日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

11月9日(土)、『元気ネット大阪』が主催する大阪経済人政治倶楽部設立記念講演会に出席した。会合の目的は現在の内外の政治状況下を踏まえ、「細川連立政権以来の日本政治の経緯の検証と、現在の日本政治に必要とされる、もうひとつの政治勢力の可能性を問題提起する」というものであった。

私は「この国に求められるもうひとつの政治思想」という演題を与えられ、その後で同文社代表取締役で、政治評論家の前田和男氏と討議した。久しぶりに大阪という何かと話題の多い場所で、自由に話ができたので要旨を掲載しておきたい。

(大阪人の政治感覚)

平成16年に参議院議員を引退してから10年近くになります。私は市民運動として「日本一新の会」を主宰していますが、この大阪府下でも100名ほどの会員が参加してくれています。昨年、橋下さんの「大阪維新の会」が国政政党として「日本維新の会」に発展、如何にも天下を獲りそうな勢いとなり、「イッシン」と「イシン」で似ていることから、私も「維新の会」に入ったのかと間違われ困りました。

私の「日本一新運動」の源流は、細川連立政権以来の改革派の失敗を反省して、政治改革を文明論から再検討しようと、参議院議員を引退したのを機に、平成17年にスタートさせたものです。「維新の会」については、私よりも皆さんの方がよくご存じのことでしょう。「大阪人の政治感覚」という点から少し触れさせてもらいます。

橋下さんが知事、そして市長に当選して、活動する状況をよく観察しますと、平成7年に大阪知事に当選された「横山ノック」さんと、いくつかの類似点があります。1)大勢の無党派の支持を得て当選したこと、2)テレビなどマスコミを巧妙に利用した政治であったこと、3)就任直後に一時的に不思議な人気が出たことです。ここまではよく似ています。私はこれを『パンパカパーン政治』と名づけています。

「維新の会」側からいえば、「自分たちには政策と行動計画があるので、ノック政治とは違う」と反論があるでしょう。私に言わせれば三百代言の域を出ず、政治手法の違いは「吉本興業手法」か「弁護士手法」の差です。本質は「瓦版」を利用した権力の維持です。私は衆議院事務局に勤めていた関係で、日本で健全な議会政治意識を持つ地域の研究をしたことがあります。大阪が一番健全でした。中世の自由都市「堺」の影響でしょう。有権者の自由と自立意識を感じました。しかし最近では、高度情報化社会が大阪人の議会政治意識を変えているように感じます。

(細川連立政権を樹立した政治勢力の反省!)

健全な政権交代を目指して細川連立政権を樹立した政治勢力が、20年を経て事実上崩壊した原因を、私なりに反省して申し上げます。頑強な反改革勢力の抵抗がありましたが、まず主体的な自己反省をしなくてはなりません。
ひと言でいえば、私たち自身が大阪の政治と同じ『パンパカパーン政治』をやっていたということです。正常で正当な政治活動をやっていたつもりでも、潜在的にメディアに依存していたことは否定できません。

40年近く独占していた自民党政権を、非自民連立政権に交代した背景を考えますと、小沢一郎さんの政局判断が的中したものです。参加した政治家のほとんどは、政治改革の理念を理解していなかった。さきがけの武村さんなんか、自民党にいた頃から政治改革を権力闘争の手段に考えていたのです。政治改革を推進した私たちの反省すべきことは、自分たちの改革理論を、仲間たちは当然に理解しているだろうという勝手な思い込みです。「他人は自分ではない」という人間に対する理解が欠けていたことです。

8党派でガラス細工のような細川連立政権の中で、イニシアチブを握れない人たちがいました。55年体制では、裏で自民党と連立していた社会党左派の人たち、そして本当は総理になりたかった人が、自民党の策士と組んで「自社さ連立政権」をつくることになります。ここから権力闘争の政治ゲームが色濃くなります。この権力闘争は与党対野党だけではなく、それぞれの党内でも起こります。特に酷かったのは「2大政党で政権交代を」という看板で結集した『新進党』の内部抗争でした。

また、平成時代の特長として、衆参国政選挙で世代交代が目立つようになります。新生党・日本新党・さきがけを中心に、自民党もそうですが、若い人たちが国会議員になってくる。世代交代は大事なことですが、若い政治家は政治の訓練と経験が足りませんので、本人たちには自覚と謙虚さがいるのですが、その点が問題で、民主党政権失敗の原因の一つでしょう。

新進党が解党した時、私が「政治理念の純化が必要だ」といったことが問題になりました。何故こんなことを私が言いだしたのか。平成10年でしたが、世界の資本主義の様子がおかしい。その対応として『日本改造計画』の補足として「日本再興のシナリオ」をつくり、金融危機や北朝鮮危機などを背景に、小渕自民党政権と政策合意の上で自自連立をやりました。自民党は公明党を連立に引っ張り込むために、自由党を利用したわけで騙されたのです。これも反省のひとつです。

(何故、民主党は崩壊状況となったのか!)

