日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 甘利大臣〝口利き問題について〟 (続き)

1月28日(木)午5五時、甘利大臣は「UR口利き事件」について記者会見を行った。私が納得できないのは会見の内容だけではない。記者会見の前に何故国会での説明をさせないかという問題だ。「週刊文春」の特ダネを最初に問題にしたのは国会であった。野党は先ず、国会での説明を要求しなかったのか。野党第一党の民主党は本気で問題の解明をする気があるのか、はなはだ疑問である。臑に疵でも持っているのか。

甘利大臣(当時)の説明は「自分だけが潔白で法的責任はないのだ」ということを、何度も何度も〝東京地検特捜部で検事をやっていた弁護士の調査〟として正当化していた。本当に潔白であるならば、権威に依存した説明は不要で誤解されるだけだ。あの記者会見の内容を国会でやっていたなら国会で嘘をついたとなる。それが議員辞職へと追い込む原点となる。

実は、甘利記者会見の前日、東京新聞と日刊ゲンダイからコメントを求められた。日刊ゲンダイでは、「甘利問題」で安倍政権をどう攻めるか、「基本姿勢を言え」とのこと。読まれた方もいると思うが改めて転載する。

「甘利問題の本質は何か、この認識をきっちりさせる必要があります。ことは甘利さん本人が斡旋利得処罰法に問われるか否か、という問題に止まりません。自民党の政治家は業者からカネをもらって政権にへばりつき、官僚を動かし自分たちの権益を再生産してきた。〝口利き〟は戦後の経済成長の過程で、自民党が『制度化』したものだという問題が根っ子にあるんです。野党はまず、そうした視点をもって追及すべきです。具体的な手法としては資料要求や証人喚問ですが、それに応じざるを得なくなるよう追い込むことです。

かつて小渕首相が倒れた後に、森喜朗さんが首相に選ばれた際、私は国会で『森政権は談合クーデターでできた憲法違反の政権だ!』と、何度も批判し、与党から懲罰委員会に付する動議が出されたことがあります。結局、衆院が解散になって懲罰委員会は開かれませんでしたが、仮に開かれていれば談合だったのかどうか、与党は事実関係を調査せざるを得なくなっていたのです。これほど重大な問題なのですから、野党は『肉を切らせて骨を断つ』ぐらいの覚悟が必要です。」

さて甘利議員が大臣を辞めたとなると、国会で説明させるには委員会などの議決が必要となる。圧倒的多数の自公与党は応じるはずはない。ましてや「告発者」の反論を、国会の証人や参考人としてさせようとしても与党は簡単には了承しないだろう。だからといって、野党は何時までも総予算審議入りを拒否はできまい。

そこで、告発者を国会に証人などに出頭させる状況をどうつくるかだ。既に、朝日新聞(二月一日朝刊)では告発者の一式武氏に取材して、大臣室での「現金授受」の様子や「URとの交渉」等で、甘利大臣の記者会見内容との食い違いが明らかになった。これだけでも「証人喚問」の理由になるが、しぶとい与党はそれでも応じないだろう。

そこで野党がやるべきことは、「甘利大臣口利き事件解明」の調査機関を、他の野党と一緒に結成することだ。その主催で告発者を国会に招き、公開の会合で説明を求め、丁寧に質疑も行い、マスコミを通じて、予算委員会で甘利議員と告発者を対決をさせ、事実を解明しければ国民世論が納得しない環境づくりをすべきだ。これが当面の課題だ。

この問題に私が拘る理由はURがS社に提示した「2000万円の補償金」が、甘利事務所の口利きで「2億2000万円」と、10倍以上にも跳ね上がっていることが大問題である。「甘利事務所」という言い方で、甘利大臣と秘書を区別して、秘書の責任で済ませようとしている。甘利大臣の職務権限がURの業務と無関係ではないことは明らかだ。構造汚職の臭気が「プンプン」している。30億円と言われる別件の補償金交渉となれば「UR民営化」への絡みか?。甘利問題のポイントはここに尽きる。

〇「政治とカネ」、自民党悲喜劇物語 1
甘利経済再生大臣問題は自民党の負の部分の『ゴミ溜』といえる。それは数十年にわたって論議されてきた、我が国における、「政治とカネ」の、宿痾である。何故、日本では「政治とカネ」が健全にならないのか。自民党という政党が、「金権政治」を最大の利権目的として、その為「政権交代を不浄とする思想」から抜け出せないことにある。その歴史の概略を述べておきたい。

