安倍晋三テロ殺害の真犯人は米国ディープステートかー自民党内で対米従属派の宏池会に権力が集中へ

昨年2022年7月11日午前11時半ころ、安倍晋元首相が奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅前付近で第26回参議院議員通常選挙勝利のための立候補者の応援演説を行っていた際に、狙撃テロ事件によって暗殺された。犯人は背後から安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者(奈良県警が現場で取り押さえられ、逮捕・起訴された)とされているが、このテロ狙撃事件には不可解な点が多い。本事件に際して、国際情勢解説者の田中宇(さかい)氏(共同通信社出身でマイクロソフト社を経て現在、有限会社田中ニュース代表取締役)は早くから「米国の諜報界(注:現時点では、軍産複合体と好戦的で経済的には新自由主義=新自由放任主義=を採用しているネオ・コンサーバティブ=ネオコン=)」が真犯人だとする説を唱えていた(「安倍元首相殺害の深層 その2」https://tanakanews.com/220808abe.htm、無料記事)

統一教会と安倍ら自民党のつながりは大昔からのもので、日本のマスコミはこの20年以上、統一教会をほとんど批判せず、言及すらしなかった。ところが安倍が殺されるや、マスコミは統一教会と親しかったことを理由に、安倍や自民党を急に猛然と批判し始めた。マスコミのこの展開は、明らかに他意がある。私から見ると日本のマスコミは、これから書くもう一つの異常さである安倍殺害時の状況の不可解さから目をそらすための目くらましとして、統一教会と安倍の関係を喧伝している。

安倍殺害事件に関するもう一つの異常さは、安倍が撃たれた状況について、不可解な矛盾や不確定な曖昧さが解消されず、追加説明がないまま放置されていることだ。どのような銃弾が、どこから撃たれ、どの方向から安倍の体内に入り、どう致命傷になり、銃弾はどうなったか。たとえば警察庁は、撃ち込まれた銃弾が安倍の体内を貫通せず、銃撃時に体外に出ていないことを確認している。銃弾は安倍の体内にあり、延命措置や検死の際に取り出されたはずだが、取り出されたはずの銃弾は残っておらず、紛失した形になっている。日本の当局は、事件に関する最重要の証拠品である銃弾を紛失してしまった。これは過失というより、当局内の誰かかが故意に隠匿した可能性が高いと私には思える。 (【ぼくらの国会・第371回】ニュースの尻尾「消えた銃弾 安倍元総理暗殺」)(中略)

安倍の体内から取り出された銃弾は、そのとき病院にいた警察によって隠匿されている。それは、警察の組織的な行為ではない。警察の組織としては「銃弾は貫通しておらず、安倍の体内から取り出されたはずだが(行方がわからない。事実確認中)」という、不可解さを認める姿勢になっている。警察の中に、他の組織とつながった筋・勢力があり、その勢力が警察の指揮系統を無視して動き、安倍の体内にあった銃弾を医師が取り出した際に受け取って隠匿したと考えられる。銃弾の隠匿が必要だということは、その銃弾が実行犯山上の手製の銃から発射されたものでなく、別の狙撃犯が撃ったものであると感じられる。山上を動かしていた黒幕がおらず、山上だけが安倍を撃った完全単独犯行だったのなら、警察の誰かが他の組織からの依頼で安倍の体内から取り出された銃弾を隠す必要などない。

この「他の組織」が、安倍殺害の黒幕であり、その黒幕が安倍の行動予定を把握した上で、山上ともう一人の狙撃犯を用意し、山上の発砲と同時に他の場所からも本格的な銃で安倍を撃って確実に安倍が死ぬように仕組み、その黒幕から頼まれた警察幹部が事件後の病院で安倍の体内から取り出された銃弾を医師から受け取って隠匿し、証拠隠滅を行ったと考えられる。警察の上層部は、誰が銃弾を隠匿したかわかっているはずだが、隠匿者を動かした他の勢力に配慮して真相究明せず、事態を不可解なまま放置している。警察に真相究明を遠慮させるほど大きな力を持った「他の組織」が、安倍殺害の黒幕としていたことはほぼ確実だ。

この「他の組織」とは誰なのか。自民党内の分裂など、日本国内に権力闘争があるのなら、その権力闘争で安倍の敵だった組織が安倍を殺した可能性があるが、最近の日本の上層部には権力闘争がほとんどない。安倍は自民党の最高権力者として党内をうまくまとめていた。中露とパイプを持って独自の隠然非米化・米中両属路線を進めていた安倍は、首相時代から、対米従属一本槍で米諜報界のスパイとして機能していた外務省を外して冷や飯を食わせていた。外務省は安倍を恨んでいたかもしれないが、外交官たちは高給取りの気取った役人たちであり、組織的に外されたからといって安倍を殺そうとは思わない。日本国内には、安倍を殺す動機と技能がある組織がない。 (従属先を軍産からトランプに替えた日本

