日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○「故郷(ふるさと)を大事にしよう」小沢一郎氏と菅原文太氏夫妻、大いに語る!

大型連休前、任侠映画で名を馳せた、優の菅原文太氏と会う機会があり、その時「小沢さんと会って言いたいことがある。平野さん、セットしてくれないか」という経緯で、5月30日(金)夕刻、神田の〝割烹ゐの上〟で、小沢さん、菅原ご夫妻に私も加わって、2時間を超えて懇談した。

菅原夫人は都立小石川高校で小沢さんの一年後輩とのこと、そんな縁もあって話は大いに盛り上がった。〝割烹ゐの上〟は、私の故里である土佐料理の居酒屋で「20数年前に非自民細川政権をつくるため、作戦を論じた常宿ですよ!」と、私が説明すると菅原夫妻は驚いていた。

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文太氏が、これからの政治展開について小沢氏に質すと「国際情勢がきわめて複雑に緊張してきた。特に東アジアの諸国で何が起こるか想定できない時代になった。日本もしっかりと腰を据えた外交が必要だ」と、ウクライナや中国、そして朝鮮半島の最近の動きについて気をつけておくべきだと話していた。

文太氏は、自らが代表を務める「いのちの党」の活動について説明して「一極集中の経済成長中心の政策を変えるべきだ。いのちの党は、故郷を大事にする運動を始めている。故郷に仕事をつくり、エネルギーと食糧は日本で確保しようという社会運動を拡げていきたい」と、真剣に聴き入っていた小沢氏に協力を要望していた。

懇談が佳境に入ったところで、いきなり文太氏が「平野さん、昨夜は驚いたよ。駅で大手5社の夕刊を買った時、日刊ゲンダイの社長が友人なので久しぶりに買って開いたところ、平野さんの怒った顔写真が大きく出ていた。集団的自衛権問題について〝歴史を知らない政治家と、バカな学者の議論は見るに堪えない〟と、一頁の直撃インタビューがあったよ。反響はどうだった?」と、私に矛先を向けてきた。

「実は今日(5月30日)に掲載する予定だったのが、突然1日早く載せて私も慌てたんですよ。しかも、3カ所も誤りがあって訂正記事を出すように言っておきましたよ」(直撃インタビューの反響と補足) 反響第1号は、元友愛会系労組幹部から30日午後1時頃の電話で「記事の内容はともかく写真が良かった。やっと来年80歳の顔になったな」と、とんでもない反響だった。

その夜、創価学会元幹部と久しぶりに会食したが、「公明党に、〝与党協議に応じてはいけない〟とはその通りだ」と、甚く評判が良かった。翌31日になると、創価学会や公明党関係の反響が大きくなる。都内練馬区で創価学会の元幹部が回し読みしているとか、埼玉県某市の公明党所属市議会議員が、私の意見に賛同し「このままでは、来年の地方統一選挙に敗ける」と活動を始めたようだ、との情報が入ってくるようになる。反して政党や政治家からの反応はまったくない。

ところで「この話は載せておくように」と、担当記者には言っておいたが、紙幅に限りがあってか、落とされた部分がかなりある。ただ一点だけ、これは大事なことなので、敢えて「メルマガ・日本一新」で補足しておく。

(吉田首相が退陣のとき、衆議院解散に拘った理由)

昭和29年、吉田内閣は第24回国会で、総辞職か衆議院解散かの選択を迫られる。国民世論も自由党の大勢も、長期政権の弊害や疑獄事件の発生で退陣を要望した。緒方竹虎副総理以下が説得するも応じない。

切り札として元衆議院議長で又従兄弟の林穣治先生が説得に行く。その時の話を林先生から私は直接聞いた。大事なことなので採録しておく。「吉田さんは『再軍備のために憲法改正しろ』とか『戦前回帰への動きが心配だ。そうならないため退陣しないんだ』と、しきりに言っていたな。益谷秀次君や小沢佐重喜君(一郎氏の父)たちの意見もあり、最後に僕は『日本国民を信用しましょう』と言ったら、ようやく総辞職を決断してくれた」

吉田茂首相が、日本国民を信用して退陣してから60年の月日が流れた。この間、日本国民は信じるに足りたが、現在の日本国民の中にある「戦前回帰の動き」を私は危惧している。原因は社会の木鐸を放棄したマスメディアにある。三百万人有余の犠牲を強いた戦前の悲劇の歴史を繰り返してはならない。

