アベノミクス(アベクロノミクス)の破綻(その07)―瑞穂の国・日本をブラック国家に

アベノミクス(アベクロノミクス)は新自由主義という思想に立脚しているが、この新自由主義は単に経済理念であるだけではない。「富をひと握りの富裕層に集中しようとする政治経済的行動の理論的骨格で、その目的のためには政治権力と結託して行動を起こし、手段を選ばず目的を貫徹しようとする執念を持っている」(菊池英博著「そして、日本の富は略奪される」)。その結果、日本国はブラック企業ならぬブラック国家へと堕落しつつある。

新自由主義は、「新古典派経済学」として精緻な数学で正当化されているが、非現実的な仮定を前提に組み立てられている机上の空論に過ぎない。その機能を突き詰めて言うと、「究極の利己主義(エゴイズム)」であり、「自分さえ良ければ、あとは野となれ、山となれ」という無責任主義である。その意味で、古来より高等宗教が説いてきた「悪魔」の思想である。ただし、どの高等宗教も説いているように(例えば仏教の「相依相関性の絶対性」)、世の中は関係性で成り立っているから、エゴイズムというのは永続性がなく、いずれ、破綻する。

そういう新自由主義に操られているから、安倍晋三首相は、憲法が強大な国家権力を縛るものであることをご存じない。自民党の改憲草案を読んでみると、国民を縛るものが憲法であるという考えで一貫している。近代以降の強力な国家権力は、旧約聖書のヨブ記に登場する海の怪獣の名にちなんで、トーマス・ホッブスが「リヴァイアサン」と呼んだ。

ホッブスの政治哲学著である「リブァイアサン」は絶対王政を正当化するものになったが、絶対王政が基本的人権を尊重するキリスト教および啓蒙思想の影響を受けた市民革命(民主主義革命)によって打倒され、リヴァイアサンを縛るための憲法による近現代法治国家が樹立された。

hobbes livaiasan

日本の近代史の悲劇は、明治維新が薩摩・長州の下級武士のクーデターによる開発独裁国家の建設であったことで、市民革命を経験したことが一度もなかったことである。日本の左翼がマルクス主義の限界(下部構造が上部構造を規定し、封建的生産様式の次の発展段階は資本制生産様式というもの)を乗り越えられず、一段階革命を唱える労農派と二段階革命を唱える講座派に分裂したのは、この核心部分の理解ができなかったためである。このため、一般的な日本人は個の確立・自立ということがなく、大化の改新後の律令国家の完成以降の「長いものにはまかれろ」という権力依存のDNA(日本教)が染みこんでしまった。そうでない日本人は、異端として弾圧の対象になる。

この結果、戦後の日本は米国(WASP+ユダヤ系の軍産複合体および国際金融資本)➤官僚➤財界➤政治屋、マスゴミという支配構造が確立され、よりましな対米隷属官僚制社会主義国家➤極悪非道の対米隷属官僚制新自由主義国家となってしまった。そうして、日本国憲法(誰が起草したかより、起草内容がより重要)の柱である三権分立は建前のみとなり、財務官僚、司法・検察官僚、警察官僚の支配する三権統合国家と堕してしまった。

国民主権を現実化するべき国会は、利権政治屋の集団に過ぎなくなり、東大阿呆学部出身官僚作成の「法案」に盲判を押すためのセレモニーの会場に堕した。裁判所は、判事と検事の相互交流という考えられない環習が出来上がり、行政に抵抗する者達を排除する冤罪製造機関に成り下がった。行政の中枢である内閣、特に内閣総理大臣は、公然と憲法解釈は勝手に変更できると述べ、立憲民主主義国家としての日本を否定。いわゆる保守派のポーズを取りながら、コウモリ外交を展開し、政治・軍事的には米国の「傭兵国家」、経済的には同国の「財布国家」になることを目指して恥じない。また、マスゴミと呼ばれるマスコミも在野の精神である「権力批判」の精神を完全に失い、言論統制の走狗、付和雷同するB層製造機関となっている。

【1933年政府に国会が立法権を委譲した「民族および国家の危難を除去するための法律」が成立】

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世間では不正経理を行い従業員を酷使する、いわゆるブラック企業が批判されているが、現在進行中の日本の「ブラック国家」化はその比ではない。阿鼻叫喚の地獄絵図が待ち受けている。安倍晋三首相(自民党総裁)と自民党の石破茂幹事長は何はともあれ、国民が汗水流して築いてきた富を略奪して米国に貢ぎ、また、日本の自衛隊および国民が米国の傭兵となって「名誉ある」戦死をすることを望んでいるようだが、まずは石破幹事長自らが率先してその模範となるべきである。ただし、戦争は21世紀において最早紛争を解決する最後の手段ではない。

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