「日本一新運動」の原点(287)ー2020東京五輪の真の悪役は「シンキロウ」

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○東京オリンピック・パラリンピック大会を考える (その1)
 
新国立競技場の建設、エンブレム問題に加え、福島原発問題の先行きなど不安材料を抱え、東京オリンピック・パラリンピック(以下、東京五輪大会という)の準備が行われている。有識者の中で「返上論」が出るなど国民は不安感を深めている。この事態を如何にすべきか考えてみたい。

(半世紀前の東京オリンピック大会に学ぶべし!)

2020年東京五輪大会がこれだけ問題をかかえているのに、不思議なことは、半世紀前に日本人が苦労して成功させた、1964年東京五輪大会の話が全然出てこない。前回もいろいろ問題があったが、それを乗り越えて日本人は協力し合ったことを記憶している。 

当時の私は、衆議院事務局委員部で東京五輪大会準備促進特別委員会を担当していた。私の仕事は島村一郎準備促進特別委員長の秘書役のようなことで、島村委員長のお供でオリンピック関係の会議や関係者との面談に立ち会った。そんなことから、準備の表裏を知る機会が多かった。

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1946年東京五輪大会の開催目的は、1940年東京大会が決まっていたが日中戦争の影響などから日本政府が開催権を返上、そのリベンジということと、敗戦国となって焼け野が原となった東京、更には壊滅した日本国土がここまで復興し発展したことを世界の人々に感謝をこめて見てもらうこと。そしてアジアで初めてのオリンピックということで国家国民が総力を挙げて取り組むべき歴史的イベントであった。

1964年東京五輪大会は競技場の整備も大変だったが、当時の首都圏で果たして多数の外国人の来日に対応できるか、鉄道・道路などの交通網の整備、ホテルなど宿泊施設の整備などには旧制度では間に合わず新しい法律をつくって対応した。現在の高速道路や新幹線の整備も東京五輪大会のためであった。

当時の建築基準法は、高さが9階建のビルに限定されていた。高層建築をできるようにするため基準法の改正を行った。国会の審議が遅れ『ホテルオータニ』では仕方なく9階建の設計で建築許可を取って改正基準法が施行されてから設計変更の許可をとり、16階建のホテルを建築した。完成したのがオリンピック開会の直前だったのである。

オリンピックに直接必要とする資金の調達が大変だった。本来、アマチュア精神を本旨とするもので、企業からの広告収入が極めて限られていた。そのために『オリンピック』という名の特別な煙草を法律でつくり、その収益を資金に当てるほど関係者は苦労した。

1964年東京五輪大会の成功は組織委員会に当時日本で最高の人材を結集したことにあった。会長には元皇族の竹田宮を起用し、利権的イベントになりがちの雰囲気を抑えた。事務総長に与謝野秀元イタリア大使を就け、戦争の傷跡を残す各国へ参加の呼び掛けを行った。組織委員会の外、東京都の東龍太郎知事が先頭に立ち、各方面に協力を要望し、主催都市の責任者として、実に立派な姿勢をとった。

協力者の中で目立ったのは島村一郎特別委員長であった。東京小岩の生まれで、自民党宏池会派に属し、当選九回で大臣になることを好まない貴重な政治家であった。戦前の第15回東京五輪大会が中止になった事情を承知しており、東京五輪大会を成功させるために政治家になったと、政治生命を懸けていた。

2020東京五輪大会の準備が混乱した理由は、組織委員会始め関係者の人間的素質に欠陥があるからだ。その際たるものは、組織委員会会長の森喜朗元首相である。総理大臣としても資質を問われることが多かった。安倍晋三でも、麻生太郎でも官僚の掌に乗っていれば、総理という職務は誰でもやれるというのが日本の社会だがオリンピック組織委員会はそうはいかない。森元首相を会長に起用したことに根本的問題がある。

1964年東京五輪大会と比べてもっとも異常に感じるのは、文部科学省の影響とか干渉である。前回は〝文部省〟であったが、官僚支配という雰囲気がまったくなかった。今回のトラブルの原因のほとんどは文部官僚OBの利権活動にある。実は戦後日本の教育というより政治を劣化させたのは、文部官僚とそれにコントロールされた自民党文教族であった。「教育」という聖地の利権を政治に利用した代表者が森喜朗元首相である。   (続く)

〇「安保法制廃止のため憲法を学ぼう 4

10月14日(水)の東京新聞「こちら特報部」に『平和のための新9条論』が掲載されていた。そこに「『新9条』提唱について考える」と題した公開討論会が開かれると紹介記事があった。連載中のテーマに関係があるので顔を出した。本号はその報告である。

