日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇憲法夜話 ⑥ 日本国の憲法原理は崩壊した!

(陸山会事件を総括せず憲法を語るな)

異常気象が続く8月も過ぎようとしているが、この夏は「異次元の経済政策」から始まって、「子供じみた東アジアの安全保障と戦争論」、「ナチやファシズムを評価するような歴史認識」、「憲法の普遍的原理を否定する憲法を創ろうとする動き」等々を、政権支配層が投げてきた。

さすがに、もの静かに潜んでいた良識派の日本人も、心配のあまり何かしなければと考えるようになった。その鼓動が聴こえてくる。これを鼓動から活動に進化させることが緊急の課題だと思う。問題は、安倍首相や麻生副首相らが「腹話術人形」であることだ。確たる思想や識見をもって論じているのではない。これがあれば対応に苦慮しない。一見「坊ちゃんの火遊び」に見える彼らの言動を操っている人間や集団の正体を知らねばならない。これが難しい。ナチズムやファシズムなど独裁政治の始まりは、特定の指導者が計画的に起こせるものではない。そこには一定の社会状況があり、その社会の雰囲気が醸し出すものだ。

経済的格差、政治や経済面での偏狭な民族主義が高じて、大衆がそれに感情的な解決を求めるようになると、危険信号と思うべきだ。「小沢陸山会事件」は、議会民主政治が定着しているはずのこの日本で起こった重大な問題である。これを総括せずに憲法を論じることは許されない。それをやろうとしないわが国の有識者に、憲法を語る資格は断じてない。
「陸山会事件」で明確になったことは、

1)麻生自民党政権が、政権交代を阻止する切り符として、それまでは行政措置で済ませたことを、不正当派の検察を使って犯罪として捏造しようとした事件である。正当派の検察は不条理を知り小沢氏を不起訴とした。

2)不正当派の検察は、捜査報告書を偽造して、小沢氏を検察審査会で強制起訴し、裁判所で被告とした。この背後に、なんと菅民主党政権の有力者たちが、小沢排除を工作した。政治権力と司法権が密かに手をつなぐという不条理で、憲法どころの話ではなかった。それでも小沢氏は第1審も第2審も無罪だった。

3)この一連の動きを推進しサポートしたのは、巨大メディア(新聞・テレビ)であった。記者クラブやクロスオーナーシップの廃止や、電波オークションなど、民主社会では当然の、メディア改革を断行しようとする小沢氏の存在は消したいほど憎かった。

かくして、小沢氏は法的には無罪となったが、巨大メディアが国民を洗脳した小沢氏の「人格破壊」は容易に消えるものではない。現時点でいえば、政治的には敗北している。

その結果、日本で何が起こっているか。民主党は崩壊寸前となり、野党は著しく劣化した。日本の議会民主政治は機能しなくなった。そして消費税増税と社会保障費の大削減と、国民生活を崩壊させる「アベノミクス」が始まった。憲法を真に理解するには、陸山会事件にみる憲法原理の崩壊を知ることである。多くの国民がそれを理解すれば、小沢氏の勝利となる。

(憲法を資本主義と戦争と一体で考えよう!)

安倍さんと麻生さんのおかげと、皮肉のひと言も言いたい気分だが、真面目な憲法論や戦争への反対論などを、この猛暑で読む機会が多かった。勉強になったが、いろいろ考えることがあった。憲法の基本は「議会政治をどう運用するかにある」というのが、衆議院事務局で半生を過ごした私の職業的習慣である。その「議会民主政治」が、適切に機能するために何が前提かというと、その国の資本主義が適切に機能しているか、どうかによる。となると、資本主義の状況をどう理解するか、これがきわめて重要だ。

さらに、資本主義の状況を理解するための鍵は『戦争』との関係である。私の資本主義についての史観は「資本主義は戦争によって拡大再生を繰り返してきた」というものだ。別な表現をすれば「資本主義は戦争がなければ生きていけないシステム」ということになる。

