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安保法案=戦争法案の違憲性は明白ー砂川事件での田中判決は米国の指令

今国会で最大の焦点になっている安保法案体系=戦争法案体系が与党が参考人として呼んだ憲法学者を含め、三人全ての学者が違憲だとの見解を明らかにした。これに慌てた政府は反論を提示したが、反論になっていない。取り敢えず、東京新聞の論説を紹介し、意見を述べることにする。

東京新聞は、次のように論説を展開している。

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 政府は九日、衆院憲法審査会で憲法学者三人が他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案を「違憲」と批判したことに対し、合憲と反論する見解を野党側に示した。自国防衛に目的を限った集団的自衛権の行使容認は、日本が攻撃された場合のみ武力行使を認めた従来の憲法解釈の「基本的な論理」を維持し、「論理的整合性は保たれている」と結論づけた。野党側は見解には説得力がないとして、国会で追及する方針。

 見解は、戦争放棄や戦力不保持を定めた憲法九条の下でも「自国の存立を全うするため、必要な自衛の措置を取ることを禁じているとは到底解されない」という従来の政府解釈に言及。自衛権行使を「国家固有の権能」と認めた砂川事件の最高裁判決と「軌を一にする」と指摘した。その上で、国民の生命や幸福追求の権利を根底から覆す事態は日本が直接攻撃された場合に限られていたが、軍事技術の進展などで、他国への武力攻撃で「わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」との認識に改めたと表明。集団的自衛権の行使は「自衛の措置として一部、限定された場合に認めるにとどまる」ため、これまでの政府見解との整合性は保たれていると主張した。

 一方、「いかなる事態にも備えておく」との理由から、集団的自衛権行使の要件に「ある程度抽象的な表現が用いられることは避けられない」と認めた。

 安倍晋三首相は八日、ドイツでの内外記者会見で「違憲立法」との批判に対し、法案を合憲とする根拠に砂川判決を挙げ「憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない」と反論した。

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 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を中心とした安全保障関連法案が多数の憲法学者から憲法違反と批判されていることに対し、政府が九日に野党に示した見解は最高裁の砂川事件判決(一九五九年)を挙げて、法案が合憲だと主張した。砂川判決とはどんなものか。 (金杉貴雄、西田義洋)

 Q 砂川事件とは。

 A 六十年も前の在日米軍基地の反対運動をめぐる事件だ。東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に入り、七人が日米安保条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された。

 Q 現在の集団的自衛権の行使容認をめぐる議論とどう関係するのか。

 A 「米軍駐留は憲法違反」として無罪を言い渡した一審の東京地裁判決(伊達秋雄裁判長の名をとり通称・伊達判決)を破棄した最高裁判決が首相が指摘する「砂川判決」だ。

 (1)憲法は固有の自衛権を否定していない(2)国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない(3)だから日本を守る駐留米軍は違憲ではない(4)安保条約のような高度な政治性を持つ案件は裁判所の判断になじまない-がポイント。首相らは「自衛権」や「自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれると主張し始めた。

 Q 争点は何だったの。

 A 日本を守るために外国の軍隊を国内に配備することが「戦力の不保持」をうたう憲法九条二項に反しないかが最大の争点だった。伊達判決が駐留米軍を「戦力」とみなして違憲としたのに対し、最高裁判決は「指揮権、管理権なき外国軍隊は戦力に該当しない」と判断した。日本が集団的自衛権を行使できるのかという問題は裁判ではまったく議論されず、判決も触れていない。

 Q 判決は、日本が行使できるのは個別的自衛権だけとも書いていない。

 A それは確かだ。それでも歴代政府は判決を踏まえて国会答弁や政府見解を積み重ね、一九七二年の政府見解では「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と明確にし、四十年以上維持されてきた。安倍政権がそれ以前の砂川判決を引っ張り出し「集団的自衛権の行使も許される」と言い始めたことに、憲法学者が相次いで「論理に無理がある」と批判している。

 Q 砂川判決の経緯も疑問視されているとか。

 A 近年の研究で、当時の裁判長の田中耕太郎最高裁長官(故人)が判決前に、一審判決を破棄すると米側に伝えたことが判明し、司法が中立性を損なっていたと批判されている。

