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「日本一新運動」の原点(290)ー『憲法・日本・小沢一郎』―小沢一郎が語る日本改革の原点―を脱稿

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○東京オリンピック・パラリンピック大会を考える (その3)

(NHKと1964年東京オリンピック大会の不詳事件!)

大成功といわれている前回の東京オリンピック大会にも、一般には知られていない不詳事件があった。それは、NHKが現在の渋谷区神南に移ったのは、前回の東京オリンピック大会が切っ掛けだった。それまでのNHKは千代田区内幸町にあった。現在の渋谷神南の地区はかつての陸軍用地で陸軍刑務所などがあった場所だ。敗戦後占領用地となり、NHKが代々木公園に整備された土地の一部にオリンピックを機会に移転することになる。

実はこのNHKの移転には各方面から反対意見が続出して難渋していた。NHK側がさまざまな政治工作を駆使しさまざまな不詳事件があったのだ。すべてが封印されことなく処理したわけだ。私は偶然か運命か。若干の関わりがあったので承知している。安倍政権でNHK会長人事への干渉から報道の中立性が問題になっているが、政治権力とNHKの不適切な絡みは、前回の東京オリンピック大会から目立つようになったと思う。私は20代の頃、この問題に関わったので記憶を辿ってみる。

時は昭和37年月末、第40回常会が終わって閉会中だった。衆議院事務局委員部第一課では、恒例の課員慰労で日帰り海水浴のバス旅行が行われた。閉会中とはいえ全員参加とはいかない。クジ引きで男女一名づつ当番として留守番役を決めた。私がそのクジに当たる。何事もないことを祈る気持ちでいたところ、担当の「東京オリンピック準備特別委員会」の電話が鳴った。電話の主は、社会党の阪上安太郎議員でオリンピック特別委員会の理事である。阪上理事はロサンゼルスとベルリンオリンピック大会の水泳選手として知られた政治家だった。

「NHKの代々木公園への移転問題で、池田政権を支える宏池会が関与し政治工作や利権の情報が出ている。東京オリンピックのイメージが悪くなる。早急にオリンピック特別委員会を開会し、黒金官房長官の出席を求めたい。その手続をとるよう島村特別委員長に連絡しろ」。

これには困った。私は、その年の7月1日にオリンピック特別委員会の担当者になったばかりで、しかも末席の係員だった。委員会の開会要求にどう対処してよいかわからない。携帯電話もない時代だった。すぐ島村特別委員長に会い報告したところ丁寧に委員会の開会手続を指導してくれた。与野党の理事に島村特別委員長からということで、阪上理事の開会要求を説明して、各理事の意向を島村特別委員長がまとめ、一週間後にオリンピック特別委員会が開かれた。

当日のオリンピック特別委員会は問題が問題だけに多数のマスコミが押しかけ、世間から注目を浴びた。黒金官房長官や、前田NHK会長らが、緊張した顔で出席していた。ところがあれほど不正追及に張り切っていた阪上理事が一応の問題提起とマスコミ情報を確認した程度で、厳しい追及とはならなかった。他党の委員もそれなりの質問で政府側の答弁を納得してお茶を濁して済んだ。後に、NHKからさまざまな工作が行われたと聞いている。

その後、この問題は永田町の情報としてNHK政治部の島桂次記者が宏池会担当で宏池会の政治家が世話になっていた。島記者が、鈴木善幸衆議院議員を強引に説得して、代々木公園一角への移転を実現させたとの話が出た。その後、NHKは社会党対策としてNHKを所管する国会の逓信員会の社会党理事の送迎や所用で使用する自動車が、NHKお抱えのハイヤーとの話が出た。

自社五五体制の中で、NHKはこういうノウハウで政治に対応していたわけだ。歳月が流れ、島記者はNHKで出世街道を突き進んでいく。綽名は「島蚰蜒(ゲジ)」と称されていた。私もよく知っていて、平成三年秋に島ゲジ氏がNHKのナンバー2、専務理事に就任した。私はこの時期「ジョン万次郎」を大河ドラマにする陳情に行った。昔話となりNHK移転の真相を聞いた。

