「日本一新運動」の原点(324)―「ロッキード国会」正常化の裏に共産党の協力

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 私の「共産党物語」 10
(共産党の協力で、前尾議長は「ロッキード国会」を正常化できた!)
「ロッキード国会」の詳細について述べるつもりはない。関心をお持ちの方は7月初旬にK&Kプレス社から刊行される『田中角栄を葬ったのは誰だ』をお読みいただきたい。ここでは、昭和51年の第77回通常国会、通称「ロッキード国会」が国会史上最悪の混乱を続け、前尾衆議院議長が政治生命を懸けて、衆参両院議長裁定により、「国会正常化」を成功させたのは、共産党の協力によることを紹介しておきたい。

《第77回通常国会の特長》
昭和50年12月27日に召集された、第77回通常国会は、翌年の昭和51年5月24日までの150日間の会期であった。

(当時国会法で常会は12月に召集と規定)
この年の12月9日に衆議院議員の任期満了だから総選挙は必至であり、国会が波乱含みになるのは明かであった。ところが野党の社会・共産・公明・民社の4野党間に三木政権への対応に微妙なズレがあり、想定外で正常にスタートした。

紛糾したといえば衆議院の代表質問で、三木政権寄りとみられていた民社党の春日一幸委員長が戦前の共産党リンチ事件で宮本委員長が関係していたことを採りあげた問題ぐらいであった。これは反共の士・春日一幸氏の共産党への嫌がらせで世論から反発を受けた。自民党内の紛糾があったが、国会審議は2月初旬に、ロッキード事件が発覚するまで、実に平穏な毎日であった。

《ロッキード事件への共産党の姿勢》
「ロッキード国会」が紛糾し、真相究明を要求した野党は長期にわたって審議をボイコットする。その間、三木首相と中曽根自民党幹事長は、田中元首相に疑惑を集中させ、、児玉誉士夫証人の国会証言を不可能にする謀略を行う。このような状況が続く中、3月下旬に米国側との「司法取引」を結ぶ時期まで共産党は独自の動きはなく、社会・公明両党と協調した国会対策をとっていた。

3月22日(月)の午後3時頃、突然共産党の村上弘国対委員長から、私に電話があった。「平野君、もうすっかり春じゃのう。国会はどうなるんじゃ・・・」。とんでもない話だ。「春どころか真冬ですよ。何とか正常化できないでしょうか」。「前尾議長の正常化による真相究明の方針を理解している。そう伝えておいてくれ」との話に、私は〝おや!〟と思った。社会党や公明党と違って、解散に追い込むのとは異なった感触を得た。

この時期、福田一国家公安委員長が記者懇談会で「近いうちにロッキード事件どころではない事件が判明する」との話を思い出した。これと関係があるのかな?、と思案していたところ、4月に入って、米国から大変な報道が2つ発信された。ひとつは『ニュー・リパブック』誌で、「児玉誉士夫はCIAと関係があり、政府高官に流れた金の中にはCIA資金が含まれていた疑いがある」と。2つ目は『ニューヨーク・タイムズ』で、ケネディ政権時代の高官の話で「日本のひとつ以上の政党にCIAから資金が供給されていた」との報道だった。大騒ぎとなったのは自民党と民社党である。

この報道を機に、自民党は中曽根自民党幹事長を中心に民社党との連立政権を前提に、総予算を強行採決で成立させた直後に、衆議院を解散する密約を結んだ。社会党と公明党は、直ちに解散を要求した。共産党は「CIA資金」を問題とし、自民と民社を追及するために早期に国会を正常化すべしと主張し、前尾議長に協力する姿勢をとることになる。

村上国対委員長からの私への電話は、このことの予告であった。しかし、事態は三木・中曽根政権の強行策が成功していく。4月5日には、与野党幹事長・書記(局)長会談が開かれたが、中曽根幹事長の仕組みで決裂させて、自民と民社両党で話し合いを始めるためのセレモニーであった。

翌6日には自民と民社の2党だけで予算委員会理事会が開かれ、2党の審議日程が協議され、社会・共産・公明の三党を排除して総予算を採決することを決めた。前尾議長にとって最悪の状況となった。この日の夜、前尾議長は椎名自民党副総裁・灘尾同総務会長と「三賢人」と呼ばれる会合に出て意見を交換。私は帰宅の議長車に同乗して政治状況を報告。土砂降りの雨の中、議長私邸に向かった車中の空気は重く、前尾議長は口をつぐんだままであった。