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(東京新聞)

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 砂川裁判の焦点は、在日米軍が日本国憲法九条二項の「戦力」当たるか否か(日本国憲法の下位にある条約のひとつである日米安全保障条約が合憲か違憲か)であった。一審の伊達判決は憲法上許されない「戦力に当たる」との判決を下した。このため、これに慌てた米国が、ダグラス・マッカーサー二世(マッカーサーの甥)が岸政権と最高裁長官の田中耕太郎に圧力をかけて、伊達判決を破棄させた(1959年12月16日)経緯が明らかになっている。
 
 田中判決では、①戦争放棄や戦力不保持を定めた憲法九条の下でも「自国の存立を全うするため、必要な自衛の措置を取ることを禁じているとは到底解されない」②米軍は日本政府の指揮下にはない③「日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基盤に重大な関係を持つ高度な政治性を有するものが、違憲であるかの政府判断は(略)裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする」ーなどとされた。
tanaka 
「弁護士」出身の自民党の高村正彦副総裁は、「自衛の措置」に「個別的」と形容されていないことから、「集団的自衛権」も含まれていると屁理屈をつけて、安倍晋三首相らとともに今回の安保法案体系=戦争法案体系を国会に提出してきたわけだ。しかし、政府の従来の見解では、「国連憲章第51条では、日本には独立国家(引用者注:実際はそうではなく、日米安保条約を根拠とした対米従属国家=植民地)として個別的自衛権とともに集団的自衛権をも有するが、日本国憲法の制約から集団的自衛権を行使することはできない」という解釈が定着している。
 
「集団的自衛権」の行使が否定された1972年の政府見解を以下に記す。
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「 集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」
(昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料

「国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第 2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。

そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。

憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
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この歴史的に形成されてきた政府解釈を変更するためには、憲法変更が必要になる。それができないため、安倍政権は米国が強要した田中判決をさらに強引に解釈して、「集団的自衛権の行使」は憲法の番人である最高裁が認めたもので、今回の平和法案体系=戦争法案体系は憲法違反ではないと平然と言ってのけているわけだ。しかし、この解釈が詭弁であり、間違っていることは、自公、民主、維新が招致した三人の憲法学者が指摘した通りである。
 
サイト管理者が見る限り、問題点はまだ三点ある。第一点は、日本が自力で国民主権、基本的人権尊重、立憲主義、三権分立の民主主義国家となっていないため、国連憲章に日本を敵国とする敵国条項がまだ厳然として存在しており、その意味では憲法9条第二項は、日本を再武装させないために、連合国側が要求してきた条項ではないか、ということである。国連憲章における敵国条項削除が、日本が真の意味での世界平和に貢献するための第一歩であるが、敗戦70年に当たる今年8月、発表が予定されている「安倍談話」では、「謝罪と罪の償い」が入らない見通しであり、さらに言えば、戦前の軍国主義国家を目指している。こういう状況の下では、国連憲章における敵国条項の削除どころではない。
 
第二は、敵国条項を削除したとしても、再軍備は不可能であり、必要のないことである。国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」しており、世界平和の究極の責任は国際連合にあると規定していることである。日本の安全保障も国連の安全保障体制の強化、近隣諸国との集団安全保障体制の樹立などを通して、平和外交を基礎にして確立すべきものである。
 
第三は、田中判決が「統治行為論」をとって、独立回復後の日米安全保障条約の合憲・違憲性についての判断を停止し、事実上憲法の番人としての「違憲立法審査権」を放棄していることである。これは、近現代民主主義国家の基本理念である立法・司法・行政の三権分立を否定するものである。このため、日本では日米安保条約に記載されている「日米地位協定」が事実上の憲法になっているという悲しい現実が存在し続けている。
 
安倍晋三首相が詳細は知らないと言明したポツダム宣言には、「12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである」と明記している。しかし、敗戦後70年も経つのに、米軍は居座り続け、さらには「日米同盟」の名のもとに、世界の至るところで米軍の代理戦争を行わさせられようとしている。これが、今回の安保法案体系=戦争法案体系の真の姿である。

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