○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)
5、ユニテリアン思想で人類の再生を!
「友愛会」といえば、もう一方で知られているのが鳩山一郎元首相である。戦後の政界復帰(昭和27年)で、「友愛会革命」を演説し、民主主義を確立するためには「智」がなければ「衆愚政治」になると論じている。鳩山一郎氏の友愛運動は戦前からのもので、ユニテリアンの影響というより、フランス革命の「博愛運動」からのものである。

鳩山一郎氏の孫、由紀夫氏が、民主党代表として歴史的政権交代を成功させ首相となった時期に、政治活動の理念を「友愛」とすると論じたことがある。朝日新聞の社説が「ユートピアで政治ができるか」と、切り捨てたことを記憶している。両者とも真の「友愛」の意味を知らないようだ。鳩山家による友愛運動は資産家の慈善運動であり限界がある。一定の意義は認めるが、現実の政治では理解されない。

21世紀に出現した異様な文明は、市場原理が神の手によるものでないことがわかった。資本主義の凶暴化は、地球資源を枯渇させ、環境を破壊し続けるようになった。高度情報化したマネー資本主義は、国家の存立だけではなく、人間の生存まで侵害し始めるようになった。デモクラシーと呼ばれる政治機能にさまざまな障害が生じているのが現実である。

人間は古来から文明を発展させることを幸福の基盤としてきた。そのため「所有欲求」と「存在欲求」を排他的に拡大させる競争を続けてきた。それが資源や環境問題の原因となり、現代社会の混迷となった。考えてみれば、人間は社会的動物であり、ともに生き、ともに幸せになるという「共生欲求」を本能としてもっていた。これを退化させたのが近代文明である。「共生欲求」とは、「人類愛であり、隣人愛であり、困った人を助ける」というユニテリアン思想と共通するものである。

平成23年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故による悲劇は、人類が到達した文明の崩壊を警告するものである。この事態を反省して新しい思想・哲学に向けての動きも始まっている。哲学者・柄谷行人氏らである。平成24年11月に刊行された『哲学の起源』(同氏著・岩波書店)も、そのひとつの見識である。

そこには「アテネで始まった『デモクラシー』は、独裁を崩すと同時に専制をつくるものだ。実体は経済的格差や事実上の奴隷制を前提としており、自由と平等は対立して存在していた」と厳しく指摘している。そして、ギリシャのアテネに先行する古代イオニアのイソノミアの自然哲学の『無支配』に注目し、「自由であるが故に平等である」とする、真に平等な人間社会をつくろうとする考え方を紹介している。

その思想を継承したものが、18世紀から19世紀にかけての「東部米国の植民者によるタウンシップ」即ち「草の根デモクラシー」だと主張し、ジェファーソンの「基本的共和国」の構想が実現しておれば、正しい統治形態が実現していたと論じている。ジェファーソンといえば、ユニテリアンであり、草の根デモクラシーの創造者でもあった。万次郎は十九世紀の中頃、米国東部のフェアヘブンでユニテリアンを学ぶタウンシップを体験していることは、説明したとおりである。

さらに、注目しておきたいことは、古代ギリシアのイオニア自然哲学は、「人間と世界を一貫して自然として見ること」(柄谷行人前述書)である。これこそ土佐南学の原点である「自然と人間と一体」として理解しようとする「土佐縄文学」の神髄である。機会があって柄谷行人氏に「日本の縄文時代に神と自然と人間が一体という、イソノミアの〝無支配〟に共通した発想がある」と伝えたところ、NPO法人「国際縄文学協会」で講演してくれることになった。

柄谷氏は、平成24年10月18日の「縄文未来塾」で柳田国男の縄文人の先祖信仰を検証して「平等な人間の生活があった」と論じて、縄文考古学の新しい方向を指摘し「縄文イソノミア思想は、古代ギリシアや日本だけでなく、地球全体にあった」と結んだ。

現在のマネーゲーム資本主義は、近代欧米文化の合理主義が原点である。近代に創られた人間の根本を見直す、新しい思想や哲学が必要である。ユニテリアン思想の再生が必要であり、その意味で万次郎への関心と研究が欠かせない。

 

 

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