「日本一新運動」の原点(320)―「国民の生活が第一」が日本国憲法の基本原理

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○ 激論「大西聡VS平野貞夫―激動の時代に立つ」―高知県人権センター報告!

5月28日(土)午後2時から、高知憲法アクション・勝手連・野党共闘参加政党が実行委員会をつくり、参議院の「高知・徳島合区」で無所属・野党統一予定候補の大西聡氏を叱咤激励するための集会が開かれた。土佐で「走り梅雨」といわれる悪天候の中、多くの人々が遠方から駆けつけてくれた。東京や大阪など、日本一新の会のメンバーも来高し、激励してくれて感謝々々である。

コーディネーターは大西正裕氏で、平成初期に参議院高知地方区で共産党公認候補として出馬したベテラン活動家。私と同じ土佐清水市の出身で、党派を越えて親交のある仲だ。集会の狙いは、間近に迫る参議院選挙に民進党党員だが、無所属・野党統一候補の大西聡氏の情況が、高知では野党協力が成功して盛り上がっているのに比べ、出身地の徳島では勢いが出ない。そこで私と対談することで、政治に対する心構えと参議院選挙勝利への戦略戦術を勉強することであった。私の話の要点を紹介しておきたい。

(国政選挙に挑戦する覚悟を訴えろ!)

最も大事なことは、人間としての覚悟と政治家としての腹構えを有権者に理解してもらうことだ。私の人間としての覚悟は清水高校時代の恩師・美馬敏男先生の「思想は保守でも革新でもよい。本流で生きよ。本流の人間は自分が不利になった時、嘘をつかず真実に生きる。亜流の人間は不利になると嘘をつく。これが社会を劣化させる」であった。有権者から「この人は嘘をつかない、誠実だ」と理解してもらうことだ。「政治家になる心構え」についてだが、私の体験を申し上げるので参考にしてもらいたい。

私は平成4年に参議院高知地方区に出馬した時、自民党と公明党の推薦だった。衆議院事務局・委員部長を務めていたとはいえ、永田町では名が知られていても高知では通用しない。当時、自民党にリクルート事件とか疑惑事件の「政治とカネ」で、国民が政治不信を持っていた。そこで私は、自分が国会事務局でいろいろやっていたことは、結局「政治家を堕落」させることだったと、

これまでの自分の生き様を「否定」し、これから「自民党政治を改革する。それができなければ自民党を潰す」と「創造的な自己否定」とでも言えることを訴えたんですよ。

大西聡さんが、地元の徳島で盛り上がらない原因は、ひとつは司法試験に合格して弁護士をやっているエリートであることだ。安保法制反対とか、立憲主義確立と訴えても、民衆は次元の違いを感じるだけだ。司法試験に合格するには、今の憲法の精神を捨てないとパスできない時代だよ。これまでの大西さんのキャリアを創造的に否定できるかどうか、そして、安倍自公政権を倒せない最大の理由は、民進党の政治運営と政策だ。徳島で「民進党を改革します。できなければ潰します」という腹構えを見せると、健全な無党派・勝手連は動きますよ。民衆の心をつかむというのはこういうことだ。

(憲法違9条・オバマ大統領の広島訪問など)

この集会では憲法9条の真意をどう理解すべきか、対談の重要テーマであった。「押し付け憲法」か、「幣原前首相の提案」かなど制定過程論が出た。私はそれらを一喝して、憲法9条の法源はそんな形式論ではない。私は「日本人310万人の戦争犠牲者」の霊的集団無意識と論じてきたが、今は反省している。憲法9条は日本人だけの問題ではない。

人類は第1次・第2次世界大戦で、戦争で約3千万人の死者を出している。日本国憲法9条を立案し制定する2年間、当時の世界の指導者は真剣に戦争をなくそうと研究した。その成果が憲法9条だ。約3千万人の人類の霊的集団無意識が九条の法源である。

これを考えた時、9条を日本という狭い空間だけで議論すべきでない。残念なことに、日本国憲法が施行される1947年5月の直前には米ソ冷戦が始まる悲劇があった。日本人が9条の精神を冒涜したとき、20世紀の戦争犠牲者の霊魂は怒るだろう。率直にいって「憲法9条の会」も諸々の憲法学者も勉強不足だ。映画『日本の青空』もそこまで理解していない。9条を持つ日本を、国連軍によって安全保障を確立させようという真剣な協議が国連常任理事国の参謀総長たちが行っていた事実を理解すべきだ。

オバマ米大統領の広島演説で、私が評価する唯一のポイントは「数年の間で約6000万人が(戦争)で死んでしまった」というところだ。おそらく、第1次世界大戦以後、約100年となる。その間の人類の戦争犠牲者の6000万人の霊的集団無意識が、オバマ大統領を動かしたのだ。

