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細川護熙元首相の都知事選立候補観測で官邸、ネガキャンペーンを開始【追記】


細川護熙(もりひろ、朝日新聞記者出身)元首相の都知事選立候補観測で官邸が慌て、マスコミを使ってネガティブキャンペーンを展開し始めた。その骨子は、①高齢②小沢シンパ③佐川急便問題ーである。しかし、いずれも的外れだ。

まず、高齢問題に対しては、鈴木俊一都知事(当時)が80歳の高齢で四選出馬し、四選挙を果たした経緯が在る。Wikipediaに次のような展開であったことが記されている。

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1991年東京都知事選挙に際しては、自民党は小沢一郎幹事長の主導により4選をめざす鈴木を推薦せず、元NHK記者の磯村尚徳を擁立する。当時、自民党は参議院で過半数を割り込んでおり、ねじれ国会の運営を円滑に進めるためには、公明党の協力が不可欠であった。しかし自党に80歳定年制のルールを敷く公明党が当時80歳の鈴木の推薦に難色を示したため、利害が一致した自民・公明2党は磯村の擁立を強行し、民社党本部も磯村を推薦する。しかし、鈴木都政を支えてきた粕谷茂ら自民党東京都連の幹部は、党執行部による一方的な決定に猛反発し、鈴木も自民・民社都連の推薦で4選出馬を決断する。また鈴木は田英夫ら、中道・リベラル派からの支持も受け、首都・東京の知事を選ぶ選挙戦で党本部・都連が別々の候補者を推薦する異例の事態に発展した。都知事選には鈴木、磯村、日本共産党推薦の畑田重夫、日本社会党推薦の大原光憲のほか、無所属の内田裕也、浜田マキ子、中松義郎ら泡沫候補が次々に出馬し、総勢16人で争われた。鈴木は高齢批判に対して有権者の前で立位体前屈をして見せて若さをアピールし、磯村は銭湯で高齢者の背中を流す、なりふりかまわぬパフォーマンス合戦が繰り広げられたが、結果、反鈴木票の分散に乗じて鈴木が4選を果たし、磯村擁立を主導した小沢一郎は幹事長を辞任に追い込まれた。選挙後、東京都議会では日本社会党が知事与党に加わり、4期目は事実上のオール与党体制で都政運営を行った。

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細川氏は当時の鈴木氏に比べ75歳と5歳若い。しかも、日本人の平均寿命は年々伸びている。立候補すれば二期は都知事としての重責を果たせる。熊本県知事を努め、評価が高かったこともあり、地方行政に極めて明るい。また、細川連立政権時代に首相を努め、国政にも通じており、国政と直結する東京都の知事には最適である。東京都は東電の大株主である。東電を法的整理し、同社を再生するももに、「コントロール下に在る」と語った安倍晋三首相の大嘘を追及し、福島原発の事故収束に協力するとともに、収束に真の道筋と実績を積んだうえで、東京オリンピックの成功に大役を果たしてもらいたいーそう考える東京都民、日本国民の声は大きい。

第二は、生活の党の小沢一郎氏との関係が深く、そのシンパだというものだ。これは、実は「ネガキャン」にはなり得ない。小沢氏は自民党の幹事長を務め、同党総裁➤首相にもなれる器があった(実際に自民党の実力者であった金丸信氏から党総裁への就任を打診されたことが在る)。しかし、1990年前後の戦後の冷戦構造の崩壊に直面し、従来の55年体制では日本の発展に限界が来ると先を読み取り、「自立と共生」の理念を掲げて、戦後の1955年体制(自社馴れ合いの対米隷属反共官僚支配似社会主義体制)の切り崩しと、二度にわたる政権交代(細川連立政権、民主党政権)を成し遂げた戦後最大の政治家である。


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