「日本一新運動」の原点(296)―自公大阪維新の「憲法改悪」を支援する民主党

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○「安倍一強体制」を考えてみよう! 3

自民党の中で保守本流といわれた政治家に共通する信条は大正デモクラシーの原動力となった吉野作造博士の民本主義や美濃部達吉博士の天皇機関説の理論を発展させようというものであった。日本が戦後の復興期から繁栄期となり、経済成長の果実を国民が享受できる時代になると、自民党の中にふたつの流れができる。ひとつは「福祉共生社会」コースであり、今ひとつは「経済至上社会」コースである。

昭和49年秋に発生した「石油ショック」の経済危機は、経済成長に依存する日本資本主義に陰りが出る。昭和50年代の中頃から明治生まれの政治家が次々と国会から消えて世代交代が起きる。自民党の中に政治家の官僚化が起こり、官界には官僚の政治化現象が起きる。政権交代を望まない政党、永久政権化に自信を持つ自民党の奇妙な議会政治が最盛期となる頃、日本に空前の経済バブル時代が到来する。

その直接の原因は米国のドル対策として円高への強要であった。平成2年にバブルが弾けるまでの約10年間、日本人は「カネ」という魔物の虜となる。困ったことに、バブルが弾けても「地獄の果てもカネ次第」という発想が多くの日本人の心情となる。

(「政権交代」は自民党改革派の主張から)

平成時代となりグローバル化と高度情報化社会が進むなかで、米ソ冷戦が終結すると「バブルに酔いしれる日本」に反省の声が起こる。経団連を中心とする財界、連合など労働界、マスコミ界、学識経験者達からである。「政権交代のできる政治システムでなければ、これからの日本は自立して存立していけない」との主張だ。これを実現しようとしたのは自民党改革派であった。野党にも理解者がいた。しかし自民党の守旧派と社会党左派から強烈な反対運動が起きる。

衆議院に「小選挙区比例代表制」の導入を中心とする政治改革を構想したのは、海部自民党政権下で幹事長を務めた小沢一郎であった。海部政権で失敗し、続く宮沢政権でも挫折する。自民党は4度にわたる国政選挙で政治改革を公約したのは選挙を有利にするための方便であった。宮沢政権の姿勢に抵抗する自民党改革派は、野党が提出した「内閣不信任決議案」に賛成し可決させた。

総選挙で自民党政権を打倒し、細川非自民党政権を樹立する。この非自民政権が、自民・社会両党の守旧派と悪戦苦闘の末、政治改革の第一歩をスタートさせた。

自民党が政権から離れたのは38年ぶりであった。自民党の前身の保守政権から数えると、約半世紀にわたる政権の座から下りることになる。「猿が木から落ちる」どころではなかった。戦後の長い期間続けてきた、保守=自民党の政治利権が白日のもとに晒されることになる。しかもそれが改革の波で洗濯される悪夢が現実となった。自民党は手段を選ばず政治改革の阻止を策謀したが、当時の国民世論はそれを許さなかった。

私は平成元年の衆議院事務局委員部長時代から、小沢幹事長の政治改革実現に関わってきたが、改革の第一歩がスタートするまでに抵抗勢力からいわれた言葉が頭から離れない。何人かの自民党幹部は「中選挙区制なら永久に自民党政権を続けることができる。どうして政権を野党に渡すことになる制度をつくるのか。
 
幹事長まで務めた小沢の気持ちがわからん」と。また社会党左派の某幹部は「中選挙区制なら、遊んでいても3人に1人は当選でき、自民党政権の悪口をいうだけで国会議員を続けることができるのに、社会党執行部の中に小沢に同調する者がいる」という愚痴であった。

(政権への執着が怨念化した自民党)

非自民改革政権は11ヶ月の生命であった。自民党守旧派は、非自民政権の中で不満を持つ「社会党左派」と、改革は看板だけで権力の座を狙っていた「新党さきがけ」首脳の共謀で「自社さ連立政権」を成立させた。自民=保守派と社会党は戦後イデオロギーを相対させ、激しく対立してきたのに、社会党の村山委員長を首相にしてまで政権の座に戻った。社会党は日米安保問題や自衛隊問題などの重要な政策変更を、党内手続を採らず、村山首相の国会演説で宣言するなど、議会政治や政党政治の基本的ルールを無視したために国民からの批判を受け、平成8年には社会民主党として縮小の道を歩み始めた。