故人となった前尾繁三郎幹事長(元衆議院議長で私の恩人)の反対を鈴木善幸氏が押し切った。「あれには複雑な問題があったので僕は前尾さんに恨まれた。君から前尾夫人に、島がお詫びをしていたと伝えてくれ」と依頼された。オリンピックは巨額の資金が動くことから、祝事の一面で魔物だ。国民の監視が何よりも大事である。
 
〇「安保法制廃止のため憲法を学ぼう 6
(『憲法・日本・小沢一郎』―小沢一郎が語る日本改革の原点―脱稿)

メルマガ258号(3月26日発行)で『日本改革の原点』を出版することになったと予告していた。切っ掛けは「小沢政治塾15周年」での小沢塾長講義が終了して2人で懇談の中に出た話だった。私が故菅原文太さんのお別れの会で、関係者から「小沢改革は平成日本を改革しようとしたものであったはずだ。今の日本のザマはなにごとか。総括とこれからの展望を示すべきだ」と、強い要望があったことを話題にした。

これまでの私の論調をベースに、小沢塾長とのインタビューを入れて、安倍首相の「戦後70年談話」が出る直前に出そうということになった。4月から執筆を始め、6月10日には小沢さんとのインタビューも終え、7月初旬には『平成の日本改革の原点』(仮題)として脱稿していた。

この時期ご承知のように「安保法制」が大騒ぎとなり、こんな理屈っぽい書物を出すより「廃案」に向けた運動となった。8月26日の「緊急集会 ぶっ壊せ!アベ安保法制」(於・憲政記念館)後、立憲主義と憲法を守れ!という声が一段と高まり、脱稿した『平成の日本改革の原点』を書き替えるようになった。それが『憲法・日本・小沢一郎』である。

この書物の命名は、出版してくれる「ウェイツ社」の中井健人社長だ。ドラスティックな書名、固有名詞を使うとなれば、本人の了解もいるし、内容も本人の語りや秘話なので、事前に知らせておくのが礼儀と思って10月28日に会い説明した。何か一言あると思っていたところ「最近、憲法について国民の関心が強い。これで結構」となった。そこで少し気が早いが本書の構成について紹介しておきたい。

(第1章)緊急集会『ぶっ壊せ! アベ安保法制』の報告
8月26日、憲政記念館で行われた小沢さんに私が聞き手になって、憲法論から「安保法制」の問題点を議論した報告である。結論は日本人の「対米従属仕方がない症候群」にあるということだった。全記録の公開である。

(第2章)憲法・国会―秘話・珍談
私が衆議院事務局と参議院議員在職中に直接憲法問題に関わった秘話や珍談の代表的なものをノンフィクションの形で執筆したもの。この章の目的は「安保法制」で、日本が突然立憲主義でなくなったとばかり憲法学者や有識者が起ちあがったことは結構なことだ。しかし永田町で生きてきた人間からすれば「60年安保」以来、我が国では憲法の本質論がなく、特に護憲派の憲法学者が本質論から逃げていた。それを「憲法本質論の失われた55年」としてまとめてみた。

先ず第1項は「自民党は憲法違反が大好き」として、1)憲法違反の健保特例法案の本会議採決を阻止した話(昭和42年)、2)憲法違反の「靖国神社法案を廃案にした話(昭和49年)、3)立憲主義や憲法に違反して自民党政権をつくったふたつの話。
イ、昭和54年の国会首班指名で立憲主義に反して自民党から2人の候補を出して、決選投票までした話。
ロ、平成12年に、森首相は憲法に違反して派閥の談合クーデターでつくられた話である。

第2項は「憲法9条と結婚した土井たか子」、第3項は「憲法に恋をした政治家小沢一郎」となっている。私は「憲法本質論の失われた55年」と申し上げたが、実は国会内では土井・小沢という2人の政治家が熱心に憲法の本質論を考え、9条だけではなく現憲法の擁護と発展を議論していた。

衆議院事務局で私の立場が両者の窓口であったので秘話を紹介したものだ。

(第3章)小沢一郎に聞く「日本改革の原点」
6月10日に小沢さんに私がインタビューを行った「日本改革の原点」の中から、安保法制関係の個別問題を除いたものを掲載した。なお、当面の最大課題である野党連携のあり方について、10月2日の小沢談話「政権交代こそ野党連携の最大の目的」を追加的に掲載した。この書物の刊行は年明けの予定である。
(続く)

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