日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○安倍政権改造人事は消費税10%への布石!

谷垣禎一前自民党総裁が幹事長に就任した。異常な人事だ。
二階堂総務会長の起用とともに対中国正常化のためとの見方があるが安倍首相自身が歴史修正主義を反省することしか道はない。消費税10%への三党合意の責任を採らせる布石である。これでは財政も経済も破滅の道となる。

○日本国憲法と「国連の集団安全保障」(6)

NHKの籾井勝人会長が辞めたのかと錯覚するような番組が、8月28日(木)午後八時から放映された。「NHKBSプレミアム」の〝昭和の選択吉田茂敗戦日本独立への苦闘!〟である。再軍備を阻止するため、米国のダレス特使と政治生命を懸けた交渉の実録だった。

最近、頓に吉田外交を対米従属だと批判し、岸信介氏を評価する評論家・孫崎享氏に、この番組へのコメントを聞いてみたい。私は2月に刊行した『戦後政治の叡智』(イースト新書)や本メルマガで、吉田元首相から直接聞いた話を紹介してきたが、番組を視聴した方には納得して頂けたと思う。安倍首相には、まったく以て「目障りな番組」だったのではないか。

しかし、この番組では採り上げなかった重大事項があるので、敢えて紹介しておく。ダレス特使の厳しい再軍備要求を、吉田首相が拒否した理由を番組ではボカしている。吉田政権の講和交渉で苦労した西村熊雄外務省条約局長がまとめた吉田首相の口述文書だ。

「日本の経済復興がまだ完全ではなくして再軍備の負担に耐えない。次に今日の日本にはまだ軍国主義復活の危険がある。さらに、日本の再軍備は近隣諸国民が容認するようになってからしなければならない。最後に憲法上の困難がある。以上の理由によって再軍備は不可能である」(昭和35年8月10日、憲法調査会第3委員会第24回会議議事録より)

注目すべきは吉田首相が退陣した昭和29年という時期の状況である。自衛隊法が成立した直後の6月3日、衆議院外務委員会で、下田武三条約局長は「他国で武力行使を可能にする集団的自衛権は、憲法上許されない」との見解を述べている。そして12月に吉田首相は退陣するが、心配していたのは岸信介氏らによって、日本が戦前の軍国主義へ回帰することであった。そのためには国連に協力することで、日本の安全保障を確保しようというのが吉田構想であった。冷戦終結でその時機到来と考えたのが小沢幹事長であった。

(ポスト冷戦・湾岸紛争時代の各党の事情)

前回のメルマガ228号の最後に書いた土井たか子社会党委員長から、新聞記者を通じて「自衛隊を別組織とするなら党内を説得する」と、衆議院事務局の私に伝言してきたことを「そんなことありえない」と言いたい人もいると思う。議会政治というのは、政治状況や政党指導者の性格などによってさまざまなチャンネルが活用されるのである。土井社会党委員長の場合は異例でやり過ぎだが、複雑な党内事情があったのが原因だ。各党の党内事情を覗いてみよう。

(自民党) 小沢幹事長の説得により、伊東正義・後藤田正晴両氏の指導で『政治改革大綱』を実現することになる。世論は腐敗政治防止に期待して支持した。党内は激論となり、反対派は小沢幹事長主導の改革方針に激しく抵抗する。

(社会党) 長年の自社55年「甘えの構造」体制下で幹部となった山口鶴男書記長らは、小沢幹事長に反発。若手は改革に同調するという複雑な党内状況。土井委員長はマンスフィールド元米国大使らの影響で国連中心主義を理解していた。

(公明党・民社党) 55年体制で、社会党主導の社公民路線に反発し、新しい政治を展望。

(共産党) 独自路線が各党に嫌われ仲間はずれ。

この時期の政党事情は消費税制度導入以来、公明・民社両党が政策的にも社会党との共闘を避けようとの動きが強くなっていた。また、米ソ冷戦終結後、各党内で国際社会への対応に新しい発想を求める動きが出ていた。小沢幹事長がこれらの動きを先導していたために、世論から評価を受ける一方で、自民党も含め各党の中に、抵抗と嫉妬が渦巻いていた。

(自公民3党による「国際平和協力に関する合意覚書」への経過)