非自民政権を構成していた改革派は、自民党離脱者などを入れ、新生・公明・民社などで「新進党」を結成し、再び政権交代を目指すことになる。自民党は永久政権を続けるため、衆議院を中選挙区制に戻すことを画策するが、困難であることがわかると「小選挙区比例代表制」の制度の中で、如何にして政権を維持していくかを模索するようになる。

自民党が考え出したことは、自社さ連立政権の胡散臭さに反発する国民から支持されている新進党を内部分裂させることであった。最初に手をつけたのは、自民党から新進党へ移った政治家で、女性問題や、政治資金に問題を持つ人物を脅かし、自民党を政権から下ろした小沢一郎への批判や悪口をマスコミに吹聴させることであった。次の手は、民衆の代表者だと公言する公明党の生みの親・創価学会の不祥事をタネに脅迫する形で改革派から切り離すことであった。何れも功を奏し、平成12年4月の森喜朗政権が成立する頃には、自民党と公明党は事実上一体化し、現在の、「安倍一強体制」の基礎をつくった。

重要な視点は「安倍一強体制」が政治家や政党の談合や駆け引き、闘争だけでつくられたものではないということだ。日本は、平成2年のバブル崩壊後、深刻な経済不況に襲われている。資本主義の崩壊的変質に気づかず、かつての経済成長を夢見る財界が、米国の新自由主義格差資本主義に同調する小泉自公政権に従属し、自公政権の固定化を支えていく。さらに不況で民間企業からの広告収入が激減するなかで、自らの利権を守るために「政府広報費」の増大を狙うマスメディアは「社会の木鐸」という役割を打ち棄てていく。この大企業とマスメディアの姿勢は戦前のファッショ時代と同様で「何時か来た道」を思い出させる。これが「安倍一強体制」のバックグラウンドとなっていく。(続く)

〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 12

(緊急事態発生し「憲法改悪」への道を走り始めた安倍一強体制)
安保法制の諸法案が成立して、安倍政権は野党が憲法上の権利として要求する臨時国会の召集も拒否し、懸命にポピュリズムでバラマキ政策を異常に展開し始めた。来年夏の参議院選挙のためと単純に考えてはならない。9月19日に共産党から提案のあった「国民連合政府」構想や、野党連携の戦術論としての小沢提言の「オリーブの木」構想も、民主党の腹が決まらず政権選択が明示されないまま推移している。

「安倍一強体制」は、この機とばかりに11月の大阪ダブル選挙で「おおさか維新の会」の勝利以後、着々と重大な決意で政局に臨もうとしている。まずは事実関係と野党第一党民主党指導者の認識を知ってもらいたい。平成17年には消費税率が10%となる。弱者対策として平成27年度補正予算で、来夏の参議院選挙前後に、年金受給者約、1250万人に取り敢えず3万円をバラマクことが決まった。

12月に入り、消費税増税の、これも弱者対策と称して「酒類と外食を除く生鮮食品と加工食品」に軽減税率を適用しようとすることを、官邸主導で自公両党が合意した。この事態に対して民主党の枝野幹事長は「合法的買収だ」と批判した。また、長妻副代表は「格差が拡大する。国民への背信だ」と語ったと報道されている。何をかいわんやである。消費税率を10%に上げたのは民主党政権ではないか。しかも、上げた分は社会保障の充実に活用することで、民自公3党で合意したはずだ。自公に騙された責任は民主党にある。責任を果たすつもりならば、安倍自公政権の倒閣を何故主張しないのか。

私が最も危惧するのは、衆参同時選挙、さらにその先にある憲法改悪への公明党取り込みにも見通しをつけたことだ。案の定、大阪の妖怪弁護士・市長は、ツイッターで「これで完全に憲法改正のプロセスは詰んだ。来夏の参議院選挙で(与党)が3分の2を達成すれば、いよいよ憲法改正」と発信している。安倍首相は衆参同時選挙を断行して「おおさか維新の会」を大量に当選させ、公明党を誘導しながら憲法改悪を確実なものにしようとの狙いだ。

民主党にもうひとつ絶望する話がある。12月11日に「民主・維新の党」の統一会派が合意した後、岡田代表は「これで安倍政権の暴走をしっかりチェックできる」と記者団に語っている。これは政権内部非主流派の発想だ。自社55年体制の社会党と同じであることにまだ気がつかない。これでは民主党は消滅するしかないだろう。

安倍政治は、日本人が何時テロに遭っても仕方ない状況をつくった。又、アベノミクスなどは気候変動の原因そのものだ。日本人と人類の生存を危うくする政権は、一日も早く退陣させるべきだ。このままでは、亡国の責任は安倍政権だけではなく、民主党も背負うべきことを指摘しておく。
(続く)

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