安保法案=戦争法案の本質は米国が画策する戦争への強制参加

安倍晋三政権は今週15日から24日までの間に真の世界平和を願う国民の意思を無視し、安保法案体系=戦争法案を強行可決する。野党としては伝家の宝刀として「内閣不信任案」を提出することができるが、宝刀も錆びている。しかし、不信任案は安全保障特別委員会委員長を始め衆院を構成する各種委員会の委員長など多数に対して、提出できる。衆院議長に対しても出せば良い。徹底抗戦しなければならない。何故なら、安保法案=戦争法案の本質は、米国が画策する戦争への米国の指令による強制参加にあるからだ。

これまで、憲法九条の制約で、歴代の内閣が憲法違反と否定してきた集団的自衛権の行使に踏み切る要件として、安倍内閣は次の三条件を挙げている。(1)密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(存立危機事態)(2)我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまるーである。

一番問題なのは、(1)の存立危機事態である。これについては、次のサイトで明快な説明がある。

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「存立事態」とは、
 日本と密接に関係する他国が武力攻撃などを受けて有事(戦争状態)になった時、日本が直接攻撃を受けていなくても、国の存立や安全が脅かされたり、国民の権利が侵害されたりする明白な危険があれば、自衛隊の武力行使や国民の権利制限が認められる状況を指している。
 …んだそうです。

 攻撃されていないのに、もう滅びそうなくらい危うい時。
 それってどんな時なのでしょう?
 想像つかないけど…なんかものすごいピンチな時、な気がしますか?
 
 いやいや、そういうわけではないのです。
 
集団的自衛権の行使を認めようと強硬な姿勢に出ていた(結果、閣議決定がなされてしまったわけですが)昨年夏、政府や与党はしきりに「日本が集団的自衛権を行使して米軍を守らないと、日米同盟が著しく毀損される(危機的な状況になる)」と繰り返し主張してきました。つまり、政府・与党はこういう理屈で進めようとしています。

「日米同盟=日本という国家が存続していく上での命綱」なので、アメリカが他国と戦争になった時、同盟国である日本が「集団的自衛権の行使」の名の下にアメリカの援軍として参戦しなければ、アメリカからの信頼を失い、日米同盟が破棄されてしまう(=日本の存立が危うくなる)。だから、日本が当事国でなくても(攻撃を受けていなくても)、アメリカがどこかで戦争を始めれば途端に日本の存立が危うくなる「存立危機事態」におちいる。

そこで、そういう「存立危機事態」には集団的自衛権を行使しなければならない、という理屈になるようです。この理屈がまかり通るなら、残念ながらアメリカは、けっこう絶えずいろんなところで戦争しているので、けっこう絶えず「存立危機事態」に陥っているので、日本も絶えずどこかで戦争していくことになります。

『存立危機事態』という言葉、そもそもなんか…センスがあるのかないのか、よく分からない言葉だなぁと思うのですが、無理矢理、新しい概念をひねり出してごまかそうとしているような気がしてなりません。何度も繰り返し発信してきましたが、集団的自衛権とは、そもそも私たちが普段想像するような『自衛』とはまったく次元の違う概念です。

個別的自衛権は、「やられたからやり返す」という単純な自衛の権利ですが、集団的自衛権は、自分の身が危うくなるかどうかは関係なく、同盟国を守るために戦争に参加すること(他国防衛)をいうのです。日本国憲法9条は戦争放棄と戦力不保持を宣言しているのですから、その9条が、集団的自衛権の行使(他国間の戦争への参戦)を認めている、と読むことは、9条の死文化に等しいほどの禁じ手です。

政府は、「いやいや、集団的自衛権の行使といっても、積極的に戦争を仕掛けるのではなくて我が国の存亡にかかわるような時だけですよ」とカモフラージュしたいのかもしれません。でも、最初のあたりで書いたように、日米同盟の危機=存立事態、というのであれば、結果的にアメリカの戦争には常に自衛隊を差し出すしかないではありませんか。それをうまくごまかしたいから『存立事態』というよく分からない概念を作り上げたいのではないか、という気がしてなりません。

武力攻撃事態法は、すでに侵略されたりテロが発生した時に国民の基本的人権を一部制限して対処することができるような条文になっています(3条・8条参照)。『存立事態』という新たな(ほんとにちょっとよく分からない怪しげな)概念を加えることで、国民の自由の制限をもっと緩く認めようとしているのではないか、とも考えられます。

いずれにしても、民意を置き去りにしてどこまでも戦争するための法整備が進んでいます。議員へのメールでもいいし、新聞への投書でもいいのです。周囲の人々に『知ってる?あのね、』と伝えるだけでもいい、皆さん一人ひとりが、それぞれの「そんなの黙ってませんよ」、というアクションを起こすことが何よりも大事です。
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要するに、米国が日本の命綱だから、同国が日本を見捨てると日本の存続は危うくなる、だから、同国の要請(=指令)に従って、日本の富と人を差し出して同国が画策する戦争に加担しなければならない、という理屈である。この理屈が集団的自衛権の行使を禁じた憲法9条違反であることは明々白々である。

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自衛権を個別的自衛権と集団的自衛権に分けたのは、国連憲章第51条である。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、 個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」

この51条をよく読むと、個別的自衛権、集団的自衛権の行使は国連安保理が国際紛争解決のため必要な措置をとるまでの暫定的措置と推察できる。このことは、日米安全保障条約を見ると、一段と明確になる。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならな い。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない」

日米安保条約でさえ、「共通の危険に対処する」ための行動は一時的なものであり、国際紛争解決の最終的な機構は、国際平和維持軍を指揮する国連安全保障理事会と認めている。従って、憲法9条は、日本の安全及び国際紛争解決の最終的な拠り所を、国際連合(安全保障理事会)に置いている。

国連の機能低下、形骸化が叫ばれて久しいが、これは東西冷戦が主たる原因であった。しかし、東西冷戦は終焉したのだから、米国はマルチラテラリズム(多国間協調主義)に乗り出し、日本とともに国連の再建、機能強化に乗り出すべきであった。

しかし、米国はそれができず、年間60兆円産業とされる軍産複合体の圧力のもとで、政治・軍事的にはユニラテラリズム(米国覇権主義)を維持し、経済的には新自由主義の世界的な輸出に乗り出し、覇権体制を維持してきた。しかし、昨今の新自由主義による量的金融緩和政策の下で世界的なペーパーマネーが溢れ、世界同時株安を始めとした国際的な金融不安、世界経済の不安定化がもはや誰の目にも明らかになった。その中心は他ならぬ巨額の財政赤字、大幅な経常赤字、世界最大の対外純債務国(借金国)の「三つ子の赤字」に苛まれている米国自身である。米国はもはや覇権主義を維持できなくなっているのだ。

しかし、覇権体制を失いたくない米国は日本を財布国家化、私兵国家化、完全な植民地国家化して、延命策を講じようとしているのである。日本が憲法9条の精神を生かし、自国の安全保障を確保しつつ、世界平和に貢献するためには、国連の再建と機能強化しかない。命綱が「日米同盟」である時代は遠い過去のことである。

 

 

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