となると、日本国外の外国勢力だ。中国やロシアや北朝鮮は、日本の当局を動かせない。安倍を殺した黒幕は、日本の敵の側でなく、味方の側、それも警察など日本の当局を内側から操れるほどの力を持った外国勢力だ。そんな外国勢力は一つしかない。米国だ。米諜報界は国防総省や国務省などを傘下に持ち、日本の官僚機構に横入りして日本国内の指揮系統に従わない筋を作って動かすことができる。日本の外交官たちは、自分たちの独力で安倍を殺そうとは思わないが、米諜報界が安倍を殺すなら、その後の日本で権力を取り戻せるかもしれないので喜んで機密情報の提供などの協力をする。 (米国の中国敵視に追随せず対中和解した安倍の日本

安倍元首相は対米自立・独立国家日本を目指す自民党内の派閥「清和会」のリーダーだった。ウクライナ戦争について正しい持論を展開している森喜朗元首相も清和会に所属していた。清和会は首相を務めた福田赳夫が正式に組織化した派閥だが、元祖は岸信介だ。1955年に自由党と日本民主党が保守合同(自由民主党結成)した際、1956年4月の総裁選で東洋経済新報社に勤務したジャーナリストの出身で対米自立派の石橋湛山が、決選投票で本命の岸信介を破って総裁に選ばれたが不思議なことに突如、肺炎になり、退陣してしまった。医師団からは「2カ月の静養と治療を必要とする」との診断を受けていたから、続投しようとすればできた可能性が強い。

石橋のあとを継いだのが、決選投票で破れたが、本命とされていた岸信介だ。昭和の妖怪とされる岸信介は米国から政治資金を調達し、1960年に新日米安保条約(本質は条件付きで米国の日本防衛義務を説いた第5条ではなく、日本側が米国の意思で任意に在日米軍基地を設置できることを認めた第6条にある)を米国との間で締結するなど、吉田茂の対米従属路線を引き継いだ人物との見方が強い。しかし、外務省国際情報局長出身で国際情勢に詳しい孫崎享氏(現在、東アジア共同体研究所所長でもある。理事長は元首相の鳩山由紀夫=友紀夫に改名=氏)が執筆された「戦後史の正体」の第四章「保守合同と安保改定」によると、岸もまた対米従属路線からの脱却・自主独立路線を志向した政治家だ。

 

日本の対米従属からの脱却・自主独立派には、石橋のような平和憲法の範囲内でこれを志向する者たちと、戦前から日本の政治の要職を務めた岸のような自主憲法制定・再軍備を前提としてこれを志向する者たちとの二つのグループがあった。サイト管理者(筆者)自身は前者の立ち位置(対米従属から全方位外交への転換)だが、いずれにしても、対米従属脱却・自主独立ということでは共通している。

岸自身は、①吉田茂が締結した旧安保条約とその下での日米行政協定は全面的に改定すべき時に来ている②(注:歴史的に関係の深い)中国とは政経分離の形で経済面での友好協力関係を結び強化していくべきだーと考えていた。そして、保守合同した自民党内の対米従属派を説得しながら新日米安保条約を結ぶが、岸本来の目的は果たせなかった。岸首相は当初、在日米軍に切り込む意向だったが、結局切り込めずに終わり、米軍の法的権利に関する合意もそのままに終わった。日米行政協定が日米地位協定に名称を変更しただけに終わってしまった。

言い換えると、「岸は『二段階論』を考えていました。つまり安保条約を改定して、その後『行政協定』を改定する』方針でした」(198頁)ということである。しかし、岸のこの方針の実現は、アイゼンハワー大統領(当時、1961年の離任時に軍産複合体という言葉を用いて、その危険性を主張した)の理解を得ていたものの、米国側からはジョン・フォスター・ダレス米国務長官など、日本側からは宏池会系で対米従属派の副首相格の池田勇人や河野一郎総務会長、三木武夫経済企画庁長官らによって阻まれた。

既に述べたように、①新日米安保条約は見かけ上は日米双務的な条約のようなものになったが、「米国の憲法の定めと手続きに従って共同で対処する」旨の条件がつき、米国が日本国内のどこにでも(例えば、北方領土にも尖閣諸島にも)在日米軍基地を設置できるという第6条が条約の柱になった②日米行政協定は日米地位協定に名称を変更しただけに終わり、在日米軍が日本の法律を無視して軍用機の超低空飛行を認めるなど、日本の統治権が制約される結果ーに終わってしまった。