深夜、議長私邸からタクシーで自宅に帰る途中、偶然NHKラジオで『ロッキード事件と政局―野党各党の党首に聞く』を耳にした。丁度、宮本顕治共産党委員長が発言中で「共産党としては、何とかして予算審議に出たいが、自民・民社が他の野党の審議参加を排除している。もっと話し合えば、話のつくことだ。前尾議長だって徹底的に話し合えといっているではないか」と。珍しく前尾議長をたてた話だった。7日の朝、前尾議長に報告、「わずかな光だな」ともらした。

《前尾議長への天の救いとなった赤旗報道》
せっかくの宮本委員長の発言にもかかわらず、事態は最悪となる。7日の午前10時から予算委員会が自民・民社だけで開会される。前尾議長が強行審議を止め、各党との話し合いを要請する。9日(金)深夜、衆議院本会議で昭和51年度総予算を、自民・民社両党だけで強行採決した。野党全党が欠席して総予算を採決したのは国会史上初めてであった。

本会議に欠席した社会党・共産党・公明党は、三木内閣の責任を追及する声明を出した。その中で社会党は「三木内閣打倒のため、全力を尽くす」と、公明党は「解散・総選挙で国民に信を問え」と主張した。共産党は解散には触れなかった。3党の声明には前尾議長の責任問題にふれていた。前尾議長は「正常化するまで、辞めるわけにはいかない。やりたくてやっているわけではないが、全力を挙げて国会正常化に努力する」と、記者団に語った。しかし、政治生命は風前の灯、絶体絶命状況となった。

4月12日(月)、政府与党首脳会談が開かれ膠着状況の国会審議について、1両日冷却期として野党の出方を見ることになる。これが前尾議長の窮地を救い正常化に向かう。翌13日、共産党の機関誌「赤旗」が中曽根幹事長が選挙区のテレフォンサービスで民社党との裏取引があったことを暴露したのだ。「3月のある時期から民社党と話し合いをして、四月十日に予算を通すという盟約をつくった。・・この功績も責任も全部私に帰す」

民社党との裏取引を自白したことになったこの発言は、国会正常化のための「カード」を失っていた前尾議長にとっては「天の救い」となった。さすがの自民党もこの事態に頭を抱え、宇野国対委員長から私に「今度の問題にはほとほと手を焼いている。幹事長が前尾議長に会って謝りたいとのことなので、何とか会えるようにしてくれないか」と懇願してきた。

さまざまな交渉を重ね、中曽根幹事長が「テレフォン発言」について民社党だけでなく他の野党、そして国民に対して謝罪して取り消すことを条件に、前尾議長に会い謝罪して、一気に国会正常化に臨むことになる。

《憲政史上初の両院議長裁定による正常化》
前尾議長は総予算の審議が始まる参議院と一体となって正常化する必要性を感じ、4月16日(金)午後3時に河野謙三参議院議長と会談し、腹合わせを行った。その後の手順は、1)17日(土)に、両院議長と成田知巳社会党委員長・宮本顕治共産党委員長・竹入義勝公明党委員長との会談。2)21日(水)に両院議長と三木(自)・春日(民)党首を入れた社共公の5党首会談が開かれ、『国会正常化に対する衆参両院議長裁定案』を提示し、5党首が了承した。

この両院議長と五党首会談が開かれるまで、社共公の書記(局)長や春日民社党委員長から異論が出て困難を極めた。会談が開けなくなる状況が生まれる。前尾議長が20日の深夜に社共公の党首に電話で協力を要請したが、成田(社)・竹入(公)両委員長は電話に出てくれなかった。宮本(共)委員長から電話があり、前尾議長が状況を説明した。前尾議長は「宮本君から激励されたよ。裁定に応じる感触だ。京都の知事選では宿敵だが、筋道の通る話だったよ」と私に漏らした。「ロッキード国会」の両院議長裁定の成功は、宮本顕治共産党委員長の配慮によるものだった。
(続く)

(K&Kプレス社刊行の『田中角栄を葬ったのは誰だ』は、ロッキード国会の話が中心である。7月2日(土)主な書店発売予定。 尚、「田中角栄逮捕40周年前夜」の7月26日午後6時より、憲政記念館講堂で〝シンポジウム・田中角栄〟を開催する。 多数のご参加を乞いたい。)
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           次回の定期配信は、7月7日(木)です。
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