◎日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 13
さまざまな角度から憲法問題を論じてきたが、安倍首相の憲法冒涜が続くなかで、この暮れになって「憲法改悪への動き」が急浮上してきた。「安保法制諸法」が国会で成立した直後から議論が盛んになった「護憲派」の改憲論との関係を論じておきたい。
切っ掛けは朝日新聞の「声欄」で、「憲法9条を素直に読めば自衛隊の存在は違憲だ。・・・護憲だけれども、自衛隊は現状のままでよいというなら立憲主義を語る資格などない」という投稿である。もっともな主張で憲法九条の解釈余地をなくせば、平和主義の理念を守ることができる、という考え方だ。PKOの現場で苦労を重ねてきた伊勢崎賢治氏(東京外語大教授)を先頭に、国連中心主義を明記した「新9条論」などである。これに対して、佐高信・落合恵子氏らの「憲法九条にひと指なりとも触れてはならない」という主張がある。
平成12年自由党は「新しい憲法を創る基本方針」を発表した。これは、現岩手県地知事の達増拓也氏と私が中心になってまとめたものだが、「伊勢崎構想」とまったく同趣旨であった。この、「基本方針」とは「憲法9条の理念を継承する」ことを条件に、将来「新しい憲法を創る」時の考え方であり、直ちに憲法改正を行うというものではなかった。
要旨は、
1)日本が外交努力に全力を尽くし、国連による集団安全保障体制の整備を促進するとともに、国連を中心としてあらゆる活動に積極的に参加する。さらに、日本が率先して国連警察機構創設を提唱する。同時に、人類を破滅に導く大量破壊兵器の全廃を推進する。
2)自衛隊の権限と機能、内閣総理大臣の指揮権を憲法に明記し、シビリアン・コントロールを徹底させる。日本が侵略を受け、国民の生命及び財産が脅かされる場合のみ、武力により阻止することとし、それ以外の場合には個別的であれ、集団的であれ、自衛権の名の下に武力による威嚇またはその行使は一切行わないことを宣言する。
というもので、当時、社民党のシンクタンクの弁護士グループがこの基本方針に関心を持ち、研究会に私が呼ばれ説明した。13名で激しい討論となった。司会者が賛否を採ったところ6対6となり、左派の憲法観が大きく変わりつつあることを感じた。この考え方は、将来大多数の国民が時代の変化に伴い、現憲法の基本原理を発展させるために整備する際に活用しようとするものであった。論議の参考意見という位置づけであった。
その後、自民党政権がイラクへの自衛隊派兵など憲法無視の政策が続くなか、私たち自由党は憲法の整備を改正という形で行う時期ではない、という判断から「安全保障基本法」で、憲法9条本来の機能を発揮させるべきだとして、「基本方針」の要旨を法案に整備し、平成15年の第156回常会、衆議院に提出した。自由党の議席が少数のため審議未了となった。この年の秋自由党は民主党に合流し民主党で政権を獲得して成立を期そうとしたが、民主党の体質と政治情況がそれを許さず今日に至っている。
こんな体験をした私は、伊勢崎氏の「国際情況の激変に対応するため、PKO法の全面見直し、国連協力の強化などを整備するため、憲法9条の理念を生かすべく整備すべし」との意見に深い感銘を持った。しかし、「安倍一強体制」は安保法制諸法の成立後の国民世論の批判にも関わらず、橋下前大阪市長をプロパガンダの代表にして、「憲法改悪」に向かって、驀進を始めた。
ここは護憲派の立場からとはいえ、憲法改正の具体的条文レベルでの論議は、暫し時を置くべきだと思う。安倍政権の問題は、政権の能力というより資本主義の行き詰まりを「戦争による経済成長」を指向している悪徳資本家集団によって操られていることを知るべきだ。国際的コングロマリットとなっており、マスメディアがその手先となっている。工業技術の先進国で、かつ民主政治の後進国・日本は彼らの野望から狙われている。「安倍一強体制」の構造的実態を、こう理解すればわかりやすい。
15年くらい前に、参議院憲法調査会に私が参考人として出席し、加藤周一先生に「伊勢崎構想」と同趣旨の考え方を述べたのに対し、加藤先生は「原則的に賛成するが、急がないで欲しい。日本は民主主義の定着に問題があり、その見通しがつかないと危うい」と私は諭された。この見識を尊重したい。
しからば、現在いま何をなすべきかである。憲法についての基本的論議は大いに展開すべきだと思う。個別条文的論議を優先させると、たちまち「改悪論者」の手中に陥る。御用学者や、形式論理だけが真理だとの思い込みをマスメディアが情報操作すれば、日本国民の多くは騙されやすい。これが我が国に民主政治が定着しにくい最大の原因だ。本格的憲法論議が可能になる環境をつくることが先決である。
