昭和天皇「極秘指令」(講談社+α文庫)文庫版まえがき―日本は核武装すべきなのか

本論は第一次安倍政権、つまりは政治史に残るべき政権交代前の「安全保障論」を分析したものである。本号に転載した「まえがき」とともに、「昭和天皇『極秘指令』」を手にしていただき、もう一度、ひとりの国民としてこの問題に向き合うべきである。(日本一新の会事務局)

☆昭和天皇「極秘指令」(講談社+α文庫)より転載 文庫版まえがき―日本は核武装すべきなのか

わが国でどうしてこんな書物が刊行されるようになったかと驚いたのが、中西輝政編著・PHP研究所刊行の『「日本核武装」の論点―国家存立の危機を生き抜く道―』である。中西輝政氏や著者の一人櫻井よしこさんとは、かつて、政治改革を通じて自民党の手法に代わる政治を実現すべく大いに論議したことがあった。十数年前のことであるが、世の中も変わったが人も変わったと、つくづく感じた。

彼らがなぜ、「日本も核武装を」という発想になったのか、書店で見つけた平成十八年十月一日、購入して読んでみた。すると、核武装した中国と核武装の準備中といえる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対する恐怖心から執筆した書物であることがわかった。そして、日本は国家存立の危機に瀕しているとして、呪文のように「核不拡散」「核廃絶」を唱えるばかりでは、日本はもはや国家の体をなしていない、という思想であふれていた。

二日間で読み終わった同月三日、講談社の間渕隆副部長から本書『昭和天皇の「極秘指令」』の文庫本化について話があった。かねてから検討していたとのこと。有り難い話だと準備にかかろうとした矢先の同月九日、北朝鮮は核実験を行った。安倍晋三首相の訪中、訪韓の時期をねらって行うという暴挙であった。本書とのからみでは、偶然とはいえ運命的なものを感じた。

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本書は、平成十六年四月に刊行したものである。二期十二年間参議院議員を務め、同年七月の参議院選挙に出馬せず引退を決意した時期であった。本書で触れたことがらは衆議院事務局勤務の三十三年間と併せて半世紀近い国会生活で、私か体験したことのなかでも、国民の皆さんに知ってもらいたい最大の課題であった。しかし、本来、墓場まで持っていくべき前尾繁三郎衆議院議長の遺言を公表したことについては、さまざまな立場の人々からご意見やご批判をいただいた。

その中には「天皇に関わる秘密を公表すべきでない」とのお叱りや、核武装論者と思える人物からは「昭和天皇を利用して非核政策を定着させる意図だ」との批判もあった。これらの意見にもかかわらず、三年近く経ってあえて文庫本化して、あらためて国民の皆さんの前に提示するのには、特別の理由がある。

ジョージ・ブッシュ米大統領は、イラクに大量破壊兵器があると事実を偽ってイラク戦争を起こした。小泉純一郎前首相はこれに追随し、自衛隊まで派遣して協力した。しかし米国民は、ブッシュ大統領のイラク戦争政策に対して、二〇〇六年十一月の中間選挙で厳しい批判をつきつけた。にもかかわらず、小泉政治を継承した安倍自民・公明連立政権は、米国のイラク先制攻撃を正当化し続けている。その過程の中での北朝鮮の核実験である。

安倍首相は、かつて「日本の核兵器保有は憲法の禁ずるところでない」との重大な発言をしたことがある。この安倍理論を察したかのように中川昭一自民党政調会長と麻生太郎外務大臣が相次いで、「日本の核兵器保有について議論があっていい」と発言した。国内外から批判が続出し、自民党内からも自制を求める声が出たが、さらに中川、麻生両氏は、「個人の立場の意見である」「言論の自由を封殺すべきでない」「非核三原則は守る」と、核兵器保有論議を国民的に拡大させた。

問題は安倍首相の姿勢である。「非核三原則を守っていくということは、閣僚も党の幹部も意見は一致している」とし、発言の自制を求めず黙認した。こういった安倍政権の態度に対して、欧米では北朝鮮の核実験も暴挙であるが、日本の政権内部指導者の「核兵器保有論議の誘導」も悪質で危険であるとの批判が続出した。

本書を刊行した平成十六年四月の時点よりも事態は進み、日本人の核問題に対する意識は危険水域に入り込んでいる。本書の文庫本化はそれに対応するためのものであり、この機会に私の「核問題」への意見を述べておきたい。

「核問題」、それは核兵器だけのことではない。エネルギー、医療など、さまざまな人間の生活分野に拡がっている問題でもあるのだ。私は、その有用性や危険性などについて、徹底的に議論すべきだと思う。ただし、核兵器について政治家が議論する場合、議論の意図、内容、タイミングなどについて、責任が生じることを覚悟しておかなければならない。そこで、中川政調会長と麻生外務大臣の発言のどこが問題なのかについて指摘しておく。

第一に、両氏とも「個人の意見」と逃げているのは、政権与党の政策責任者や内閣の外交責任者としてあるまじき、無責任な姿勢である。基本的に、国家の重要施策について、政治家の意見に個人も公人もない。仮に政権の方針とそれに参加する政治家の主張が著しく違う場合には、主張を変更したり職を辞することによって対応しなければならない。

第二に、「言論の自由だから封殺すべきでない」と、両氏とも開き直っていることである。たぶん「個人の意見を封殺すべきでない」との意味であろう。「思想と言論の自由」は、民主政治の基本である。彼らが政権の要職にいても、「言論の自由」によって活動するのは当然のことである。しかし、それは政権の基本方針と違う見解を、「個人の意見」として垂れ流すのを許容するものではない。「言論の自由」とは、政治家としての信念を保障したものであって、嘘をつく権利などないのである。

