日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○ 『運気』が落ち始めた安倍政治!

ブラジルのW杯では、日本チームは事前予想を裏切り、一勝もできずに散々な結果に終わった。その時、私が感じたのは「これで安倍首相の〝運気〟が落ち始めるな・・・」ということだった。W杯の期間は日本で「集団的自衛権」の与党協議の最中だ。もし、日本チームがベスト8にでも残っていれば、七月一日の安倍首相記者会見の反応も、こうまで評判は落とさなかったと思う。

政治には「無関係の関係」という法則がある。W杯と集団的自衛権とは論理的には関係ない。しかし、W杯で日本チームが大活躍していればテレビや新聞の報道は大騒ぎとなり、集団的自衛権の危険性を指摘する報道は激減したであろう。七月上旬の報道各社の世論調査で、安倍内閣の支持率は激減した。多くの調査では10%近く、NHKという安倍政権擁護メディアでさえ5%ダウンと驚くべき数値であった。

安倍政権の応援団はNHKだけではなく、読売・産経・日経グループといったマスメディアもあって、圧倒的に世論を誘導する力を持っている。滋賀県知事選挙では、約42%の人が自公推薦候補が敗れた理由に「集団的自衛権行使容認の閣議決定」を挙げている。ネット世論では約67%の人が解釈改憲を評価していない。それにしても「集団的自衛権」の解釈改憲に反対する国民が60%を超えた事実は大きい。日本人の政治意識は案外健全である。私の推測では、安倍政権の猿知恵側近たちが企んだ計算は、W杯の期間中に意図的に「集団的自衛権」の与党論議を続行して閣議決定を行えば、W杯の騒ぎの中で、批判も減少すると踏んだのではないかと思う。

この目論見は外れたわけだ。高度な情報社会というのは、このように情報操作を前提とするもので、余程国民自身がしっかりと目を見開かないと、権力側に騙されることになる。

「集団的自衛権」をめぐる今回の国民世論の結果は、安倍首相にとっては想定外のことであろう。権力は、W杯の結果を情報操作に利用できるが、W杯の結果を左右することはできない。それは人間の力を超えた「天命」のようなものがあるからだ。権力者が驕り高ぶり、謙虚さが失われたとき「運も実力のうち」という法則は消える。〝運気〟は墜ちてくるのが宇宙の理(物事の筋道)である。

そういえば7月17日に発生した、ウクライナ領域内でのマレーシア航空機事件だが、親ロシア派による撃墜の可能性があるといわれている。外務省関係者は「タイミングが悪すぎる。日ロの関係改善がまた滞りかねない」とこぼしているとのこと。これも「運気の落ち」かもしれないが、この事件の世界経済への影響が無視できない。株価の世界的急落が始まるだろう。経済の低迷が続けば、政府や日銀が想定する「景気の夏以降の回復」は難しくなる。アベノミクスの命取りになる可能性がある。

もうひとつの「運気の落ち」は、11月に予定されている沖縄県知事選挙だ。自民党本部と沖縄県連で、仲井真現知事の立候補をめぐって調整ができなかったが、仲井真氏が事実上立候補表明をした。一方の翁長雄志那覇市長は普天間米軍基地の県内移設に反対して幅広く県民に支持がある。一騎打ちとなれば結果はだいたい読める。安倍政権の沖縄政策の根っ子から打撃を受ける。どうやら、お天道さんの堪忍袋の緒が切れたようだ。

(国民の60%超が反対し、国会議員の70%が賛成する安倍解釈改憲政治の危険性)

7月14・15日の2日間、衆参両議院で「集団的自衛権」の集中審議が行われた。自民・公明の言動はもとより、野党の論議について国民の評判はきわめて悪い。国民の多くが心配している「集団的自衛権」問題と各党が提起する問題にすれ違いというか、異次元さを感じるのは私だけではないだろう。

東京新聞の7月16日(朝刊)が、各党論議を総括している。それを参考にして、どこに国民の気持ちとの捻れがあるのか点検してみたい。

○民主党
限定的な行使を容認する意見も党内にあり、行使自体の是非は明確な判断に踏み込んでいない。ただ閣議決定による行使容認には、海江田代表も「国民の声を無視している。大いに疑義がある」と反対した。

○共産党
「地理的な限度がなく、海外の武力行使がどこまでも拡がる」(小池晃政策委員長)

○生活の党
「国民の信を問うべき内容だ」(村上史好衆議院議員)

○社民党
「立憲主義を根本から否定する暴挙だ」(吉田忠智党首)

○結いの党
「過去の憲法解釈を簡単に踏み越えるのは暴走と言われかねない」(柿沢未途政調会長)

○日本維新の会
解釈改憲により行使容認に「わが党は賛成だ」(片山虎之助参議院議員)
(結いの党とは合流を予定し、統一会派として活動しているが見解は別れており、統一見解を模索中)

