日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○日本国憲法と「国連の集団安全保障」(5)

湾岸紛争が発生して1ヶ月経った九月の始め、総理官邸から私の職場・衆議院事務局委員部長室に1本の電話があった。山口鶴男社会党書記長からである。場違いのところに、場違いの人からの電話だった。「今、海部総理に土井委員長と湾岸紛争への対応で申し入れをしているところだ。16年前の石油危機のとき前尾議長や海部議運理事らとクウェートに行った話をしているんだ。議長秘書の君が夕食会で前尾議長に叱られた話だよ」。

私にとっては昔の失敗談だ。内輪の夕食会で、酒が入った私は訪問したクウェートの宮殿で何か起こると高速艇で逃げられるようにしていること、石油採掘現場などには、すべて各部族が外国からの傭兵で防衛させている様子を見て、「オイルマネーだけで国が護れるはずはない。これだと20年も持たない」と放言したことだ。前尾議長が「招待を受けている国に失礼なことを言ってはいけない。国にはいろんな事情があるんだ」と注意を受けた話だ。
 
社会党の山口書記長といえば、自社55年体制の馴れ合い政治を代表する政治家だ。「平野君の勘は当たったが、湾岸紛争問題で小沢幹事長と難しい議論をしていると、海部首相が困るよ」と、軽く攻めてくる。海部首相が愚痴っている様子がよくわかる。「小沢幹事長は憲法を徹底的に勉強しており、憲法制定に参加した権威者である佐藤功博士の理論を活用しようと、真剣勝負ですよ」と応戦しておいた。「湾岸紛争」の勃発で、「政治改革」は吹き飛んだがポスト冷戦の世界で日本が生きていく理念づくりでは、「国連中心の安全保障」と「政治改革」は同質の基本問題であった。

(出来の悪い政府の「国連平和協力法案」!)

湾岸紛争は9月に入ると各国個別の支援とともに、国連を活用した多国籍軍を結成する動きが出る。日本政府は8月29日に10億ドル、9月14日に30億ドルの資金援助を予備費から拠出することを決めた。国会の議決を要しないので海部政権にとっては精一杯の判断であった。国際社会は「少なすぎる、遅すぎる。中東のオイルで経済成長した日本に誠意がない」と批判し、人的支援を要請した。日本の世論は「多国籍軍」の話が出た途端、人的支援の話は影を消してしまった。

海部政権は、10月に入って漸く国連に協力する方針を固め、同月12日に臨時国会を召集することを決めた。18日には「国連平和協力法案」を国会に提出した。この法案はすこぶる出来が悪く、厳しい批判を受ける。

要旨は次のとおり。(1)目的 国連が行う決議を受けて実施される平和維持活動その他の活動に対し、人的、物的な面での協力を適切かつ迅速に行うことができるように国内体制を整備する。(2)内容 イ、内閣に国連平和協力会議を設けて、首相を本部長とする国連平和協力隊を設置し、停戦監視を初めとする平和協力業務を行うとともに、平和協力隊の海外派遣及び物資協力のための措置を行う。ロ、平和協力業務の実施に際しては、平和憲法を踏まえて武力による威嚇や行使をしてはならない。ハ、平和協力隊員は広く各界から人材を求め、業務については関係行政機関の他、国以外の者の協力を求めることができる。等々

野党は自衛隊を「平和協力隊」として海外派遣させる恒久法ではないか、憲法上許されるわけがない、と強く批判した。与党自民党の中からは、自衛隊や海上保安庁の参加があるとしても、他の行政や民間の人材にも期待するなど、業務の実体が不明で、他国の足手まといになるだけだとの批判が出た。政府内部の混乱の酷く自衛隊中心の業務を主張する省庁もあった。海部首相に至っては、途上国で活躍しているボランティア中心の「青年海外協力隊」とあまり変わらない認識であった。国際社会の批判に形だけで応えようというレベルの政府の姿勢であった。こんな状況で審議が始まった「衆議院国連平和特別委員会」では、政府側の答弁が、不統一と矛盾だらけで大混乱した。

とばっちりを受けたのが外務省の国連局長だ。佐藤官房長が人事問題で相談に来たので「この際、自信を持って明確に答弁できる人材を登用しては!」との私のアドバイスで異例の人事異動をした。ところが新任の国連局長が張り切って気負った答弁をするので、海部首相から「オレの発言が馬鹿のように思われる答弁をするな?」と叱責されたと、愚痴をこぼしに来たことを記憶している。

