「日本一新運動」の原点(292)ー戦争放棄は縄文時代からの日本人の根源的発想

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○『サンデー毎日』村上正邦氏との対談で考えたこと!

11月11日(水)、村上正邦氏(元自民党参議院議員会長)と『サンデー毎日』で対談した。司会はジャーナリストの鈴木哲夫氏で、テーマはふたつだった。1)日本政治の劣化は何時からどういう理由で始まったか、
2)どうすれば政治を再生できるか。11月24日(火)に発売されるが約2時間にわたる大所高所からの政談であり、多分問題発言は削除されると思うので、敢えてここに取り上げておきたい。

1)森喜朗政権(平成12年4月)から急速に深まる政治の劣化

村上氏が、政治の劣化の原因を『小選挙区制』の導入にあると主張したので「どんな制度でも使う人間によって善くも悪くもなる。立憲政治を狂わせたのは村上さんが主役だった。派閥の談合で森政権をつくったことにある」ということから議論となる。

○平野 森喜朗政権は立憲主義と憲法を冒涜してつくられた。村上さんにも責任があるが、貴方の直後の発言が密室談合政治を暴露することになった。国民に議会民主政治のあり方を喚起した。それを青木官房長官が怒り恨みとなる。さらに政治家としての資質で辞任した森首相に代わった小泉首相は、村上さんに政敵という遺恨を持っていた。この二人の怨念が村上さんを政界から葬るため「KSD事件」をでっち上げ、冤罪をつくり上げたと私は思う。これと同時進行となったのが、かの検察庁挙げての「裏ガネ問題」だった。

検察は福岡高検検事長人事で、小泉政権に大きな「借り」をつくることになる。以後自民党政権と検察の癒着が続き、立憲政治・議会民主政治が著しく劣化していく。

○村上 私のKSD事件の冤罪が、日本政治劣化の切っ掛けという見方は初めて聞く。しかし言われてみれば納得できる。実は森政権をつくる時、青木は私に「一番最初に小渕首相の病気のことを話した」といっているが、それは嘘で森喜朗幹事長に話してポスト小渕を森と固めてからその方向に持って行くために、僕に最初に相談する形をとった、という見方が出て、その証拠があるということで調査している人物がいる。ところで小泉後の政治の劣化について、わかりやすく整理して説明してくれ。

これに対して私が整理した要点は、

1)村上さんに対する恨みは、厚生大臣対参議院自民党幹事長時代の平成九年、村上幹事長が参議院の独自性を主張し、ある事件で小泉厚相に謝罪させたのが原因。それに青木の森政権づくりを暴露された恨みが重なり、平成13年にKSD事件として仕組まれる。司法も絡んで冤罪がつくられた。

2)平成14年、小泉氏の党内政敵・鈴木宗男氏が北海道の「やまりん事件」等で逮捕起訴・有罪、これも冤罪。

3)同年小泉首相の生みの親が。政権のガンとなったといわれた田中真紀子氏が公設秘書給与流用疑惑で議員辞職に追い込まれた。不起訴になったが、小泉首相周辺の働きかけにより特捜の捜査が行われている。

4)平成16年の日歯連ヤミ献金疑惑で、橋本派の村岡兼造氏が在宅起訴。小泉政権のため大派閥の首脳たちの犯罪に寝耳の水の村岡氏を人身御供にしたものだ。

以上が小泉政権での事実上の指揮権発動だ。この他に官僚関係では平成14年の検察裏ガネ問題の三井大阪高検公安部長の逮捕。同年の外交官・佐藤優氏が鈴木宗男事件に絡む背任容疑での逮捕などがある。これらも冤罪だ。

極めつきの立憲主義冒涜は、小泉政権の検察との癒着をさらに悪質にしたのが平成22年の小沢一郎民主党代表を政界から排除し、政権交代を阻止しようとした「西松事件・陸山会事件」だ。麻生政権が仕組んだ冤罪事件で、世界の議会史でも希有な事件であり詳細は省略する。問題は議会政治を監視すべきマスメディアが、こぞって政府権力の手足となったことだ。

さらに許せないのは事実上小沢さんの指導力で政権交代ができた民主党指導者の中に検察や司法最高幹部らと策を弄して、検察審査会制度を悪用し、検察が不起訴と決したことを裁判までもっていったことである。これにより民主党が官僚の僕(しもべ)になり、国民との政権公約を裏切り現在の「一強多弱」という異様な政治状況となったことだ。安保法制問題で「立憲主義の危機」と憲法学者は叫んでいるが、我が国は相当前から立憲政治は行われていない。