自自公連立から自由党が離脱して、自由党内の自民党との連立派は保守党をつくります。残った自由党は、小泉構造改革に対抗すべく理念と政策の整備に専念しますが、格差社会の深刻化などに対応するために、政権交代を優先すべきとの意見が起こります。自由党は「日本一新11基本法案」を国会に提出した後に解党し、無条件で民主党と合流します。平成15年秋でした。その後、6年間いろんなことがありましたが、平成21年8月の総選挙で民主党は待望の本格的政権交代を実現させました。

ところが3年3ヶ月で自公両党に政権が戻ります。昨年12月、野田民主党の狂乱解散による総選挙で壊滅的敗北をしたわけです。そして本年7月の参議院選挙でも同様の敗北となりました。敗北したのは民主党だけではなく、民主党政権から離脱した小沢グループを中心に結成した「未来の党」や「生活の党」も、厳しい敗北を喫したのです。「維新の会」や「みんなの党」などの野党も躍進できず、現在国会は野党の機能がきわめて劣化したわけです。

何故、こういう政治状況になったのか、これを検証しますと、これから対応すべき課題が見えてきます。
麻生政権からの主な重大事件を挙げますと、1)平成20年9月の「リーマンショック」、これは金融資本主義の崩壊でした。2)同21年3月の所謂「小沢陸山会事件」、これは政治権力と司法権力と巨大メディアの捏造で、憲法政治の崩壊でした。3)同23年の「東日本大震災と福島原発事故」、これは原発資本主義の終焉です。4)同24年8月~11月にかけての野田民主党政権による公約違反の消費税増税と衆議院の狂乱解散で、議会民主政治の破壊と政治不信の増大でした。

問題を整理しますと、まず「政策問題」として世界資本主義の危機や、原発事故による放射能問題、エネルギー問題などから国民の生命・生活をどう守るか、経済の再生をどうするかなどの課題があります。「憲法政治問題」として、民主党の菅政権や野田政権がつくった政治不信をどう回復させるかがあります。

例えば消費税増税の条件とした「社会保障制度の整備」や「政治家の身を切る改革」などの実現は絶望的です。消費税増税をやらないと約束してやった民主党は国民を騙し、その民主党は3党合意で増税に賛成した自公に騙されるという、「嘘の政治」の重層化でした。それに、ネット時代の「脱原発の政治勢力」を纏めきれなかったこともあります。

更に問題なのは「小沢問題」です。完全無罪を勝ちとった弘中主任弁護士は、法律の専門誌で「陸山会事件は、検察の妄想から始まった事件で、実在しなかった」と断言しています。ほとんどの国会議員が小沢問題の本質を理解していません。恐ろしいのは、若干の「明日は我が身」と理解している人たちが議会政治の危機と認識していないことです。

憲法以前の不条理は、菅政権の一部の幹部が、小沢代表を排除するため検察が不起訴として事件を、検察審査会に干渉して強制起訴に持ち込んだのです。平成22年9月の代表選挙の謀略を検証すればわかるでしょう。

(新しい政治勢力結集の可能性)

これらの「政策問題」と「憲法政治問題」について、民主党政治の総括がなければ、新しい政治勢力の結集は期待できません。これは国民全体の課題でもあります。こういった基本的なことが明確にならないため、野党結集が浮遊しているのです。

ところが市民レベルでは動きが始まりました。先般の神戸市と川崎市の市長選挙です。自公民と連合が、既得権を死守するために擁立した官僚候補を川崎では撃墜し、神戸では撃墜寸前まで攻め込みました。この市民の動きに注目すべきです。

良識ある市民は、第2次安倍政権の政治運営や政策に危機を感じています。さらに原発問題の抜本的解決をはじめ、マネーゲーム資本主義から国民の生活を守ること、立憲政治の再生など「もう政治に騙されないぞ!」と声を上げ始めたのです。それは「人間を大切にする政治」の実現です。これが新しい政治勢力の理念となりましょう。

最後に申し上げたいことは、この理念を生かすには歴史に埋もれている2人の大阪人の思想の活用です。1人は近松門左衛門です。人間をよく見てよく知ることを信条とし、「芸は実と虚との皮膜(ひにく)の間にあり」(虚実皮膜論)と教えています。私は「芸を政」と読み替えたい。虚だけの政治を駆逐することです。また「金が敵の世の中を!」と金からの自由を提起しました。

もう1人は大塩平八郎です。天保8年の乱は民衆を救うための「経世済民」でした。明治維新の始まりだとの有力な学説があります。「五倫は太虚(宇宙の根源)に有らざれば則ち偽のみ」(太虚論)と喝破しています。近松の「自由論」と大塩の「平等論」から「ネオ・デモクラシー」の思想を考えてみましょう。それは市場経済原理を「人間の生存権の保障」と「地球環境の保全」の下に置く、国家社会の実現です。大阪の歴史と文化の中に、日本を元気に健全に発展させる鍵があります。

明治維新でつくられた日本近代国家は、欧米の真似事で「平等を犠牲にした自由な社会」でした。近松と大塩が実現しようとしたのは「自由であるが故に平等な社会」です。新しい政治勢力が結集されるとすれば、大阪の歴史と精神に学んだ「ネオ・デモクラシー」の実現ではないでしょうか。(了)

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