日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○『民主・自民・公明』の三党合意が壊したわが国の社会保障と財政の再建!
4月1日(火)、消費税が8%に増税された。その国民生活への影響は、日が経つにつれ深刻になっている。平成22年8月に民主党・野田首相、自民党・谷垣総裁、公明党・山口代表の3党による「社会保障と税の一体改革」合意が、議会民主政治を無視して、他党を排除してできたが、その後、何が起こったか。
12月の総選挙で民主党が予想どおり惨敗し、安倍自公政権に交代。「一体改革」について自公両党と民主党の基本認識が対立し、協議が空中分解した。社会保障国民会議が設立されたものの、抜本改革について議論はまったくなかった。安倍自公政権の社会保障改革という掛け声は、消費税率の引き上げと、公共事業のバラマキのための「目くらまし」だった。
そんな時期、『志信会・政経塾』から「社会保障の根本」について話すよう要請があった。「えらいことになった」と思ったが、逃げるわけにはいかず4月21日(月)に講演してきた。大事な旬の問題なので、話の要点を紹介しておく。
1)わが国の社会保障の現状
平成26年4月1日は、わが国の社会保障制度が自公民の3党によって撲殺された日である。「国会の葬式」ならず、「社会保障の葬式」も行わなければならない。アベノミクスというマネーゲームは、財政破綻の地獄への道でもある。わが国のメディアはどうして真実を報道しないのか。消費税増税8%を喜んでいるかのような国民の映像ばかりだ。
わが国の社会保障の悲惨さの数字的現状を申し上げる。平成24年、わが国の名目GDPは472・6兆円だ。平成25年の社会保障給付費は約120兆円である。これは社会保障に要する全費用で、内訳は保険料62・2兆円、国税29・7兆円、地方税11・2兆円、医療自己負担5・0兆円、介護自己負担0・9兆円、その他(保育や障害者福祉の自己負担等)統計にないものがある。ここ数年、名目GDPの約25%にあたっている。これは大変な数字である。
よく社会保障費が、年間1兆円台伸びているといわれるが、これは国税のことだ。社会保障給付費のすべてだと、3~4兆円も毎年伸びている。GDPに期待できない状況で、現在の社会保障と財政負担や自己負担を放置して、制度の破綻は目前にある。自民党や公明党ではアベノミクスで株価が上がったので「百年安心の年金」でやれるという政治家がいる。安倍首相はアベノミクスと集団的自衛権に熱心で、社会保障を食いものにした前科のある厚労省に丸投げだ。
2)わが国の社会保障が破綻した原因
高度経済成長神話が始まった昭和30年代後半にスタートしたのが、現在の社会保障制度である。日本中がいつまでも経済成長が右肩上がりという認識を変えることができず、オイルショックやバブル時代となる。それが慢性不況となり現在に至ったのだ。私の政治の師・前尾繁三郎元衆議院議長は、昭和56年7月に、「高度経済成長が低成長にならざるを得ない時代が来る。その壁がどんなものか考えないと、福祉社会を続けることができない。これをいろんなところで提言するが、指導者たちが理解してくれない」と警鐘して亡くなった。
昭和60年代になって、ようやく福祉社会のあり方と、戦後から続けてきた直接税中心の税制の抜本改革が必要との声が本格化する。昭和63年には、竹下内閣で「福祉目的税とはいわないが、福祉の充実のため」という触れ込みで、消費税制度を導入した。野党を引き込むために予算の先付をして「特養老人ホーム」経費を、厚生官僚の悪知恵で、自民党厚生族のために政治資金づくりにすることなどが、政治と行政の裏で行われる。国政及び地方自治に関わる政治家や官僚の社会保障を食いものにする事件が続くようになる。
3)社会保障の充実と財政の健全化は可能か!