実は70年前までの世界の資本主義と戦争との関係はそれが常識だった。ところが一国だけ例外があった。それは日本国だった。第2次大戦の敗戦後につくられた日本国憲法第9条は完璧な「戦争放棄」だった。「戦争できない資本主義国家」を創造することを国際社会は要請したわけだ。日本国は68年間、それを一応続けることに成功した。

この68年間に資本主義と戦争の関係に大きな変化が起こった。20世紀の終末頃から、戦争が資本主義を再生しなくなったのだ。湾岸戦争が契機であった。原因は、科学技術の驚異的発達とグローバル化による資本主義の崩壊的変化である。技術の発達は人間に代わって、広い意味のロボットが戦争の主役となった。戦争に勝利しても、民衆に利益が廻るどころか悲劇だけが残るようになった。

資本主義の変化は、実体経済という主役をマネーゲーム経済が奪った。米ソ冷戦終結後の資本主義の勝利は健全さを失い、排他的競争や市場原理を強くしていった。リーマンショックはそのなれの果てといえる。悪質なヘッジファンドは、グローバル化したなかでマネーを人間化、いや権力化して、国家を倒産させる事態となっている。

核兵器をはじめ生物化学兵器、宇宙まで拡大した先端兵器まで開発した人間たち、世界戦争を始めれば、資本主義の再生どころではない。世界の指導者たちは、もうぼつぼつ気がついてもよさそうなものだ。その最中、安倍・麻生政権は「アベノミクス」という、マネーゲームを始めた。資本主義の崩壊的変化という実態を理解もせずに。そして、中国と韓国に異常な敵愾心を売り、単純な日本大衆のナショナリズムを煽ろうとしている。そして、聴き憶えの憲法改正論を無責任に放言しているわけだ。これを放置しておくとわが国はどうなるか、説明の必要はなかろう。

問題のもうひとつは、安倍・麻生政権を支えているというか、ブレーンに当たる有識者やエコノミストたちの歴史認識というか、浅はかな人間観だ。「アベノミクス」をデフレ脱却の切り符というか、そもそも15年も続く経済のデフレとは何だろうか。普通の資本主義なら「デフレ」といえば、3~4年の対策で回復するはずだ。そもそも、ここ五十年くらいの経済状況を「インフレ」とか「デフレ」という、200年昔の概念で把握しようとすることに、根本的な誤りがある。

慢性的で異常な経済不況や停滞が15年も続けば、資本主義の構造的問題として考えるべきだ。経済学が自由な競争で富を増やし、排他的に金品を得ることに価値観を置くところに問題がある。人が富を競い合うことが、社会の進歩だという時代もあったが、20世紀の後半になって資源の限界と環境の保全という問題が現れた。カネや資産が人間より大事だという価値観を変える時代になったことを肝に銘ずべきだ。

国家権力は金融エコノミストを使って、あらゆる経済指標の偽造を行う。理由は、資本主義は崩壊も変化もしていないことを証明するためだ。マネーゲーム資本と手を握る権力は、資本主義が崩壊したので健全なものに改革しようとは口が裂けても主張できない。それはマネーゲーム資本に養われているからだ。

もっとも問題なことは、わが国の野党のすべてが資本主義が変化したと考えていないことだ。共産党でさえ「デフレ・デフレ」と叫んでいる。現代をマルクス・エンゲルスの時代と変わらないと信じているようだ。

いま、自民党が必死で「憲法改悪」を、手を変え品を変えて主張しているのは、腐敗し崩壊し変質した資本主義を続けるためである。この資本主義が吐き出すものに、大きな利権があるからだ。原発問題もそう考えるとわかりやすい。

日本国憲法の精神や原理を護るためには、いまわが国を蝕んでいるマネーゲーム資本主義と戦争の関係を遮断する国家社会を創ることだ。それだけでは十分でない。国民のための憲法の進化を常に指向しなければならない。そのためには、新しい思想の創造を歴史から学ぶことである。

(了)

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