1)保守合同以前の「政治とカネ」
敗戦直後の日本政治のトップリーダーは、吉田茂首相である。吉田政治の「政治とカネ」に、吉田茂個人の問題としては後世の参考にならないが、政権政党としての「自由党」の錬金術は戦前の政党政治の延長で問題があった。 参考のために吉田首相の「金銭感覚」について述べておこう。吉田茂は明治11年生れで土佐の自由民権運動家・竹内綱が愛人の芸者〝たき〟に生ませたといわれている。西南戦争の真っ最中で、父・竹内綱が西郷支援に関与した疑いで逮捕された時期であった。いろんな事情で横浜の大富豪・吉田家に養子に出されるこ
とになる。

実父への反発が強く「カネが仇」という精神で、一生に使い切った総額が百億円を超すという、ウソかマコトか疑う話も残っている。外務省へ新橋の料亭から馬で通ったという話も残っている。昭和21年6月、公職追放となった鳩山一郎に代わって自由党総裁・首相への道を説得された時に条件をつけたのが「カネはつくらない。人事には口出しするな」であった。

従って、自由党の政治資金をつくったのは、池田勇人や佐藤栄作という官僚出身政治家であった。官僚出身政治家の錬金術は、出身省庁の許認可に関連して、企業や企業団体から政治資金を出させることで、保全経済事件(昭和28年)は大蔵省出身の池田勇人系政治家の疑惑が問われた。造船疑獄事件(昭和29年)は運輸省出身の佐藤栄作幹事長に疑惑が向けられ、法務大臣の〝指揮権発動〟で逮捕を免れた。

この場合、政治資金を党のために集めることで個人のポケットに入れることはなかった。新憲法下、昭和23年に「政治資金規正法」が制定されたが現在のように厳しい規制と手続がなかった。事件化は、企業や国民の活動に大きく影響が出る場合、刑法などによる汚職として問題となった。

この時期、保守実力者の錬金術は、わかりやすくというと、事実上の「脅迫」や「集(たか)り」であった。昭和20年代の復興期、石炭国管問題・ダム建設など経済再建の国家プロジェクトが展開された。土建業などからのカネは、小者の政治家は親分へ上納し、ポストを求めた。実力者の親分はグループの拡大に活用し、それが派閥となる。親分の代表的なのは河野一郎・大野伴睦氏などである。

昭和20年代政治家が自分の事業で得た資金でのし上がるケースは少なく、田中角栄ぐらいであった。極めて異例なケースで、米国からの機密資金を活用して総理大臣になった人物がいるが、自民党結成の項で述べる。

2)自民党結成と「政治とカネ」
敗戦から3年後の昭和23年12月23日、東条英機ら7人のA級戦犯が絞首刑に処せられた。翌24日A級戦犯容疑者の19人が巣鴨プリンスから釈放された。東条内閣の閣僚であった岸信介や児玉誉士夫・笹川良一らの超国家主義団体の指導者がいた。米国の意図は、彼らを釈放して米ソ冷戦が始まったばかりの時期に情報活動に利用するためであった。(春名幹男「秘密のファイル―CIAの対日工作―新潮文庫)。

自民党は昭和30年11月、保守合同により結成された、政党としては「日本民主党」、「自由党」の2党の合同であったが、歴史的には戦前の「政友会」と「民政党」、戦後はその系列を引く「自由党」と「改進党」という日本の保守勢力を二分していた政党の合同であった。同じ保守といっても、リベラル保守系と戦前回帰国家主義系など、思想信条的には水と油の関係であった。自民党はこの党内対立の振り子の原理で、結成以来、ほとんどの期間政権を続けてきたが、第2次安倍政権以降、「リベラル保守」は完全に死滅している。

イ 岸信介首相の「政治とカネ」
岸信介(安倍首相の祖父)は自由民主党の初代幹事長に就任し、巨大保守政権党を牛耳ることになる。A級戦犯容疑として昭和23年に米国から釈放され昭和27年に追放解除3年目で巨大与党の幹事長となる。政治資金は、誰がどのように調達したのか。自民党の「政治とカネ」問題で真っ先に検証されなければならない。米軍の手で巣鴨から釈放され情報活動として、CIAに協力していく岸信介の資金はどこから出たのかという問題は巷間に数多の情報があることから、それらに委ねよう。

(続く)

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