「日本は民主主義の定着に問題がある」、との加藤先生の指摘を証明する最良の証拠は、平成24年4月27日、自民党谷垣禎一総裁の名において発表された「日本国憲法改正草案」である。ここに示された原理は、明治憲法以前の発想であり、国民主権も基本的人権も冒涜した、およそ「憲法」に値しないものだ。私の手元に明治13年4月、8万7千人による「国会開設の請願書」の上願記録がある。これが国会開設運動の原点であり、自由民主党の歴史的ルーツといえる先人達の発想だ。
「国家の原素たる者は人民にして、国は民に由って立つ者なれば、人民に自主自治の精神なく、人民たるの権利を有すること無ければ、国家は不羈独立す可きことなく、克く国権を張るを得べからざるの理なれば、今先づ国会を興さざるを得ざる可き也」。憲法政治の根幹を明記している。この発想を理解できない現在の自由民主党の政治家たちと憲法論議を行うべきではない。立憲主義とは何かについて国民的コンセンサスをつくることがまずは必要である。その意味から憲法条文の論議より基礎的原理の論議を深めるべきと思う。
(憲法学者に欠けた歴史観―消費税軽減問題を立憲主義冒涜と何故批判しないのか)
「安保法制の廃止」論議から活発となったのが「立憲主義の確立」であった。日頃、政治に直接口を差し挟まなかった憲法学者の大多数が、安倍自公政権に抗議した意義は大きい。この憲法学者たちから、「消費税軽減問題」を憲法政治即ち「立憲主義」の立場から議論が起こらない。私はその原因を、憲法学者に歴史観が欠けているからだと断言したい。税制度を、単に財政政策の一部と考えているからだと思う。議会政治の歴史は「領主の課税権を民衆のものとする」ことに始まったのだ。
今回の自公両党、否、「官邸と創価学会」による「消費税軽減税率合意」には数々の問題点があるが、特に重大な憲法冒涜について論じておきたい。マスメディアは、官邸だけではなく創価学会との営利的関係が深いので、真実を報道していないが、弱小メディアは今回の軽減税率を決めたのは、官邸の実力者と創価学会の副会長だと2人の行動を具体的に報道している。宗教団体の認可を得ている創価学会は、憲法二十条一項にある「(前略)いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という規定に違反するものだ。
創価学会内部だけでなく、公明党にも反対意見のあった憲法違反の「安保法制」の成立に協力した「貸し」を返すこと。そして、来たる年の国政選挙で自民党に「新しい貸し」をつくるために、公明党幹部も予期しなかった「破天荒の軽減税率」となった。それ以上に自民党執行部は不満を持ったことだろう。この流れをわかりやすくまとめると、「創価学会の政治的脅しに乗った官邸が、返す刀で自民党を脅して合意させた軽減税率だ」といえる。この結果、消費税上何が起こったのか。本来軽減税率とは逆進性で苦しむ弱者対策のためであり、人間が生存に必要な最低限の物資には課税しないことだ。
例えば基礎的食料品に課税しないことは国際的常識だ。米などをゼロとし、ダイヤや毛皮など(政治家が多用する料亭の芸者の花代も)30%にするといった複数税率とすべきものだ。米等、基礎的食料品はゼロになると信じていた創価学会員が怒っているという笑えない話も伝わっている。「軽減」とはいうものの、生きるための基礎的食料品の八%は、世界中で最も高い消費税率である。このことは憲法第25条の「最低限度の生活を営む権利を有する」規定に反するものといえる。
私の人生の師、前尾繁三郎元衆議院議長は敗戦直後の主税局長で戦後の混乱期税制度の責任者であった。「税制は公正であるべきだ。国民を欺き、もてあそぶものであってはならない。税務の威信が崩れると国は崩壊する」と常に語っていた。この信念を通すため昭和17年、東京税務監督局直税部長時代、高級料亭への課税を厳しくし、東条英機首相の中止命令に従わずインドネシアの戦線に飛ばされた。
また主税局長時代、占領軍が占領費増額のため各税務署に収税割当を義務付ける「割当課税」を命令したのに抵抗して、造幣局長に左遷された人物だった。現在の谷垣自民党幹事長は、前尾さんの後継者である。宮沢自民党税制調査会長は、前尾主税局長の通訳として占領軍に抵抗した宮沢喜一元首相の後継者だ。私はこの2人の後継者が先人の政治信条を継承していないことに、自民党、否、日本の悲劇があると思う。税制度を憲法問題から議論すべきだ。
最後に、この1年拙文をお読みいただき感謝いたします。傘寿を迎えて世間的にはそろそろ引き際かなという自覚はありますが、生涯を託したつもりの議会民主政治が未だ定着せず、暫時、警鐘を発し続けることをお許し下さい。読者諸兄姉には良いお年をお迎えください。
(来年に続く)
以下、上記平野論考に対する私見。