岸首相としてはそれでも、新日米安保条約が批准された時点で日米地位協定(旧日米行政協定)に切り込むつもりであっただろう。実際、条約批准の決定権を持つ衆議院では自民党は289議席、社会党は128議席と圧倒的に自民党が優位だったから、新日米安保条約はすぐさま国会で批准できるはずだった。しかし、自民党内の宏池会など対米従属派が批准を遅らせるうちに、現実的には全学連を主力部隊とする日米安保闘争が激化し、東大生の樺美智子が圧死するという事態が生じるなど、事態は岸首相にとって非常に不利な方向に動いた。なお、「戦後史の正体」によると、全学連に資金提供したのは親米路線を取る経済同友会など財界だった。

そして、新聞社各社は最初は安保反対の論調を展開したが、その後、重点は「打倒岸」に移り(1960年05月21日の朝日社説は「岸退陣と総選挙を要求す」)、米国のアレン・ダレスCIA長官など新安保条約の批准を期待していた米国との関係の深い朝日論説主幹・笠(りゅう)信太郎が中心になって執筆した1960年06月17日(安保闘争の絶頂時期)に「暴力を排し、議会主義を守れ」と題する7社共同宣言を発表し、岸退陣を前提として安保条約批准の世論を形成した。こうして、新安保条約は国会で批准され、安保闘争=実は、安保騒動=は終焉、岸内閣は退陣して、宏池会の池田勇人が首相に就いた。

また、政経分離での日中経済協力については、1958年3月に第四次日中民間貿易協定が結ばれ、民間通商代表部の設置に合意し、かなりのスピードで前進しつつあったが、「親米右翼」の人物によって同年05月、長崎国旗事件(長崎にある中国通商代表部に掲げられていた国旗が引き下ろされた事件)が起こり、日中関係は断絶した。その後、中国では1966年から1976年にかけて毛沢東主席による「文化大革命」が起こり、経済が崩壊することになる。ただし、文化大革命が終焉した後は周恩来が台頭、米国はニクソン政権下で中国に対して封じ込め政策から関与政策に転換した。その後、鄧小平が権力を握るようになり、中国のこの路線大転換に実質的に一番乗りしたのは、ウォーター・ゲート事件に直撃されていた米国ではなく、日本の田中角栄政権だった。

田中角栄首相が1972年09月29日、中国を訪問して日中共同声明(日本側が、①中華人民共和国政府を中国を代表する唯一の合法政府と認める②台湾を中国の不可分の領土の一部と認める)を発表し、副首相だった鄧小平が日本を訪問。これをひとつのきっかけに、中国で改革・開放路線が本格化し、中国は経済大国への道を歩み始める。こうしたその後の経緯からすれば、岸の政経分離での日中経済協力は先見の明があったと言えよう。

しかし、岸の願望・目的は米国と日本国内の対米追随派の政治家、メディアによって達成が不可能になった。その岸の意向を継いで、首相になった福田武夫が「清和会」を派閥として立ち上げた。その清和会の後継者になったのが、岸信介の外孫である安倍晋三だった。田中氏の論考からすれば、安倍晋三首相(当時)の「地球儀を俯瞰する外交(地球儀俯瞰外交)」は、「米中両属外交=多極化外交」であり、本来の目的は祖父と同じく対米従属路線からの脱却・自主独立だった可能性が強い。

これが、米国の軍産複合体とネオ・コンサーバティブ(ネオコン)にとって危険な外交路線であったことは想像に難くない。安倍首相(当時)はアベノミクスを中心に、森友・加計・さくらを見る会など内政では失敗の連続だったが、ロシアのプーチン大統領と北方領土回復交渉を重ねる(プーチン大統領から北方領土に在日米軍基地を設置される可能性を指摘され、行き詰まった)など、外交面では従来の対米従属路線を脱却しようとする側面も持っていたようだ。ここに、狙撃テロで暗殺される下地があったと見られる。

政治評論家とも見られる杉本達也氏も、田中氏と同様の見方をしている(https://assert.jp/archives/10651)。杉本氏は田中氏の「消えた殺傷弾丸」のほか、昨年4月に立憲民主党の泉健太代表が同じ場所で演説したいと申し出た際に、警察から『後方の警備が難しい』と指摘され、断念していたことを紹介した後に、次のようにも記している。

