このところ、日本での新型コロナウイルス感染確認者の増加が加速しているようだ。朝日デジタルが2020年6月30日 21時11分に投稿した「国内新たに138人 首都圏で感染増、宣言解除後最多も」と題する記事によると「新型コロナウイルスの国内感染者は30日午後8時現在、新たに138人確認された。このうち、首都圏の1都3県(神奈川、千葉、埼玉)で計102人を占めた」という。東京都を含む首都圏で感染確認者が急増している。第二波の可能性もあり、新型コロナウイルスの変異の諾否について徹底的な検査が必要だ。
このうち、「東京都では54人が確認され、5日連続で50人を超えた。年代別では20代が16人、30代が10人、40代が8人。ホストクラブなど接待を伴う飲食店従業員ら『夜の街』関連の感染者15人が含まれる一方、家庭内感染も9人いた」。小池百合子現職知事は「夜の街」の従業員が東京都と新宿区の要請を受け入れ従業員が積極的にPCR検査を受け入れているためとしているが、29日は54人中15人とどまる。39人はそうではない。PCR検査数が非常に少ないというのが日本、東京を含む地方自治体の特徴だが、小池現職知事の弁明を裏返せば、PCR検査数が他の先進国、地域並みに多ければ、感染者数はさらに増えている可能性がある。
他の首都圏では、「神奈川県の31人と千葉県の7人は、いずれも緊急事態宣言解除後の1日あたりで最多だ。国内の感染者は計1万8831人になった」という。新型コロナウイルスは消化器官からも感染することが明らかになっており、夏場だからといって安心はできないとの東大先端研究センターの児玉龍彦東大名誉救助ら専門家の指摘が現実のものになっている。
政府=安倍晋三政権と御用組合連合の配下にある小池現職知事率いる東京都では、「東京アラート制度」の運用を朝令暮改で廃止し、選挙活動と財政調整基金が枯渇したため、「感染拡大防止」は自己責任とし、経済活動の再開にコロナ禍対策の重点を切り替えた。しかし、こういうコロナ禍対策では「二兎追うものは一兎も得ず」という結果になりかねない。経済評論家の森永卓郎氏はYoutubeのラジオ番組でそのことを指摘している。
東アジア諸国では新型コロナウイルス感染による死亡者が少ない。それは、①新型コロナウイルスにRNA構造が似たコロナウイルスが過去に出現しており、新型コロナウイルスウイルスに対してもある程度免疫力が出来ている(交差免疫)②毒性が欧米の新型コロナウイルスよりも弱い−などの理由が指摘されている。
しかし、新型コロナウイルスは変異しやすく、それに伴い毒性も強くなりやすい。また、死亡者数が欧米、南米諸国に比べて少ないが、①超禍死亡のデータが加味されていない②死亡者数の少ない東アジア諸国の中でも日本は人口100万人当たりコロナ死者数は7.7人で台湾の0.3人に比べて25倍もあり、「劣等生」つまりコロナ禍対策に失敗しているのだ。
小池現職都知事は6月11日に「東京アラート」を廃棄し、6月19日には営業自粛要請全面解除に突き進んだが、その足元で新規感染者数が急増し始めている。解除の是非が判明し出すのは2週間経った後だ。東京都知事選投開票日前後になる。大手マスコミの世論調査では、小池現職都知事のステルス選挙活動(自民党の二階俊博幹事長との連絡強化、連合東京への引き締め活動など)、大手マスコミと結託してNHKなどテレビの候補者討論感に応じない選挙妨害を行い、「コロナ禍対策評価60%」の世論調査を流させていると見られる。
東京都の有権者は事実を見極め、候補者の人柄と政策、実行能力を評価した上で投票行動に映らなければ、重大な重大な重大な重大な禍根を残すことになる。
コロナ禍対策の正しい抜本転換が必要だ。順序としては、①新型コロナウイルス感染拡大防止策を抜本転換する②「失われた30年間」をもたらした新自由主義(米国のミルトン・フリードマンが「マネタリズム」を提唱し、その後精緻化された新古典派経済学に基づく「思想」=リバータリアニズムに基づく、個人主義ではない利己主義=弱肉強食主義)−の克服が必要だ。
そのためには、ケインズ経済学を「貨幣=通貨」の本質まで立ち入って発展させた現代貨幣理論を基にした経済政策により、大規模な資金調達=財政出動が欠かせない。これについて取り敢えず、東大法学部卒後クレディセゾン主任研究、セゾン投信株式会社取締役を歴任した後現在、京都大学大学院工学研究科博士課程在学中の経済評論家・島倉原(はじめ)氏が書かれた「MMTとは何か」(角川新書)を援用して説明させて頂きたい。