これからの国会運営をどうするか、10月22日午後、小沢幹事長から呼び出された。私からは「協力法案の審議混乱は論外だが、冷戦後の日本の安全保障のあり方について、国連とどう向き合うか、所期の目的は半分達成したと思うが、どうですか」と質すと、「実は自分もそう思っているんだ。国民はだいぶ分かってくれだしたが、永田町がわかってくれないんだ・・・」とこぼす。

そこで前日の21日、吉田茂元首相を追悼する縁故者の会で、長老の話が面白かったので伝えた。「小沢一郎は、政治的には吉田茂の孫にあたる。雰囲気も通じるものがあり、大いに期待している。頑張っていることはわかる。しかし、憲法問題では言葉不足で、マスコミは足を引っ張ろうとしているので、憲法についてはもう少し丁寧に発言した方がいい」と。小沢さんは「わかった」と神妙にひとこと。
 
(「国連平和協力法案」廃案へのドラマ)
国連平和協力法案は、さまざまな政治経過があって、自公民3党による「国際平和協力に関する合意書」ができ、廃案となる。これにはポスト冷戦をめぐる政治ドラマがあった。今の政治家も参考にしてもらいたい。

10月23日午後、金丸信氏を担当する朝日新聞の木村記者(現社長の木村伊量氏)が委員部長室に来訪。「今朝、金丸さんの話だと『昨夜、小沢に協力法案は徹底的に野党に妥協せよと言っておいた。黙って聞いていたから、そうするだろう』と言っていた。これからの見通しはどうなるか」との問い。「衆議院で継続審査か廃案だが、それを決めるまでに各党間でどんな協議をするかだ」と答えておいた。

2日後の25日深夜、創価学会N氏(秋谷会長秘書役)から呼びだしを受ける。秋谷会長が市川書記長らと重要協議をした直後だった。用件は「小沢幹事長の安全保障の問題提起は大事なこと。協力法案はマスコミが自衛隊派遣→戦争への道への流れをつくった。一度廃案として出直しすべきだ。小沢さんの顔は立てるので政党間協議をするよう説得して欲しい」だった。私は「小沢さんの説得は市川さんの仕事だ。私の仕事は相談があれば意見は言う。小沢さんの腹は、立場があるので継続にして各党協議が限度だ。もう少し困らせたら」と返しておいた。

27日午後、朝日の中島記者から「市川書記長が『協力法案は廃案で協議に入る。幹事長・書記長会談になるだろう』と話しているので、明日の朝刊で『廃案へ』と書く」との電話がある。「(新聞記事について)私に相談することではない。どうぞご勝手に!」と応じた。翌28日の朝刊トップで「協力法案、不成立の公算大」と大見出しで報道された。同日夜、朝日の早野透記者から「小沢幹事長が岡山市の記者会見で『よりよい智恵が各党協議で出れば、直すのは当然』と語ったが、どうなるのか?」との電話がある。経過を説明し「修正に応じてもよいとの与党内を配慮したものだが、ここはスパッと引いた方が、小沢さん本人のためになる」と解説したところ、翌29日の朝日朝刊は「協力法案、廃案にして作り直す用意 自民幹事長」と一面トップで報じた。

2度にわたる朝日の「協力法案潰し報道」に、小沢幹事長は怒り心頭に発し朝日記者団と絶縁状態となった。これを知った金丸氏が、30日、福島市での講演で「野党の意見を入れてより良い立法をするため、協力法案を廃案にすることもやむを得ない」と発言した。11月1日の朝日新聞は、広瀬道貞記者(前民放連会長)の署名入りで「これまでの安全保障について憲法の運用を検討する必要がある」との論文を、社論として掲載した。

これは小沢幹事長の国連による安全保障論を評価するもので、画期的なものであった。小沢幹事長は「自分の問題提起で朝日の社論が変わった」とし、険悪になっていた関係を修復した。4日(日)の愛知県参議院補欠選挙で、不利と予想されていた自民党が勝利し、翌5日、海部首相と小沢幹事長が会談。「協力法案」の取扱を小沢幹事長に一任した。その日の午後、朝日の社会党担当記者が委員部長室に来訪。「土井委員長からの伝言がある」とのこと。持参したメモを見ると「自衛隊を別組織とするなら党内を説得する」というものだった。
(続く)

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