福祉社会の充実と税制抜本改革のため、昭和63年に消費税関連法を成立させるため、もっとも活躍したのが、当時内閣官房副長官の小沢一郎氏であった。私は前尾先生の遺言もあり、立場を超えて協力した。その記録が『消費税国会の攻防1987~88』(千倉書房)である。導入した消費税制度はには多くの欠陥があった。
それを是正すべく、党幹事長となった小沢氏が懸命に努力した。その後、自民党を離党して細川非自民連立政権を樹立した理由のひとつが、消費税の抜本改革と財政健全化のためであった。平成23年の民自公3党合意の破綻は、初めから小沢―平野には読めていたことだ。財務省が野田首相を騙し、自民党が民主党を騙すということだ。この結果は民主党が国民を騙したということで、民主党は廃車寸前となった。
問題はこの政治的詐欺で「消費税の増税による社会保障の充実」を国民は信じなくなったことだ。最大の禍根は、国民を欺く消費税増税に抵抗する小沢一郎氏民主党代表を、冤罪とはいえ権力による政治の主流から排除し、わが国の民主政治を崩壊させたことである。だからこそ、この混迷を打開するための構想「民衆のための新しい日本改造」が必要だ。それを実現できるのは小沢一郎氏しかいない。国民よ、目を覚ませ!。
○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)
2、万次郎はユニテリアン日本人第一号!
(万次郎はクリスチャンであったか?)
万次郎研究家の間では「万次郎がクリスチャンであったのか、なかったか」について論議がある。米国のフェアヘブンではユニテリアン教会に通っていたこと、万次郎の墓からクリスチャンを連想させるなどを理由に、情況的にクリスチャンであるという論がある。
これに対して、万次郎は洗礼を受けた証拠がないこと、帰国して長崎奉行所の取り調べで「踏み絵」(キリスト教禁制の日本では、キリストの肖像を足で踏ませて判定した)を平気で踏んだこと、本人がクリスチャンであったことを明言したことがないことなどを理由に、クリスチャンでなかったという論があり対立している。
この論議から万次郎とユニテリアンの関係がよくわかる。ユニテリアン信仰は歴史的に正統派から迫害を受けていたため、隠れユニテリアンが多かった。また、ラジカルなユニテリアンの中には、キリスト教徒である必要はないという考えがあった可能性がある。さらに権威や形式に拘らないことから、洗礼証明書で判断できるレベルでの話ではない。
万次郎研究家の多くは、キリスト教の影響を受けているが、帰国して長崎奉行所で「踏み絵」を踏んだことで、キリスト教徒であることを放棄したという意見である。人間の信仰についてそう簡単に結論を出すべきではない。中浜家にはフェアヘブン時代の万次郎が使っていた聖書が保存されている。中浜博氏の話によれば洗礼証明書は、教会が洪水に遭い書類が流出して見つからないとのこと。万次郎がクリスチャンかどうかは、鎖国でキリシタン禁制の日本から漂流して、キリスト教文化で生きた彼の思想や行動の中から判断すべきことであろう。
嘉永4年(1851年)に万次郎が琉球に上陸し、同6年に幕府に呼び出される。ペリー米艦隊の出現におののく老中筆頭・安部正弘らに、米国の実情を説明し、開国を進言したことはよく知られている。万次郎は鎖国の禁を破った罪人から米国を知る人となり、幕府直参に用いられる。研究家の通説では、万次郎を米国のスパイの可能性があると警告したのが、水戸藩主の徳川斉昭公であり、ペリー提督との通訳に反対したとなる。
これがまったくの間違いであることを証明する資料が、水戸藩の文書から発見された。発見したのは川澄哲夫氏である。徳川斉昭公が、万次郎に直接聞き質した「聞き書」が文書として残っていた。実に万次郎を大事にしており、米国側と接触させると万次郎を連れ去られると心配していたことがわかる。
その中に、万次郎がクリスチャンであった話を、川澄氏から教えてもらった。要点は、
斉昭公 「ジョン・マン」の謂われは?。
万次郎 「ジョン」とは、やんごとなき人の名なり。
この万次郎の解答を説明しておく。「ジョン」を英語に直すと「John」となる。これはラテン語では「ヨハネ」の意味になる。となると、1)イエスを洗礼したパプテスマのヨハネか、2)12使の一人のヨハネか、どっちかは万次郎に聞かないとわからない。どっちにせよ、万次郎がキリスト教に強い意識を持っていたことがわかる。
捕鯨船で救助されて名を付けられたとき、船名の「ジョン・ハラウンド」の「ジョン」からのものと思われるが、ホイットフィールド船長からキリスト教について学ぶうちに「ジョン」の本来の意味を知ったのだ。
長崎奉行所で「踏み絵」を踏んだのは、日本の開国により、世界中の捕鯨船員の難儀を助けるためであった。キリストの肖像画より、「人間愛」を実践したのである。これこそ、ユニテリアンとしての真のクリスチャンであったといえる。(この項、続く)