『公開討論会 安保法制、新9条提唱などについて考える』と題する会合で、10月20日午後3時半に参院議員会館の会議室に行くと、突然、マレーシア在住でクアラルンプール大学で講師をしている某博士から「メルマガ・日本一新」を愛読しているとの挨拶を受けた。討論者は小林節・佐高信・落合恵子・伊勢崎賢治氏らで、内田誠氏の司会で始まった。

 討論者の発言のポイントは、

〇小林節 野党協力が絶対必要だ。問題は岡田民主党代表のナル シスト性だ。民主党の中には、共産党が先導することに抵抗感があるとの馬鹿がいる。憲法は死んだとの声がある。安倍を辞めさせると再生できるんだ。

〇佐高信 民主党は、弁護士がするようにすべてを理屈で考える ことをやめろ。自・公のずるさを見習え。9条は変えるべきではない。

〇落合 小選挙区制が政治を狂わせた原因。護憲しかない。市民 は野党連合を自分たちでつくるんだという気持ちになるべきだ。

〇伊勢崎 これまでの日本の安保体制は全部違憲だ。安保法制は 陸海空を一体化させて米国から高い武器などを買い物するもの で、これまでの特措法を恒久化したものだ。自衛隊は武力行使 できないのでPKOがもっとも危険だ。23年前の法律は良くない。国際情勢が根本的に違ってきた。相手が国家ではなくて、国際的広域暴力団になった。日本は一度引き上げて見直すべし。事故がないのが不思議だ。基本的な整備をすべきで9条を改正するなら護憲派がやるべきだ。

(公開討論会での私の発言要旨)

参加者発言の冒頭、私が指名された。(要旨)私は衆院事務局33年参議院議員12年を皆さんの税金で、永田町で生きてきた人間です。2点、意見を申し上げたい。先ず、PKOについて伊勢崎氏の話は大変勉強になった。私は、24年前PKO法の前提になった「PKO合意」の原案をつくった者です(会場ざわつく)。土井たか子社会党委員長から「自衛隊別組織なら党内を説得する」とのメモが届いた。小沢自民党幹事長も同じ意見で、公明・民社を説得した。

ところが社会党の書記長と国対委員長が面子の問題で怒り会談を決裂させて、自・公・民3党で合意した。それでも小沢は「自衛隊別組織」を変えなかった。憲法9条の誤解をなくするためだった。合意が発表されると、私は防衛族のドン・山崎拓氏に呼びつけられ「お前が土井たかの手下だったのか。潰してやる」と叱られた。

その年の秋の国会に海部内閣はPKO法を提出する。それには「自衛隊」が参加することに変わっていた。理由は、4月の都知事選の敗北の責任をとって小沢自民党幹事長も土井委員長も辞任していたこと。それに6月には小沢さんが心臓病で入院し長期療養だった。その間に、自衛隊によるPKO参加になった。「自衛隊別組織」なら、参院でのPKO法案審議も正常に行われ、その後の活動も変わっていたと思う。伊勢崎さんが言うように根本的に見直すべきだ。私の話は歴史の事実なのでご理解を・・・。

次に、東京新聞に出ていた「伊勢崎氏の新9条案」を見てびっくりした話をしたい。この案は平成12年に私たち自由党が作成した「新しい憲法を創る基本方針」の安全保障の構想とまったく同趣旨だった。1点違うのは冒頭に「憲法9条の理念を継承する」を入れていたことだ(笑い声)。実はこの構想を、参院憲法調査会で加藤周一先生と議論したことがある。加藤先生は土井さんが呼んだもの。加藤先生から「小沢氏の国連中心主義は湾岸戦争のときに間に合わせで考えたもの」という趣旨の発言があった。

そこで私が「新憲法の審議で、南原東大総長が論じた『9条は大事だが、国連に加盟した時の日本のあり方』を参考としたもの」と誤解を解いたうえで、伊勢崎構想と同趣旨の考えを述べ見解を質した。加藤先生は「原則的に賛成するが、急がないで欲しい。日本は民主主義の定着に問題があり、その見通しがつかないと危うい」と、私を説諭するように発言した。それから15年経つが、加藤先生の指摘通りだ。民主政治の定着が先と思う。

会合が終わり帰りにトイレに寄る。隣の70代の紳士が「やっぱり、小沢さんにもうひと汗かいて貰いたい」と声をかけられた。

(続く)

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