古代オリエント世界
古代オリエント世界(https://rinto.life/108492より)

話を元に戻すと、このパラドックスを解くカギは、史的唯物論の「公式」が近現代史の主役になった欧米文明の歴史事実に根拠を持っていたというところにある。このことを明らかにしたのが、ウエーバーの歴史社会学を頼りに大坂久雄が提唱した「辺境革命論」にほかならない。

大塚によると、マルクスの史的唯物論の「公式」なるものは、次々と生産力を高めながらついには資本主義市場経済体制の形成にまで立ち至った欧米文明固有の、段階的な歴史発展の経路を叙述したものである。

その際、疑問になるのが、欧米文明圏の段階的な歴史発展の過程がなぜ、「辺境革命」だったのかということだ。これは、文明の発展過程でより高度な生産力を持った社会が創造されたのは旧い社会の中心地(当時の先進地帯)ではなく、そこから地理的に遠く離れた辺境地帯だったからである。

つまり、辺境革命の系譜というは、「古代オリエント専制諸国家という姿をとって現れたアジア的貢納性社会→古典古代の地中海周辺におけるギリシア・ローナなどの奴隷制社会→忠誠ヨーロッパとくに北フランスを中心として展開された封建社会→近代西欧とりわけ英国、オランダを起点として拡延するにいたった市場経済の資本主義社会という世界史的経済発展の段階的進行」(大塚)である。

なお、英国に続く米国での典型的な資本主義の発展も辺境革命の典型的な例だろう。重要なことは、それぞれの社会体制の中心地域が地理的に移動し、その担い手も異なっているにもかかわらず、この辺境革命の系譜が、欧米文明という一つの文明の歴史発展の過程として理解できるということだ。

その理由は明らかで、辺境革命の際に先進地帯の文化・文明遺産を継承、発展させてきたという事実があるからだ。ここに文化・文明遺産というのは特に、思想(世界観)と科学技術を指す。つまり、大塚の辺境革命論といは一口に言えば、文明の転換期には、先進地帯の豊かな文化的・文明的遺産を継承、発展させた文明の辺境地帯が、次の時代の新たな経済社会体制を生み出す(実現する)突破口になる、ということである。

●大国の興亡には一定の法則がある

実は、欧米文明内での辺境革命には一定のパターンがある。横浜国立大学教授を務めた内田方明はその著「歴史変革と現代」(筑摩書房)で、大塚の辺境革命をさらに精緻化したが、ここではサイト管理者(筆者)の観点も交えて紹介してみたい。

欧米文明の歴史発展の足跡をたどってみると、文明が栄えた時代には必ずその中心になる「先進地帯」というものが形成されている。この先進地帯は政治的、経済的、軍事的に圧倒的な支配力を擁しており、その支配力によって文明の秩序が保たれているわけだ。

しかし、先進地帯の支配が永久に続くわけではない。文明の発展には限界が生じるようになり、社会全体が閉塞状況に陥る(主として、権力者の権力の不正使用による腐敗・堕落)。先進地帯による支配の正当性が崩れ、経済の成長はストップする。軍事的にも弱体化するのだ。そして何よりも、文明を根底から支えていた思想が動揺をきたすようになる。この時に重要な意味を帯びてくるのが、文明の先進地帯の周辺に位置する「周辺地帯」である。

文明の周辺地帯とは、「先進文明の中心地に比較的近接しているような文化地理的な状況に置かれていて、そのため比較的に、先進文明の政治的・軍事的・経済的・思想的・文化的な支配と影響にさらされるばかりでなく、さらに包摂されるか、その支配圏の全文化的運命や傾向に巻き込まれてしまうような地帯」(内田)のことである。

ペルシア戦争
ペルシア戦争に勝利したギリシア(https://seethefun.net/)
古代イスラエル教発祥の地
古代イスラエル教発祥の地(https://sekainorekisi.com/glossary/

もっとも、周辺地帯が特別な意味を持つのは、この地帯が先進地帯に完全に隷属するのではなくて、むしろ、先進地帯の支配に抗しつつ、その文化の限界を克服した新たな精神文化(大衆に受け入れられた思想)を創造するところにある。

しかし、地理的な条件からいって、周辺地帯は先進地帯の支配からの完全な脱出、つまり、新たな社会体制の創造が困難な状況にある場合が多い。先進地帯からの体制ぐるみでの脱出して、独自の社会体制の創造が可能になるのは、文明の「辺境地帯」なのである。

辺境地帯とは、「文化地理的状況が周辺地よりももっと距離的に遠く離れていて、先進地帯からの影響を受けながらもそこから脱出して、独自の社会体制を創造することに成功できるような場所」(同)のことである。欧米文明はこのような文明の先進、周辺、辺境地帯のダイナミックな交渉の中から発展してきたのである。ところで、サイト訪問者に注意を促しておきたいことは、文明の周辺地帯には大きく分けてニ通りのタイプがあったということだ。

よく知られているように、欧米文明の精神文化の系統には、ユダヤ・キリスト教という一神教の伝統を継承するヘブライズムと、古代ギリシアに端を発し、現世志向的で合理的な精神を尊重してきたヘレニズムの二つの系列がある。これに相応して、文明の周辺地帯にもヘブライズムを深化さてきた周辺地帯とヘレニズムを発展させてきた周辺地帯の二つのタイプがあるのだ。

そこで、ウェーバーの歴史社会学からヘブライズムとヘレニズムの役割を説明してみよう。ウェーバーは、歴史を「合理化」の過程として捉えている。もっとも、ウェーバー社会学の中では、合理化といってもいろんな合理化がある。サイト管理者(筆者)の見る限りでは、その中でも「倫理的合理化」と「理論的合理化」が最も需要だ。

◎ブレーク:戦後の知識人は日本が冷戦構造に組み入れる過程で「進歩的文化人」と揶揄されてきた。その代表が「日本政治思想史」(1952年)が主著の丸山真男(マックス・ウェーバーの業績を取り入れている)、南原繁(内村肝臓の弟子の系譜に属する)らだ。大塚久雄、森嶋通夫(大阪大学で近代経済学を受け入れ、育てた)もその系譜に属する。

進歩的文化人は吉田茂首相から「曲学阿世」と非難されたが、吉田・岸信介首相はは米国の要求に従って、警察予備隊を自衛隊を再編し、旧安保条約・新安保条約を締結することで、戦後の「保守政治」の元祖になった。しかし、その戦後の保守主義は新自由主義と結託して、日本を閉塞状態に陥れている。「進歩的文化人」をいわゆる「保守主義」にとらわれない、新たな角度から再評価する時がやっと訪れてきたのではないかと思う。

話を元に戻して、このうち、倫理的合理化というのは「人間を内側から倫理的に変革し、やがては、楚々側の社会秩序の変革にも至るような合理化」(大塚)のことである。これに対して、理論的合理化というのは、「一見不合理であるような現世も、結局は深い意味を帯びる総体であるし、あるべきであり、またそうであり得ることを人々に説得することのできる合理的な『世界像』、すなわち、『神擬論』を創造することが」(同)が中心になる。

平たく言えば、「この世は不条理なことだらけなのに、何故神仏が存在するのか、神仏が存在するなら世の中に悪がはびこっているのはおかしい」という民衆の素朴な疑問に応えるのが、神擬論というわけだ。加えて、世界の合理的理解の深化も含まれよう。





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