日本国憲法が、第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と、第九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」として、個別的自衛権は認めているのに対して、「集団的自衛権の行使」を禁じているのは明らかだ。

この日本国憲法の規定を無視し、「閣議」という「お仲間」で決めるという立憲法治主義を否定することであるとともに、憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」違反である。要するに今回の事態は、一票の格差で最高裁が「違憲状態にある」としている違憲国会の違憲議員によって選ばれた違憲内閣が引き起こした事態である。

安倍晋三首相に真に集団的自衛権の行使が必要だとの論理的、実証的な確信があれば、少なくとも衆参両院で三分のニの可決で持って憲法改正の発議を行い、国民投票を行うべきである。ところが、正統な手続きを得るだけの論理・実証性に裏付けられた信念と自信がないものだから、東大法学部(本当は阿呆学部だが)出身の山口那津男公明党首にいちゃもんをつけられると、「集団的自衛権限定的行使容認」という意味不明の言葉に変わってしまった。そのせいもあってか、国会での衆参両院に設けられた集中審議会で、安倍首相は次の「言葉」をテープレコーダーのように繰り返すだけだ。

  1. 現行の憲法解釈の基本的考え方は変わらない。
  2. 海外派兵は一般に許されないという従来の原則も変わらない。
  3. 自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない。
  4. 外国を守るために、日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、ありえない。

すべてが、論理的整合性と現実妥当性に欠く。仮に、「日本と密接な関係のある国」が自衛隊に対して後方支援を要求してきた場合はどうするのか。上記方針の通りに戦闘への参加を拒否できるのか。拒否できなければ、前線への補給部隊、補給路を断つというのは、常識である。「敵側」が自衛隊の設置・運営している後方支援基地を攻撃してきた場合、首相が自衛隊は戦闘に参加することはないと言っている以上、「自衛隊」は任務を放棄して日本に逃げ帰るのか。安倍首相は「日本と密接な国とはどこか」、「日本と密接な国及びその国の大使館など関連施設が攻撃された場合は、『自衛隊』はどうするのか」などと野党議員が質問しても、質問に応えないし、上記内容をテープレコーダーのように繰り返すだけだ。委員長も首相に対して「安倍君、○○君の質問に真面目に答えて下さい」と注意を促すことさえしない。安倍首相がはっきりと、「米国です」、「自衛隊を現地に派遣し、米国を守る戦闘に参加します」と言えば論理的には納得する。

安倍首相の著書「美しい国へ」は大要、つぎのように書いている(仮面ライターが書いたのだろうが)。

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「日本の安全は日本独力で守ることはできず、日米同盟に頼るしかない。米国の国際社会への影響力や軍事力を考えると、日米同盟はベストの選択だ。その日米同盟を強化するためには、日本が攻撃を受けた時は米国に守ってもらうが、その逆、つまり米国が攻撃を受けた時に日本が出ていくことはできない、ということでいいとは思えない。日米同盟の双務性を高めるということは絆を強くするだけでなく、対等な関係を築くことにもなる。双務的な同盟関係の実現は、基地問題を含めて日本の発言力を高めることにもなる(引用者注:在日米軍基地の縮小と撤去を米国に実現させることができる、という意味)」

※2013年1月「新しい国へ 美しい国へ 完全版」というのが出ている。

それをそう言わないで論理的に支離滅裂な発言と詭弁で「応酬」するから、安倍首相には理性がないのではないかと思う。そうでありながら、菅官房長官は「関連法整備は来年の統一地方選挙後に行います」と言う。それじゃ「閣議決定を何故、急いだのか」ということになる。

これに対して、集団的自衛権行使に「野党」の中は賛成する野党があり、反対する野党もある。みんな、分裂維新双方、結いはいずれも対米隷属政党だから、賛成。社民党は理念がない。党名の「社会民主主義」をまともに勉強し、「日本型社会民主主義」ぐらいは打ち出す必要があるのではないか。共産党は「科学的社会主義」と言う名の「宗教」を捨てられず、「宗教改革」もできない事実上の自民党の補完勢力である。また、社民、共産両党とも政権を取る能力は別にして、意欲はさらさらない。政権奪取を目指さない野党は、「ネズミを取らないぐうたら猫」でしかない。

民主党は海江田万里代表が「集団的自衛権行使容認は憲法違反。戦争か平和か」で党内をまとめ、民主党内のいわゆる「悪徳10人衆」に象徴される対米隷属派閥を同党内から一掃すべきではないか。滋賀県知事選挙で自民公明党が敗北した今、その絶好のチャンスだが、海江田代表は「経済評論家」出身にしては現状の経済分析に疑問がつく他、海江田党首の胆力には疑問符がつく。「生活の党」はいかんせん勢力が小さい。

と言う訳で、理性を欠く違憲内閣を「支える」自民公明党に対抗できる野党が結集できない。国会は本来、論戦で与野党が切磋琢磨して、「国民の幸福」を実現する場である。まとまりのない国会は、まとまりのない小学校の学級と同じであり、既に「学級崩壊」していると言わざるを得ない。

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