ウェーバーの歴史社会学によると、このふたつの合理化のうち、倫理的合理化の推進力になったのが「預言者」であり、理論的合理化の担い手になったのが祭司層を含む知識人である。

そして、預言者と知識人の「協同作業」の過程で、現世を合理的に改造する「実践的合理主義」(近代科学)が形成される。近代科学というのは、キリスト教とギリシア思想・哲学の初産であるが、日本では近代科学の形成に当たってキリスト教が果たした役割がほとんど無視されている。この実践的合理主義が生産力の担い手である「小市民層」に受容されることによって、生産力と社会体制の段階的な発展が可能になるというのが、ウェーバーの基本的な歴史発展の見方だ。その際、ヘブライズムは倫理的合理化の原動力になったし、ヘレニズムの合理的精神はヘブライズムとともに理論的合理化を推進するのに大きな役割を果たしたものと見ることができよう。

なお、精神文化は宗教的ないし思想的カリスマによって文明の周辺地帯で創造されるが、それが新たな社会体制として結実するには、先進地帯の支配を粉砕するための政治的ならびに軍事的カリスマの力がひつようである。さて、辺境革命論がマルクスの史的唯物論(唯物史観)の「公式」をうまく説明できることを簡単に示しておきたい。

●新しい波は辺境地帯から勃興する
第一期辺境革命、古代オリエント専制国家から古典古代奴隷制社会へ。この時代の文明の先進地帯は、古代四大文明ののうちエジプト文明、メソポタミア文明が発症した古代オリエント世界に興亡盛衰した、賦役貢納制を経済的土台とする専制諸国家である。これに対して、文明の周辺地帯としては古代イスラエルと古代ギリシアのニタイプが考えられる。
古代イスラエルは、古代エジプト王朝の奴隷の立場で当時の最高の生産力ー特に手工業ーを身につけた後、モーゼを中心として出エジプトを試み、一神教を奉じて都市国家を建設した。古代イスラエルはその後、サウル、ダビデ、ソロモンの三代にわたって王朝を築き、最盛期を迎える。しかし、ソロモンの死後は南北王朝に分裂し、北朝イスラエルはアッシリア王朝に滅ぼされ、民族は「バビロンの捕囚」の憂き目に会う。
その後、ペルシアが東に興ってバビロンを滅ぼしたことから、イスラエル民族のバビロンの捕囚は解け、民族はペルシアの監視の下にエルサレムへの帰還と民族の象徴としての神殿の建設を許されるようになる。しかし、イスラエル民族はエルサレムに帰還後も、ペルシアやマケドニアなど古代オリエント世界に次々と興亡した専制国家の支配を受け、辛酸をなめつくした。
こうした中で、イスラエル民族は民族の苦しみの理由を合理的に説明する「苦難の神擬論」としての古代ユダヤ教を創造し、後々の世界史に決定的な影響を与えるようになった。何といっても、古代ユダヤ教から世界宗教としてのキリスト教とイスラム教が誕生したからだ。こうして、古代イスラエルは典型的な文明の周辺地帯(ヘブライズム型)になった。
一方、古代ギリシアは古代オリエント世界の周辺地帯ー正確に言えば周辺的辺境地帯ーに位置して、東方世界の発達した生産力ー特に手工業生産ーを受け継ぎながら、東方のアジア的生産様式の限界を何とか乗り越えた古代的生産様式を形成した。そして、ペルシア王朝に苦しめながらも、ペルシア戦争に何とか勝利し、紀元前5世紀にはこれまた世界史に巨大な影響を与えたギリシアの精神文化を創造する。こうして、古代ギリシアはやや変形的だが、文明の周辺地帯(ヘレニズム型)の役割を果たした。
ローマ帝国・キリスト教の国教化
ローマ帝国・キリスト教の国教化(392年、https://www.lets-bible.com/history_christianity/a12.php)
そして、第一期辺境革命での辺境地帯が古代ローマだった。イタリア半島に興った古代ローマが、ギリシアの遺産を継承して地中海世界を統一し、古代的生産様式(奴隷制生産様式)を経済的土台として、長期にわたる繁栄を持続したのである(パックス・ロマーナ)。この時期、古代ユダヤ教から発展した原始キリスト教・初期キリスト教(アタナシウス派)が゛ローマに流れ込み、最終的には古代ローマの国教となった。





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