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日本の再建は日米安保条約を改変する「対米独立革命」から始まる【追記】


本年2015年は、日本が「終戦」と呼ぶ1945年の敗戦から70周年に当たる。しかし、日本は1951年(昭和26年)9月8日に吉田茂全権委員によって署名され、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効、「昭和27年条約第5号」として公布されたサンフランシスコ条約によって独立を回復したことになっているものの、亀井静香衆議院議員(無所属・元自民党政調会長・国民新党党首)が述べているように、実際は占領軍=米国から独立していない。外国(米国)の占領軍=GHQ=によって憲法が起草された他、その国の軍事基地が事実上の治外法権を持つ軍事基地が沖縄県、東京都を始め、全国至るところにある。このような国が、「独立国」と言えるわけがない。日本の政治経済社会のゆがみの構造の根源は、ここにある。従って、日本の真の再建は日米安保条約を改変する「対米独立革命」から始まる。

注目を要するのは、サンフランシスコ講和条約が結ばれた1951年9月28日、吉田茂首相が同日、米国との間で旧日米安全保障条約に調印したことである。旧安保条約では第三条で「アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する」と規定している。

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そして、これが1960年に結ばれた新安保条約第六条「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される」に引き継がれている。

この「日米行政協定」は後に「日米地位協定」に名前を変えるが、この日米地位協定が事実上の日本の憲法である。そして、日米間の取り決めを決定するための最高機関が「日米合同委員会」であり、事実上の日本の内閣である。日米合同委員会は、米国側が米国の軍産複合体の意を体した在日米軍幹部、日本側は東大阿呆学部出身のエリート官僚群からなり、在日米軍幹部の意向を日本側が「承知つかまりました」という組織である。

どうしてこのような状況になったのかを、かいつまんでおさらいしたい。1957年7月8日に特別調達庁東京調達局が砂川町(当時)にあった立川基地拡張のため強制測量をした際に、同基地拡張に反対する左翼デモ隊の一部が、米軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国と米国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された。

この裁判は砂川裁判と呼ばれた。そこで、東京地方裁判所の第一審(裁判長・伊達秋雄)では、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した。これが、有名な「伊達判決」と呼ばれるものである。

在日米軍基地の使用不能化・撤退を余儀なくさせる同判決に困った米国側は、ダグラス・マッカーサー2世駐日大使を使い、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけ、さらに、最高裁長官・田中耕太郎と密談し、一審の判決を破棄するように命じた。

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【砂川裁判最高裁大法廷】

このため、田中長官は1959年12月16日、「「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」」との判決を下した。そして、砂川裁判はこの田中判決で結審することになる。

つまり、「日米安全保障条約のような高度の政治的問題については、最高裁判所は憲法判断をしないで良い」という「統治行為論」を使って、憲法の定める「違憲立法審査権」を自ら放棄したのである。近代国家の法体系は日本国憲法を含め、憲法が最上位の法規範であり、その下に各国と締結した条約がある。そして、条約と整合性を持つ法律は条約の下にあり、最下位の法規範となっている。このため、日本国憲法は当然、外国と結ぶ条約に対する「違憲立法審査権」をも持つ。日本の最高裁判所は、民主主義・国民主権・法治主義をとる各国では当然のこととされている「憲法裁判所」(憲法の恣意的解釈や憲法違反の条約、法律の無効とすることができる)としての性格を有しているのであった。しかるに、最高裁の田中判決はこれを放棄し、憲法違反の判決を下し、自ら進んで実質的に三権分立制度を破壊したのである(2015年1月16日10時29分加筆修正)。付言しておけば、日本の裁判制度のもとでは上級審に行けば行くほど、対米隷属の性格を持つ判決が申し渡される。

話を元に戻すとこのため、1960年に岸信介内閣によって締結・批准された新日米安全保障条約が実質的な憲法になってしまった。そして、新安保条約の中でも六条に規定された日米行政協定(日米地位協定)がその具体的な内容になり、同協定に基づいて設置された日米合同委員会が実質的な、高級官僚が忠誠を尽くす内閣になる。下図がある程度判明している日米合同委員会の組織図である。この委員会は実質的に非公開であり、日本の政治の「奥の院」である(クリックすると拡大します)。

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2009年夏の総選挙で大勝した民主党内閣の鳩山由紀夫首相が2010年4月6日、財務・外務・防衛関係省の高級官僚を集めて、「沖縄県普天間基地の代替地として徳之島を充てることを命じる。機密事項であるため、(マスコミ等への)口外無用」旨命じたにもかかわらず、出席官僚がマスコミにリークし、「普天間基地は最低でも県外に移設する」という公約を掲げて大勝した同首相の意思に反逆し、鳩山由紀夫首相を首相の地位から引きずり下ろした(小鳩の春の終焉)。

この高級官僚の動きは、砂川裁判によって骨格が定まった日本の対米隷属政治経済体制の必然の結果である。現在、植草一秀氏の指摘する「原子力発電再稼働、憲法改悪、消費税大増税強行、環太平洋連携協定(TPP)締結、辺野古への米軍建設基地、経済社会格差拡大(アベノミクス=新自由主義に基づく経済「政策」=掠奪主義)」は、戦争を欲する米国軍産共同体→日米合同委員会が定めたものであり、根底に「対米独立革命」を置かなければ、阻止することは不可能である。早い話が、現翁長雄志沖縄県知事が裏切り者の仲井眞弘多前沖縄県全知事の「埋め立て申請商人」を「取り消し・撤回」したとしても、必ず行政裁判が行われ、米国で軍産複合体が事実上の権力を握っている限り、必ず最高裁で政府側が勝訴するだろう。


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