第三に、両氏の「非核三原則《持たず、作らず、持ち込ませず》の従来の政府の方針は守る」としたうえで、北朝鮮の核実験に対応するため「日本の核兵器保有について論議すべきだ」という主張の矛盾である。この論理に両氏の政治家としての不誠実、欺瞞がある。「非核三原則」を本当に守る気があるなら、「北朝鮮が核実験をやっても、日本は核武装すべきでない」と主張すべきだ。両氏と同様に安倍首相も、政権の要職に就いていない時期に「非核三原則」を見直し、核兵器を保有することに積極的な発言を繰り返していた。どうして堂々と本心を主張する論議をしないのか。

第四に、両氏には、日頃の本心を隠して、安倍政権に不利にならないようにしながら、北朝鮮の核実験を絶好の機会とみて、核兵器保有・核武装の必要性が国民世論となるよう誘導する狙いがある。非核三原則を本心から守る気があるなら、両氏とも「日本は核武装すべきでない」との主張を提起すべきで、「核武装について論議すべきだ」との主張は、両氏の場合、「核武装すべきだ」と同義語である。この両氏の発言を黙認している安倍首相の姿勢は、核武装に対する「サブリミナル(刷り込み)効果」を狙ったもので、安倍政権の「ヤラセ」行為である。彼らの政治手法がここまで悪質になったことは、わが国にとって一大事である。

この安倍政権による核兵器保有論議の「ヤラセ・サブリミナル効果」は、それなりの成果があった。直後の各テレビ局の世論調査で「核兵器保有論議を容認」が五〇%を超えていたからだ。その後、国会での論議やマスコミの論調も活発となり、平成十八年十一月のNHK世論調査によれば、「核保有すべきでない」が六七%、「核保有すべきだ」が八%となった。国民は冷静さを取り戻したようだ。

中川政調会長はその後、「私は核保有の議論をしろと言っているのではない」と発言を修正した。熱心に国民世論を煽っていた中西輝政氏もフジテレビのある番組(十一月十九日放映)で「日本の核武装についてもっとも強く反対したのは私だ」と都合よく力説しておきながら、「非核三原則の『持ち込ませず』を見直し、米軍の持ち込みを容認」する発言をして、トーンを変えた。

また、わが国の「非核三原則」について、安倍首相は党首討論(十一月八日)で、「政策判断である」と発言したが、ここに根本的な誤りがある。「非核三原則は国是である」ことを忘れてはならない。「国是」という言葉は法律用語ではない。「国是」とは国家の根本方針であり、その国が拠って立つ国家理性であり、場合によっては憲法をも規制するものである。状況によって変更することができる「政策」などではない。

唯一の被爆国として核兵器の恐怖を体験し、太平洋戦争の三〇〇万人を超える死者の犠牲の上に再建された日本国が世界に誓った国家理性、それが「非核三原則」である。そして、この国是をつくり、それを守るために、渾身の努力を傾けられたのが昭和天皇であった。

仮に日本が核武装することになれば、国際社会から厳しい批判を受け、核燃料であるウラニウム等の供給をストップされる。そうなれば、原子力発電が機能しなくなり、産業活動のみならず、国民生活にも支障をきたすようになる。さらに、日米安保体制は崩壊し、日米関係は緊張しよう。そして、国連から経済制裁を受けるなかで、核拡散防止条約(NPT)を脱退することになる。唯一の被爆国として国を挙げて核兵器廃絶を訴え、築き上げた信頼は根っこから崩れ去るのだ。

これで国家として存立していけるのだろうか。このことを承知した上で、本心で嘘のない「核問題」を論議するというのなら、「言論の自由」も保障されよう。核戦争という歴史の悲劇を知らない戦後生まれの有識者の中で、「核兵器保有」なくして国家の安全保障は成り立たないと論じる者が多くなった。政治家の中にもいる。言葉をごまかしているが、安倍首相も中川政調会長も麻生外相も、本質的にその類である。「核兵器を保有すれば、日本は亡びる」―これが、日本の宿命であることを銘記すべきだ。

平成十八年十二月に来日した国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長も、日本国内での核保有論議の容認論に対して、「日本は核の倫理を語る責任が、唯一の被爆国として、ある。もし日本が核兵器を求めれば、それは文明の終わりの始まりだろう」と語っている。

ならば、何が国家の安全保障を支えるのか。それは国家を指導する政治家の覚悟である。第二次世界大戦中に仏教学者の鈴木大拙師が提唱した覚悟が参考となる。「日本は覇権を求めるべきでなく、世界の精神文化に貢献するのが使命である。日本的霊性的自覚の世界的意義を高揚するよりほかない」(『日本的霊性』昭和十九年刊行)。

いま、「国家国民の安全を、生命を懸けて守る」という覚悟のある政治家が何人いるのか。「愛する妻と子供らの安全は生命を懸けて守る」という覚悟を持つ父親が何人いるのか。国家国民の安全保障の基本は常に責任ある者の「覚悟」にあるのだ。

昭和天皇は、敗戦後の日本が平和で繁栄する基本条件として、核を廃絶し核兵器を保有しないことを信条とされていた。それは「象徴天皇としての覚悟」でもあった。信頼する前尾繁三郎衆議院議長にその信条を伝え、核拡散防止条約の国会承認と批准を成功させたのである。そのときの国会は、ロッキード事件の発覚で紛糾し、田中角栄元首相の逮捕という事態の中であった。本書の文庫本化が、昭和天皇の「ご意志」を多くの国民が理解する機会となれば幸いである。

平成十九年三月 平野 貞夫

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