成の旨を明らかにして通告しなければならない」と規定している。

討論と採決は一体のものである。議事法規を厳格に運用するなら、案件に討論で反対を表明し、採決に応じないのは懲罰の対象とすべきほど奇っ怪なできごとだ。マスコミも有識者もこのことを批判しないのは、議会政治後進国の明々白々な証拠だ。

もうひとつ、文句をいわせて欲しい。岡田代表は衆議院本会議が安保法制関連法案を可決し、参議院に送付された直後、テレビカメラの前で「安保法制関連法案は廃案にすべきだ」と語ったが、私はこの時初めて「廃案」を公言したと記憶している。何か勘違いしている気がするが、参議院で廃案にするなら岡田執行部は口を出さずに参議院に任せることだ。とにかく、民主党も維新の党も立憲主義や議会民主政治が崩壊することより、自分の党を崩壊させないことが先という発想で政治をやっている輩の集団で何とも困ったことだ。

(参議院で安保法制関連法案を廃案とする基本方針)

現在の国会議員の思想と行動の問題は、政治は自分たちで動かすものとし、国民は自分たちを選ぶ道具と思っていることだ。その点、参議院には衆議院に比べ世間慣れしていないだけ、民意を大事にする慣行がある。参議院野党が民意を上手に取りこめば、安保法制関連法案を廃案にすることは可能である。そのための第一の方策は、民主党を中心に安保法制関連法案に反対し立憲主義の再生に政治生命を懸けようとする社民や生活など少数会派をまとめて、緊急臨時の期間限定で「立憲政治確立の会」(仮称)という会派を結成することだ。この会派が国会対策戦略と国民運動戦略を有機的に連動させて、安倍自公内閣の支持率を9月10日ごろ迄に、20%を切るところまで追い込むことだ。

9月末には自民党総裁選がある。これが安倍退陣の引き金になるよう、国会外部の知恵者の力を活用することだ。衆議院段階ではあれだけの国民の盛り上がりを活用できず失敗した、頭が高くて頭が悪い衆議院民主党の二の舞にならないようにすべきだ。私に言わせれば衆議院では集団的自衛権の実態の恐ろしさ、高村自民党副総裁や北側公明党副代表の屁理屈による政治詐欺罪を暴くことができなかったが、参議院でやらなくてどこでやるのか。頭を下げて国民や有識者の力をどう活用するかにかかっている。
(続く)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう