「日本一新運動」の原点(237)ー日本国憲法と「国連の集団安全保障」(14)

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

(国際政治学者・故坂本義和氏の功績)

わが国の国際政治学の開拓者として知られている東大名誉教授の坂本義和さんが、10月23日に死去された。反核・平和主義の理論家として知られ、戦後の平和運動に大きな影響を与えた人物だ。私が坂本氏をここで取り上げる理由は、世論に迎合する売名的平和運動の理論家ではなく、現実を理想に近づけようとした貴重な人物であったからだ。

戦後の混迷する国際政治の矛盾に対して理想と現実を統一する理論や、政策を提案した学者であった。私も大いに影響を受け、連載中の『日本国憲法と国連の集団安全保障』は坂本理論の具体化ともいえる。私が最初に驚いたのは、昭和34年、坂本氏が米国留学から帰国後、雑誌『世界』に発表した「中立日本の防衛構想」を読んだときである。

岸内閣の〝60年日米安保改定〟の前の年であった。私は法政大学大学院修士コースに在学中で、坂本氏の「国連警察軍を設立して、日本に駐留―安全を確保する」などの意見に日本の安全保障を夢見たものだ。さらに「国連の平和維持活動に日本も寄与すべき」との主張は、世界の平和と秩序に責任を持つべしとのことで、わが国の平和主義理論家として異色であった。

当時は米ソ冷戦が激しく坂本理論が実現する見通しはなかった。卒業後、私は衆議院事務局に就職し内外の政治についての国会審議に関わることになる。そして30年という月日が流れた平成元年12月、米ソ冷戦は終結する。米ソ両国が国連を中心に世界の平和を確保しようと、国連発足以来、始めてといえる協調が生まれた。そして翌年8月にはイラクがクウェートに侵攻、湾岸紛争が勃発した。国連はそれなりの活動をする。

この時期に、私は衆議院事務局委員部長として、与野党の幹部から国会運営や内外の政策について相談を受ける立場にあった。当然に憲法と国連活動が主なテーマとなる。そこで私が対応したのが、国連の平和維持活動(集団安全保障を含む)に協力することは、憲法の理念や精神に原則として反しない」という坂本理論の紹介であった。その理論を先導したのが、小沢自民党幹事長である。海部・宮沢政権、公明・民社そして社会党の右派とも一致できる政策理念となっていく。

坂本義和という学者の思想の根底には英国の思想家、エドモンド・バークの政治理念があった。ひと言でいえば「保守したければ改革せよ」という信条である。私はここに政治に理想と現実の統合を求める理性を感じていた。私の人生の師・前尾繁三郎は、わが国では数少ないエドモンド・バークの研究者であった。

そういえば、小沢さんの好きな言葉はイタリア映画『山猫』の「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」とのセリフであった。今こそ、坂本義和氏の功績を生かしていかねばならない。

○日本国憲法と「国連の集団安全保障」(14)
(憲法論議を集約した雑誌『世界』の「改憲論はなぜ噴出するか」)

平成5年1月22日に、宮沢内閣が召集した第126回通常国会の特色は、憲法問題を避けてきた、野党の党首クラスが独自の立場で憲法を論じ、宮沢首相の見解を質したことである。その背景には冷戦後の新しい国際情勢の中で、日本はどのように貢献していくかという問題があった。同時に、政治改革から政界再編を展望しての議論であった。これまで、政権交代を行う気のない与野党の談合政治を、どう改革するかという背景があった。

雑誌『世界』の対談は、朝日新聞の編集委員を辞め、政治評論家に転じたばかりの国正武重氏と私が、国会で憲法論議が活発になった同年2月に行い、月号(注:4月号?)として3月に発売されたものである。内容は、中曽根元首相・宮沢首相・後藤田元内閣官房長官・小沢元自民党幹事長・山花社会党委員長の政治指導者の憲法観を論評したものだった。私が当時の憲法論議を「改憲攘夷論」「護憲攘夷論」「護憲開国論」「護憲改憲論」の四タイプに分けて「まだら模様の憲法論」と論評したのが話題となった。

この『世界』が発売されると、土井たか子元社会党委員長から、「国正さんも貴方も知らない仲ではないでしょう。どうして私の憲法論を採り上げないの!」と、電話で怒ること怒ること・・。私はこの対談で「戦後40有余年、体制側と革新側で憲法観は異次元だった。それでは政権交代はあり得ない。同じ次元にしようという努力が見え、全体としてひとつの土台になりつつある。政権交代構造への可能性は視野のなかに入ってきた」と総括しておいた。

3ヶ月後の6月には政治改革をめぐって、宮沢内閣不信任案が可決され、衆議院解散、7月の総選挙で自民党が政権を離れ細川非自民党政権が成立する。興味ある方は一読されたい。

(宮沢政権でのPKO訓練センターの議論)

宮沢自民党政権を支えていた経世会(竹下派)は平成5年12月に分裂し、羽田―小沢氏を支持する衆議院35人と参議院9人が「改革フォーラム21」という政策集団を結成する。私は7月の参議院選挙で無所属で当選したままになっていたが、この派閥に所属するため自民党高知県連に入党の申請を行った。ところが、党本部では参議院自民党所属会派届を梶山幹事長が処理せず3ヶ月も放置した。経世会分裂の煽りである。

結局、翌年3月に処理されたが、私の身分は自民党高知県連会長でありながら国会では無所属という変則的な状況であった。政局が激動し始める前兆であった。私は羽田グループで政策を担当し、国連協力主義による「PKO訓練センターの誘致」の政策化を主張していた。そんな折、衆議院予算委員会でこの問題が取り上げられることになる。要点を紹介しておく。

1)市川雄一公明党書記長の議論(平成5年1月29日)
○市川 日本の資金で、アジアにPKOの共同訓練センターをつくることを提案する。PKO参加への誤解もなくなる。アジアの人からも自衛隊が理解され、国際貢献にもなる。

○渡辺美智雄外務大臣 明石代表から日本に設置するよう話があった。訓練センターというと軍事演習をやるところではない。国の文化や歴史も学べる。真剣に検討したい。 

○市川 総理、どうですか。

○宮沢総理 外務大臣の答弁で結構。

2)伊藤忠治社会党衆議院議員の議論(同2月4日)
伊藤議員は冷戦終結後の国際情勢を説明して、日本が率先して国連の改革を主張すべきだとの意見とともに、自衛隊を別組織とするため「国際貢献庁」を設置すべきと論じた。さらに北欧型の国連待機軍方式に学ぶべきと述べ次の主旨の質疑を行った。

○伊藤 先般、公明党の市川書記長がPKO訓練センターをアジア地域につくってはとの提起があった。私はわが国にそういう訓練センターをつくり、待機軍方式のPKOアジア部隊を編成することが、平和の保障ではないかと思う。外務大臣にお答え願いたい。

○渡辺外務大臣 大変に立派なご高見だと高く評価します。これから世界的戦争はなくなり、小規模な争いに対して多国籍軍を出すより国連(待機)軍を出すとの意見は大事です。こういう議論を大いにやりましょう。

○伊藤 もし各党がそれでいいとなるなら、世論を二分してやるより一致できる点から始めるべきだ。そういうことならば国際貢献の枠組みをつくりなおしていくことに、是非とも政府としても勇気ある決断をしてもよいのではないですか。総理、どうでしょう。

○宮沢総理 いろいろありますけれども、折角、建設的なことをおっしゃっていただいておりますので、よく考えさせていただきます。

国連協力の具体策、PKO訓練センターの設置は、共産党を除く各党が前向きに議論する方向になったが、3月に入って東京地検特捜部は、前自民党副総裁・金丸信氏を所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕した。自民党は平成元年の竹下首相退陣の際、リクルート事件などを反省して政治改革を公約していたものの、党内抗争により実現の目途すらつけていなかった。

国民世論は民間政治臨調の活動を中心に盛り上がり、社会党内も政治改革に積極的にならざるを得なくなった。自民党の羽田グループは党内改革派を結集して、海部政権で失敗した政治改革の実現に必死に取り組むことになる。宮沢首相は政治改革の実現を国民に約束したものの、党内の守旧派の抵抗に苦慮する。(続く)