警察庁側は、安倍氏について銃弾が身体を貫かず、体内にとどまっている傷「盲管銃創」が確認されたと説明した。奈良県立医科大学付属病院によると、「安倍氏の首の右前部に約5センチの間隔で2カ所の小さな銃創があった。銃弾が首から体内に入り、心臓と胸部の大血管を損傷したとみられる。心臓の壁には大きな穴が開いていたという。左肩に銃弾が貫通したとみられる傷が一つあったという。体内から銃弾は発見されていない」(朝日:2022.7.9)という。そもそも、背後から撃たれたにもかかわらず、首の前部に(注:致命傷になった)2か所の銃創があるというのも疑問である。(中略)

銃というのは精密な工業製品である。こんな粗悪な、手製の銃で、人間を殺傷出来るのか。しかも頸元に正確に2発もの銃弾を撃ち込むことができるのか。海上自衛隊トップの酒井良海上幕僚長は19日の記者会見で、「銃の自作能力を自衛隊の教育や訓練で得ることは無理だ。所要もなく、教育訓練を行うこともない」「銃を自ら作り、火薬を調達して自分で作製することは砲雷科の通常の動務では穫得し得ない知識、技術だ」と述べている(福井:2022.7.20)。

ということで、山上容疑者が真の暗殺犯人との見方に疑問を呈している。そして、次のように結論づけている。

清和会を中心とする岸信介首相の系統は戦前の日本のパワー・エリート達であり、米国に背面服従しつつも独自核武装や自主防衛を唱えるなど、米国の支配から独立したいという“願望”を持っている。そのためのバランス外交として、プーチンのロシアとも習近平の中国とも交渉してきた。安倍氏「暗殺」の背景には日本の政治家がプーチン・ロシアに接近する事を絶対に許さない、元トロツキストで根っからの「反ロシア」主義者・強硬派ネオコンの存在がある。

本引用に関してだが、ウクライナ戦争勃発後、安倍元首相がロシアのプーチン大統領と停戦・和平に向けた交渉の仲立ちを展開したということは、サイト管理者(筆者)としては聞いたことがない。また、「ネオコン」についての理解はサイト管理者(筆者)と異なる。ネオコンは、英国のマーガレット・サッチャー首相、米国のロナルド・レーガン大統領、日本の中曽根康弘首相(いずれも当時)に始まるネオ・コンサーバティブ(新保守主義)の略だろう。

ただ、米国のディープ・ステートについては、様々な見解がある。その一人で、外務省出身の国際情勢評論家・馬淵睦夫氏によると、ディープ・ステートの形成には、ディアスポラのユダヤ人が関係しているとの研究成果を披露している。トロツキーはユダヤ人と言われているから、杉本氏のネオコン理解は、ディープ・ステート(DS=軍産複合体とネオ・コンサーバティブ(略称ネオ・コン)=)のことを指しているのかもしれない。

いずれにしても、山上容疑者は安倍元首相を殺害した実際の狙撃犯ではないだろう。ただ、奈良県の地方検察庁は山上容疑者を安倍元首相殺害と銃刀法違反の罪で起訴した。山上被告が弁護側に真実を語り、弁護側が裁判で山上被告の無罪を主張しなければ、真相は明らかにならないだろう(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230113/k10013947861000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_002https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230113/k10013948411000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001)。

去年7月、奈良市で演説中の安倍元総理大臣が銃で撃たれて殺害された事件で、奈良地方検察庁は(注:13日)山上徹也 容疑者を殺人と銃刀法違反の罪で起訴しました。起訴されたのは、奈良市の無職、山上徹也 被告(42)です。

サイト管理者(筆者)としては、米国ディープ・ステート(DS=軍産複合体とネオ・コンサーバティブ:略称ネオコン)と山上徹也容疑者との接点としては、DS系の日本の政治家や日米地位協定に基づいて設置されたある組織の存在が思い浮かぶだけだ。安倍元首相は歴代最長の総理大臣在籍日数を誇る政治家だった。その「大政治家」が暗殺されたわけだから、岸田政権は法律では規定されていない国葬を行う(法治主義違反)ことよりも、全力をあげて真相を究明しなければならない義務を負っているが、そうした姿勢は感じられない。

サイト管理者(筆者)としては、世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会:統一教会)は「清和会」に対して平和憲法(自然権として、自衛のためにのみ武力行使を認めるとの解釈)の枠内で対米従属からの脱却、日本の自主独立を勝ち取ることができるよう、安全保障も含めて理念・思想的・社会科学的基礎を提供することと、経済社会的に行き詰まりつつある米側陣営と経済社会的に発展しつつある非米側陣営との仲立ちを行い、朝鮮半島の平和統一を中心とした東アジア共同体の創設、統一文明の形成に努力することを運動の基本に吸えるべきだと思う。


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