これが憲法9条を支えているのだ。日本国安倍首相が核兵器の廃絶に対して「道のりが長くて困難なもの」と所感を述べている。これが国連で協議している「核兵器禁止条約」に反対する信条につながる。何もわかっていない。

私が憲法問題で大西聡氏に進言したのは「安保法制だけが立憲主義に反してるのではない。アベノミクスの〝トリクルダウン〟など、貧しい人は金持ちのおこぼれで食えということだ」。こんな基本的人権冒涜はない。「原発再稼働でも消費税増税」でも、生存権が侵害されている憲法問題だ。高知では先の総選挙で1区では原発再稼働賛成、2区では反対という民主党内対立があった。これでは勝てるはずはない。

〇 私の「共産党物語」 6
(議会政治の体制内政党化に苦悩する共産党)

共産党の村上弘国対委員長が活動する時期は、石油危機が始まる時であった。当時の国会法は、通常国会が12月に召集されるように規定されていた。昭和49年が明け、朝日新聞が元旦特集号で前尾繁三郎衆議院議長と河野謙三参議院議長のビック対談を企画した。主要な論点は「共産党は議会政治の体制内政党かどうか」であった。

前尾議長は半年くらいの体験から「いまの共産党は議会政治の体制の中で政治をやろうと懸命に努力している。ただ、国や国会の行事の中に、戦前の慣習を続けていることにどう対応していくかという問題もある」と発言した。保守本流の政治家で、京都の選挙区で共産党の支援で知事を続けている「蜷川府政」に困り抜いている前尾議長の発言だけに、当時は国民的話題となった。一方で、年初に行われる衆議院議長が主催する各党個別の懇親会で、酒の入った前尾議長が、不破書記局長らに「君らの弁証法理論に誤りがある。ヘーゲル哲学を勉強し直せ」と難癖をつけ、共産党幹部を困らせる場面がしばしばあった。

第72通常国会は、石油危機による国民生活への対策が与野党の協力で行われた。それが落ち着くと、自民党は懸案の「靖国神社法案」(自民党衆議院議院全員提出者)を、4月12日、衆議院内閣委員会で強行採決した。本会議に上程する権限は議長にあり大混乱となる。前尾議長は冷静にこの法案が憲法違反で有ることを見抜き、5月25日まで43日間、本会議に上程せず参議院で確実に廃案にできることを確認して送付した。自民党から抗議を受けたが、村上弘国対委員長から評価を受けたことを記憶している。

通常国会が終わり、7月7日には第10回参議院通常選挙が行われた。自民党は歴史的金権選挙を行い、与野党伯仲状態となる。共産党は全国区で8名地方区5名を当選させ、非改選を合わせて20名(改選前11名)の議席を得た。この参議院選挙を機に、田中自民党政権は急速に衰えていく。

9月2日、前尾衆議院議長は与野党国対委員長とともにニュージーランド国会議長とオーストラリア下院議長の招待で親善旅行に出発する。福田一(自民)・楯兼次郎(社会)・村上弘(共産)伏木和雄(公明)・池田禎二(民社)のお歴々である。共産党の初参加で話題となる。この前尾議長と各党国対委員長の海外旅行が、帰国後に私が原因で大問題が起きる。

議長が海外に公式派遣となると日本大使館が公式食事会を開き、そして招待国の議長が公式晩餐会を行う。間の悪いことにすべての席で、村上弘国対委員長の隣の席が私だった。まず、オーストラリアの日本大使館の夕食会の食器(皿とグラス)に菊のご紋章があるのを村上委員長が「憲法違反だ」と私に文句をいう。「これじゃぁ、体制内政党とはいえない」と私が冷やかすと、怒ること、怒ること。

問題は、ニュージーランド国会議長主催の晩餐会で、それぞれの議長が、乾杯の出だしに、日本側は「女王陛下のため」といい、先方は「天皇陛下のため」というのが慣例である。そこで、同行の日本側の通訳に私が指示して、先方の「天皇陛下のため」を、「日本国民のため」と通訳することにした。この晩餐会はこれでなにごともなかった。ところが帰国後、楯社会党国対委員長が、「共産党の村上が天皇陛下のために乾杯した」と、『週刊朝日』に話し報道された。村上国対委員長は、私が漏らしたと誤解して大問題となる。
(続く)
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          次回の定期配信は、6月 9日(木)です。
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※野党共闘成否の鍵は、「国民の生活が第一」であることが、現行日本国憲法の要諦であることを国民に分り易く訴え、これに真っ向から反することを現実に展開してきたのが、憲法違反の自民党・公明党・追随性力であることを厳しく指摘することである。

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