結論的な内容としては、1990年代に入ってからのバブル崩壊不況以降、日本経済はデフレ不況に陥った。これに対する経済学上の正しい処方箋は財政出動であるが、日本の政府は継続して新自由主義政策を取り続け、財政均衡論=財政健全化論=プライマリーバランス(一般歳出から国債の利払い費を覗いた政策経費を税収内に収めること)の均衡論に固執して財政出動を拒否した。財政出動をすれば、国債の累積発行額が増大し、「財政再建」は不可能になり、財政破綻が生じるという理屈からである。
代わりに、(異常な)量的金融緩和政策(マネタリーベース=民間銀行機関が日銀の当座預金口座に持っている預金額の合計)を行えば、民間金融機関に資金が流れ、企業を中心に民間に対する貸し出しが増えて、インフレ率の上昇とともに景気は良くなると考えてきた。しかし、事態は全く逆の結果になっている。デフレ不況がスパイラル化して、不況が深刻化していたところに、コロナ禍が襲いかかり、最早、新自由主義政策では事態はむしろ、最悪の状況になり、消えかけていた日本の(疑似)民主主義は完全に崩壊、独裁国家体制に移行することになる。
まず、「アベノミクス」の帰結を図示してみる。

マネタリーベースは増えたものの、一国の経済パフォーマンスを測る二大指標のむ実質国内総生産(GDP)は増加せず、実質賃金率は下がり続けている。このため、税収は伸びず、国債を発行せざるを得なかったが、国債の累積発行額が増えても金利は上昇せず、異常な超低金利が続いてる。
世界の諸国と比較して、日本の実質国内総生産は最下位に位置しているが、これは財政出動を行って実需を喚起するということをしなかったためである。異常な量的金融緩和を行い、マネタリーベースとマネーストックともに増加したが、民間がデフレ不況スパイラルで不況が30年間も続いてきたため、民間からの資金需要がなかったためだ。こういう時には、政府が財政出動を行い、内需を強力に喚起する必要がある。
政府=自公政権も隠れ自公勢力であるいわゆる野党と称する政党も、国債発行が続き、残高が累増すれば、財政は破綻するという新古典派経済学の間違いを脱しきれずにいる。この間違いを正しく指摘し、さらに理論を深めているのが、ジョン・メイナード・ケインズの提唱した「一般理論」「貨幣論Ⅰ」(先人の業績に負っている)である。新自由主義の基礎となっている新古典派経済学は、19世紀の末期にフランスのレオン・ワルラスガ提唱した「限界革命」に基づく「一般均衡理論」を発展させたものだが、「供給は自ら需要を作り出す」というセイの法則を暗黙のうちに仮定しており、非自発的失業はそもそもあり得ないという前提に立っている。
だから、1929年以降の大恐慌も、日本のデフレ不況スパイラルも克服できなかった。この理論的欠陥を正す最初の労作が、経済の根本をなす貨幣について歴史的考察を行ったうえで提唱された「ケインズ経済学」であり、それを正しく発展させたのが現代貨幣理論(MMT)であいる。MMTの骨子は、「日本や米国のように、『通貨発行自主権』を有する政府(と中央銀行)は、自国通貨建てで支出する能力に制約はなく、デフォルトを強いられるリスクもない。財政赤字や国債発行残高を気にするのは無意味である」ということだ。実は、この点については、財務省も認めている(https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm)。
MMTを理解して救国政策を打ち出しているのが、れいわ新選組であり、特に都知事選に立候補した山本太郎代表である。山本候補はMMTを視野に、①コロナ禍を「災害指定」させること・すること②15兆円規模の都債を発行すること−を財源にとして公約の柱に掲げている。都選での最大の注目スべき内容は、立憲などの似非野党などが新自由主義の呪縛から逃れられていないことから、やむを得ずれいわ新選組公認で立候補した山本候補の得票数である。得票数いかんによって、理念と政策なき「野合の野党共闘」が「政策連合」に転換する道が開ける。さもなければ、日本は事実上の独裁国家に移行することになる。