○次世代の党(維新の会分党予定)
「政府の閣議決定を高く評価する」(桜内文城衆議院議員)

○みんなの党
浅尾代表が閣議決定の具体的内容を問うにとどまった。

この東京新聞の総括記事に不満を持つ方もあるだろうが、要約すればこんな程度だったと思う。安倍首相が「国民の生命を護るため」といやに高揚した言い方が気になったが、満州事変も日華事変も「国家の生命線」とか「邦人の生命擁護」のための武力行使から始まっている。それに「集団的自衛権」の技術論や運用論を、いくら議論しても安倍政権の術中に入るだけだ。もっと大事な問題がある。

閣議決定後の国会論議といえば、風呂の中の屁と同じ。国民の胸にストンと落ちてこないようであり、そこら辺の検証が必要である。そこで集団的自衛権の解釈改憲に批判的な大手新聞が特集している有識者の声を読んでみるとある特長が浮かび上がってくる。それは70歳代以上の高齢者の心情だ。戦争体験者をはじめ、戦後焼け跡を記憶している人たちの声だ。戦争や戦争が醸し出す人間の悲しみを、受けとめる政治家というか、政党がいないということである。「集団的自衛権」の解釈改憲に反対する立場の政治家でも、それらの人々の心の叫びが理解できず、憲法の手続論か、安全保障の技術論でしか問題を捉えていないのだ。考えてみれば、衆議院議員480名と参議院議員242名、合計722名の国会議員のうち、約70%が安倍首相の「集団的自衛権解釈改憲」の理解者であることが空恐ろしい。

(「集団的自衛権」の本質を知らない最近の外務官僚たち!)

7月20日(日)の朝日新聞朝刊に、元外務次官の竹内行夫氏が登場し「今回の行使容認はきわめて抑制的なものだ。朝日の報道には疑問を感じる」と語っていた。そして問題発言があった。「従来の政府解釈は他国防衛説であったとみられます。・・・・今回、自国防衛説に変わったとわたしはみています」と。それは岸内閣の60年安保改定の第五条で伏線を敷いていたとし「他国防衛のための集団的自衛権を導入するには、憲法改正が必要だと考えますが、今回(自国防衛説)は第9条の理念を守り、許される範囲で解釈の変更をしたのであって、解釈改憲との批判は当たらない」と述べている。

原点―219号で採り上げたが、60年安保改定が岸内閣で行われ、岸首相が退陣した直後(昭和35年8月10日)、政府の憲法調査会で元外務省条約局長の西村熊雄氏は、国連加盟の申請書について次のように述べている。「日本政府はその有するあらゆる手段で国連の義務を遵守するが、日本のディスポーザルにない手段を必要とする義務(憲法9条関係)は負担しないことをはっきりさせ、提出しました」と、〝留保〟を明言した。

さらに西村元条約局長は、60年安保改定の議論に対して証言の最後に「この点(留保を付したこと)は忘れられていますけれど、この機会に報告しておきます」と、当時の外務官僚の怠慢を意識して警告を発したものと私は理解している。「集団的自衛権」について〝他国防衛説〟とか〝自国防衛説〟という議論は、外務官僚が自分の都合で利用する屁理屈である。要するに事実上他国で武力行使をすることだ。

敗戦後、わが国は東西対立、米ソ冷戦や代理戦争の中で生きてきた。飢餓から脱出して、復興、そして豊かな生活を実現していくため吉田保守本流政治が阻止すべき課題がふたつあった。ひとつはソ連の指導による日本の武力革命阻止であった。もうひとつは米国が要求し、岸保守亜流が企む再軍備の阻止だった。

前者は昭和36年の日本共産党の戦略変更によって、議会主義による政権獲得路線となる。もっともその後共産党はソ連と決別し、日本社会党がソ連の支援を受けるようになる。

問題は保守亜流岸派の動きである。米国は講和条約の代償として日本に再軍備を要求したが、吉田首相は拒否する。戦犯岸信介氏は政界復帰後、再軍備を目指して政権獲得に挑戦する。協力したのは米国CIAであった。吉田首相は米国と交渉を重ね、憲法上の疑義を批判されながら自衛隊の設置まで決断する。吉田首相にとって「集団的自衛権の容認」は、戦前軍事国家への回帰の峠であった。

退陣の半年前、自衛隊法の制定と同時に「憲法上許されない」との政府見解を出すことになる。これを外務省は隠している。(第19回国会・衆議院外務委員会議録第57号を見よ!)「集団的自衛権」とは、日本にとって国際法上の権利という次元の問題ではない。「戦前の軍事国家」に進むかどうかの問題だ。戦争を知る世代の人たちの心情はここにある。

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