平成2年11月6日(火)午前6時に出勤すると、小沢幹事長から電話があり探しているとの伝言を受ける。幹事長室に電話を入れると、「今日の本会議中、幹事長・書記長会議を開く段取りについて相談したい」とのこと。午後二時過ぎに本会議を抜け出して党本部の幹事長室に行くと「収拾案の叩き台をつくって公明党の市川さんと民社党の米沢さんと相談して欲しい」との話。「それは私のやることではありませんよ。副幹事長とか、国対委員長の仕事ですよ」と断ると、「それをできる人材が、自民党にいないことを知ってそんなことをいう」と機嫌が悪くなる。「わかりました」と私は腹を決め、「幹事長の考え方を中心に、『小沢メモ』をつくりましょう」と2人で作業に入った。

メモの内容は、

1)国連平和協力法案を衆議院で廃案とすることはやむを得ないが、次のことについて了承されたい。
2)幹事長・書記長会談で、国連平和協力のあり方について、きっちりとした合意を行い、内容についての方向付けをしておきたい。
3)国連平和協力についての基本構想は次のとおりとする。
  1、国連の平和維持活動に協力する組織をつくる。
  2、自衛隊とは異なる組織とする。
  3、活動は、いわゆるPKOに限定するものではなく、紛争解決に関わるものもできるようにしたい(国連決議に基づくもの、それを生かせるもの)。
  4、武力による威嚇または武力の行使は行わない。
  5、活動の内容は、輸送・医療活動・住民救済・被害の復旧・停戦の監視・選挙の実施・行政の指導等、その他とする。
4)協議の運び方は、後刻相談したい。

この「小沢メモ」を、市川書記長と米沢書記長に私が持参して説明すると同時に、小沢幹事長は海部首相に会い了承を得た。次の作業は幹事長・書記長会談で合意する叩き台づくりである。同日深夜、ホテルニューオータニのタワー5907号室に、小沢・市川・米沢氏と私の4人が集まった。

市川書記長と私でまとめた「合意文案」を、米沢書記長に見せたところ、「平野さん、あなたは小沢幹事長の了解を採ったのか。自衛隊と別組織では自民党は了承しないだろう」と声を荒げた。「2人に任せていますから・・・・・」と、小沢幹事長は手酌で日本酒を飲んでいる。私から土井委員長との経緯と、小沢幹事長の持論を説明したところ、米沢書記長は「まるで明治維新前夜のようだな。政治が変わるぞ!」と興奮して了承した。

翌7月の国連平和協力特別委員会理事会は、今後の審議の進め方について話し合いが決裂。国対委員長会談に上げることになったが社会党の大出俊国対委員長が「協力法案の廃案が確定してからだ」と、話し合いを拒否した。社会党内の事情は複雑で、土井委員長を支持する田辺誠前委員長や、清水勇議運理事らは「自衛隊別組織で妥協」という意向であった。山口書記長や大出国対委員長は、自公民路線に感情的に抵抗していた。

自公民は協力法案に代わる合意書をつくって、廃案の手続をする意向であった。社会党の山口書記長と大出国対委員長は、廃案の手続を終える会期終了日の11月9日を過ぎて、幹事長・書記長会談に応じ、合意を決裂させる腹であった。土井委員長らの妥協派は山口・大出両氏を説得する理屈を考えろと、清水勇議運理事が私の部屋に押しかけてきて、知恵を出すまで動かないといわれたことを憶えている。ウルトラCを考え出し、漸く、午後9時過ぎから幹事長・書記長会談が開かれ「PKO参加拒否」を主張する社会党との話し合いが決裂した。

9日午前2時45分から開かれた自公民幹事長・書記長会談で、「国際平和協力に関する合意覚書」が作成された。

  国際平和協力に関する合意覚書

1、憲法の平和原則を堅持し、国連中心主義を貫くものとする。
1、今国会の審議の過程で各党が一致したことは、わが国の国連に対する協力が資金や物資だけでなく人的協力も必要であるということである。
1、そのため、自衛隊とは別個に、国連の平和維持活動に協力する組織をつくることとする。
1、また、この組織は、国際緊急援助隊派遣法の定める所により災害救助活動に従事することができるものとする。
1、この合意した原則に基づき立法作業に着手し早急に成案を得るように努力すること。

この「合意覚書」は、公明党と民社党が社会党と決別して新しい政治路線―政界再編への方向を国民に提示するものであった。なお、小沢幹事長と土井委員長の持論「自衛隊別組織」は、憲法第9条に配慮したもので、この組織は「国連の指揮で活動するもので、日本国の国権の発動を避ける」ことにあった。

湾岸紛争問題はこれで終わったのではない。年が明けて「湾岸戦争」となり、日本のあり方をめぐって大騒動は続いていく。 
(続く)

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