安保法制案=戦争法案廃案のために③ー「昭和47年政府見解」の真実

安倍晋三政権が安保法制案=戦争法案が「違憲立法ではない」と強弁している根拠が昭和47年(1972年)10月14日、当時の田中角栄内閣が参議院決算委員会に政府家統一見解として提出、集団的自衛権の行使が日本国憲法違反であることを明快に論じ、断した「政府見解」だ。どうしてこうした摩訶不思議なことが起こっているのか、再度、考察したい。

「昭和47年政府見解」を再掲します。

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「 集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」
(昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料

「国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第 2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。

そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。

憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」

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安倍内閣はこの政府見解で、「あくまでも外国の武力攻撃によって」との文言が「どこの国に対する攻撃か」を特定していないことを盾に、わが国日本の他に「わが国と密接な関係にある同盟国」も含まれていたとの立場に立ち、①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し②これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という「存立危機事態」という概念をひねり出し、集団的自衛権行使の要件に仕立て上げた。ただし、存立危機武力攻撃事態(武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った場合も含む)において容認される武力行使は、③事態に応じ合理的に必要とされる限度においてなされなければならない、として①②③を個別的自衛権および限定的な集団的自衛権行使の「新三要件」としている。

しかし、上記の昭和47年政府見解では最後の段落において、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としており、要するに、「外国のわが国に対する武力攻撃」に対しては正当防衛の自然権として、「個別的自衛権」に基づく武力による反撃が認められるという立場を明確にしている。

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昭和47年政府見解は「個別的自衛権」の行使しか認めておらず、「限定的」であれ「フルスペック」であれ「集団的自衛権の行使は憲法上、認められない」というのが基本理念である。この問題に詳しい民主党の小西洋之参議院議員が当時の議事録を詳細に調べたところ、政府見解作成責任者の吉国一郎内閣法制局長官は「他国防衛、つまり、集団的自衛権行使をやることは、憲法9条をいかに読んでも読み取れない」、「我が国に外国の浮力攻撃が発生した際に、やむを得ず自衛の行動をとることが、憲法の容認するぎりぎりのところだ」などと語っているとのことだ。

つまり、憲法9条は「限定的な集団的自衛権行使」を含めてあらゆる集団的自衛権行使は、憲法違反であるというのが、昭和47年政府見解の基本理念である。従って、安倍政権が同見解を「限定的な集団的自衛権なら行使の容認を認めたもの」と解するのは、「法的安定性」に欠けるものである。

安倍晋三首相の頭の中にあるのは、「現在のところ」、①ホルムズ海峡封鎖の事態②朝鮮半島で有事またはそれに近い状態での北朝鮮による米イージス艦への武力攻撃事態ーである。しかし、イラン核協議が今年の7月に合意をみたことで、イランがホルムズ海峡を封鎖する可能性は極めて低くなっており、首相もこれを認めざるを得なくなっている。

また、北朝鮮による米イージス艦への攻撃に対する自衛隊の防御についても、集団的自衛権の枠内で論じることには疑問がある。日本側は個別的自衛権、米国側は集団的自衛権を基に定められた日米安全保障条約および周辺事態法で十分対処できる事態である。また、民主党の小川勝也参院議員が明らかにしたように、米国のイージス艦は部隊単位で行動し、部隊内でのイージス艦防衛体制は十二分に整っている。この点は、安倍首相も認めざるを得なかった。従って、個別的自衛権および周辺事態法で対処すれば良い。

このように、存立危機事態という概念は、昭和47年政府見解に違反し、従って憲法違反である。そして、法律効果(この場合は、自衛隊による武力行使)を認めるための法律要件としても極めて曖昧である。このため、この存立危機事態および武力行使の「新三要件」が大前提になっている今回の安保法制案=戦争法案は、とんでもない代物でしかない。安倍首相以下安倍政権は、日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」違反の政権である。

「連合赤軍派」が執行部を担っている民主党には感心しないが、安保法制案については

  1. 政府の集団的自衛権行使を認める「新3要件」は基準があいまいで、自衛隊の海外での活動の歯止めにはなりません。
  2. 「新3要件」は立憲主義に反した便宜的・意図的な解釈変更であり、専守防衛の原則から明らかに逸脱しています。
  3. 政府が集団的自衛権を行使して対応すべきとする事例は蓋然性や切迫性が認められません。邦人輸送中の米艦防護の事例は集団的自衛権の行使とは解されませんし、ホルムズ海峡の海上封鎖については日本が武力行使で解決すべき「日本の存立を脅かす事態」とは考えられません。

と批判している。この論点を貫き、安保法制案=戦争法案の成立阻止に向け、戦争法案審議会での合理的論戦で自公政権を完膚なきまでに打倒すること、自公の反執行部勢力と協力すること、衆議院での強行採決を体を貼ってでも阻止し、同法案の廃案と安倍政権の倒閣を実現するなら、批判は本物であると認めよう。

【※追記】
安倍晋三首相がそんなに日本を戦争国家に変えたいのであれば、①国際環境(国際情勢)が何故、重要な変化を遂るのかを論理、実証的に国民に明らかにしたうえで、②憲法改正の発議を国会で行い、国民投票に持ち込むーことが法治国家、民主主義国家としての正しい在り方だ。

ただし、どちらもできまい。①については第一に、米国が新自由主義で自滅、壊滅しており、最後の軍産複合体に頼らざるを得ないほど追い込まれている。第二にこのため、アフガン戦争始めイラク戦争、「イスラム国家」等の戦争創作劇を演じざるをえなかったこと、そして第三にそれは今後も続くこと。第四に、日本の植民地国家化を完成して、「財布国家」、「私兵国家」にすることが、国際環境変化の根本にあるからだ。

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日本国民としては、このまま対米隷属国家であり続け、米国とともに地獄に堕ちるか、それとも、「大東亜共栄圏」の罪の償いをし、「東アジア共同体」を創造して、世界平和に貢献するかの岐路に立たされていることを認識すべきである。

 

 

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