さて第二のどうすれば政治は再生できるかのテーマだが、村上さんは「政治家を教育し直すことだ」という意見だったが、私は「教育する立場の人間に問題がある」と意見だ。というよりも、「現代は、日本とか政治とか、経済問題などのレベルを超えて、『人類存在の危機』という発想が必要だ」と。続きは次号にしよう。

〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 8
(日本国の根源的特質とは何か)

聖徳太子の『17条憲法』の歴史的背景なども、憲法調査会で調査の対象とすべきだという私の発想に対して、朝日新聞が「時代錯誤」と批判し、私との論争があったことを、前号の291号で紹介したが、朝日側にもそれなりの理屈があった。まず「17条憲法」は名称を「憲法」とはいうものの近代国家の憲法とは本質的に違うものであり、いかなる意味でも参考になり得るものではない、ということ。さらに、当時『聖徳太子はいなかった』という本が出版され、話題となっていた。それが事実という研究者も多数いたせいか事実確認に疑いのあることを前提とすべきではない、ということであった。

私が反論したのは「聖徳太子という人物の存在確認の必要はない。『聖徳太子という文化』『17条憲法』の存在が事実なら問題なし。さらに、弥生時代から続く氏族社会混乱を統一国家とするために、縄文時代からの古代神道の上に、仏教・儒教・法家・老荘など当時のアジア思想を遺伝子操作のように採り入れて総合化して、国家の統一の理念としたことだ。このノウハウは、我々が学ぶべきである」と。

「聖徳太子」という文化の功績は「17条憲法」で政治に関わる権力者に政治のあり方と進め方を提示して、中央集権国家を成立させた。そして、日本の自主独立外交を目指すことを中国(随)の煬帝に示したことである。さらに『大乗仏教』を導入したことを評価すべきである。大乗仏教は「一切衆生」を救済し社会全体を浄化向上させようという利他主義を説くもので、その深層には争い(戦争)をしてはならないとの思想があった。

平成12年1月、東京博物館で『聖徳太子展』が開かれていた。そこで私は聖徳太子が解説したといわれる『法華義疏』(ほっけぎしょ)の原本を見る機会があった。漢文を解読できる能力はもっていないが、5回ぐらい魂をこめて読み返したところ、大乗仏教を導入して日本の指針にすべきであるとの声が聞こえた。大乗仏教と儒教などは、基本的に共通の思想体系である。聖徳太子は、政治の基調に仏教の「一切衆生の救済」を置き政治の方策に儒教による道義とするよう主張している。

問題は、5世紀から6世紀のこの時期、聖徳太子がこのような形で統一国家を成立できた根拠・基盤は何かということである。地政学と古代歴史学による検証が必要である。仏教も儒教等も外来文化に他ならない。また、聖徳太子自身さえ帰化人といえる。私が強い関心をもつのは、これらの外来文化を消化していく日本古来の基層についてである。

11月8日(日)、午後九時からのNHKスペシャル「縄文・巨大集落の謎―驚きの狩猟生活、土器がもたらした革命―杏が探る日本のルーツ」を視聴した人もいると思うが、この中にその解答があるといえる。憲法をそこまで考えることはないという論もあるが、国家や民族の形成には地政学と歴史学上の検証が必要だ。

日本列島で人類が生存できるようになった時期を特定できる定説はない。約3万5千年前には後期旧石器時代が始まったといわれている。その時代からユーラシア大陸との交流はあったと推測できる。突然、石器時代の話をして驚かれると思うが、何を言いたいかというと、日本列島は超古代からユーラシア大陸の東側にあり、太平洋が人類移動の壁であった時代まで、移動する人類の行き止まりという地政であったことを認識しておくべきだ。

言葉を変えていえば、日本列島はユーラシア大陸や東南アジアの文明が集約する場所であり、別の意味では人類文明の「滞留」ともいえる。特に1万5千年前頃から始まる温暖化による地政的・自然環境の変化により、列島全体が暮らしやすい地域となる。そこに縄文文化が形成され、BC千年頃まで継続することになる。この縄文時代の1万5千年に至る持続は人類史の奇跡として、最近世界の科学者から注目されている。そして弥生時代という、主として中国大陸や朝鮮半島からの渡来人による文化に移行することになる。

これらの移動や渡来による人類には様々な種族と文化、そしてDNAが混合した。戦闘的なDNA、従順なDNAなどいろいろあったがこの日本列島に住むための絶対的条件は、「違った人種や文化」を絶滅させずに、共生しなければ生きていけないという思想を共有することであった。日本の歴史の中では戦いも殺し合いもあった。しかし、相手を絶滅させる思想の持ち主が支配者として生まれた時、日本は滅亡的危機となっている。

「戦争放棄」という思想は占領軍の押しつけではなく、縄文期からの日本人の根源的思想であった。
(続く)

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