「日本一新運動」の原点(306)―冷戦後の国連中心主義の挫折

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 沖縄米軍基地移設問題について (2)

2月14日(日)、生活の党・小沢代表と一緒に沖縄を訪問し、「県民ネット」(翁長知事支援の中核となる県議会会派7名で構成)の有志5名と意見交換会を持ったことは前号で概略をのべた。本号ではその内容を報告するが、会員諸氏には過去のメルマガで触れたこともあるので重複となる部分もありご寛恕いただきたい。

交換会参加者は、玉城満・奥平一夫・山内末子・新垣清涼・瑞慶覧功氏の各県議会議員と、この意見交換会を準備してくれた玉城デニー事務所所長(県民ネット所属)の平良昭一氏の6名であった。意見交換会は午後5時から始まり、小沢さんが関係した、『沖縄米軍基地移設問題』について私が網羅して説明した。午後6時過ぎから小沢さんが顔を出し、参加者から意見や質問・要望など活発な会合となった。

1)意見交換会での説明(要旨)
土佐の足摺岬生まれの私は、古代からの海の道で琉球人の血と戦国時代の落人の血の混血といえる。現在でも沖縄との付き合いが多く、姪が嫁に行っている。今回、小沢さんと沖縄を訪問したのは、故人となった私の友人の仏前に詣でるためで、その機会に『県民ネット』の皆さんとこのような会合を持つことができたことに感謝します。

私の説明のポイントは3点で、

1)平成2年~6年にかけて、沖縄米軍基地移設問題を前提とした〝PKO訓練センター〟を私の故里、高知県西南地域に誘致する構想があったこと。
2)平成九年「駐留米軍用地特別措置法改正案(認定土地等の暫定使用等)の顛末。
3)鳩山民主党政権の「最低でも県外移設」です。

1)沖縄米軍基地移設を前提とした〝PKO訓練センター構想〟
《防衛庁幹部からの沖縄米軍基地移設への協力要請》
平成2年の秋、防衛庁の荻次郎審議官が、当時衆議院委員部長であった私を訪ねてきた。話の要点は、『冷戦が終わって政府も沖縄の米軍基地の縮小や移設を真剣に考えている。自衛隊の岩国基地を拡張して対応しようと計画したところ、海の埋め立てや漁業補償が高額で、約1兆2千億円を超える。

平野さんの故里の、土佐清水市と三原村にわたって国有地がある。西日本では唯一、4千メートル級の空港建設が可能だ。近くには戦前海軍の訓練基地だった宿毛湾がある。周辺を整備しても半分以下の予算で済む。地元を説得することに協力して欲しい』。この話を高知県西南地域に空港建設を熱望している中内功知事に説明したところ、「私は来年の任期切れで引退する。心残りは陸の孤島、四万十川・足摺岬・宿毛湾の僻地対策だ。運輸省は600メートルの簡易空港しか認めない。防衛庁の話は絶好のチャンスだ。しかし、米軍基地だけを移すとなると住民を説得するのに時間が掛かる。なんとか良い智恵を考えてくれ。知事として最後の仕事として道筋をつけたい」

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《ジョン万次郎国際貢献センター構想》
この時期、私は二つの課題に取り組んでいた。ひとつは、湾岸紛争をめぐる国連協力として「PKO参加」の各党合意を、どう実現するかという国会事務局としての〝公務〟と、もうひとつは故郷の偉人、ジョン万次郎が漂流して150年となり、日本の開国や近代化に尽力した功績を顕彰する〝私事〟があった。万次郎は、帰国の際、沖縄の人々にお世話になった物語がある。そこで次の構想を考えた。

【日本人で初めて渡米しクリスチャンになったジョン万次郎の生家のある土佐清水市】

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イ)高知県西南地域の地政は、東アジア全体をカバーする空港と海とを一体化する古代からの拠点である。アジア地域に紛争や災害が発生した場合、国際的スケールで人道的救援活動に積極的に参加することは、憲法の精神からいってもこれからの日本が行うべきである。

ロ)そのために『ジョン万次郎記念国際貢献PKO訓練センター』を建設すること。業務の第1は、国連PKO訓練センターを設置し、人材育成や物資の保管などを行う。第2に、航空自衛隊及び米軍の使用も可能とし民間の航空機も使用できるようにする。第3に、東アジアの物流センターの役割を持たせることも可能。

この構想を中内知事に話したところ大変喜び、空港候補地の国有地について、地勢や地質などの基礎調査を高知県の経費で極秘に行うことになった。中内知事は直ちに上京し小沢自民党幹事長(当時)に陳情したところ、「岩手県につくりたいぐらいだ。私はジョン万次郎の会の会長に就任したばかりだ。国連協力といえば、万次郎の精神であり、沖縄米軍基地の縮小は万次郎の恩返しとなる。高知の人も理解してくれる。実現しよう」と快諾してくれた。

《極秘の基礎調査》
中内知事は極秘に防衛庁の協力を得て、日本工営に「基礎調査」を依頼し報告書が提出されたのは任期満了の2ヵ月前、平成3年10月であった。報告書の名称は『高知県西南地域における空港設置に係る構想調査』(概要版)というもので、内容の目次は、
Ⅰ空港整備構想 1)調査の目的 2)空港完成予想図 3)概算事業費
Ⅱ空港建設条件の検討 1)空港設置対象地点の概要 2)空港整備の検討 3)関連施設の検討(報告書のコピーを意見交換会で配布)「基礎調査」の報告書では地勢・地質などに問題はなく、3千5百メートルの滑走路予想図まで添付されていた。

問題の事業費は本体工事・関連施設・関連工事を合計して、3284億3800万円と試算していたが、ほとんどが国有地であるので、岩国基地整備の約四分の一程度の事業費という結論であった。中内知事の任期が12月で終わり、新知事に橋本大二郎氏が当選した。橋下氏とは出馬にあたって私と会談し、「PKO訓練センターの誘致」について理解していた。橋本知事出現の流れで、私が無所属(自民・公明推薦)で翌4年7月の参議院選挙で高知地方区から出馬することになる。公約の中心は「ジョン万次郎記念国際貢献センターの建設」で、自公民だけでなく社会党の一部まで支援してくれた。特に自民党衆議院議員の中谷元氏と山本有二氏は、沖縄米軍基地の移設を含みとして、積極的に支援してくれた。

《与野党で盛り上がる議論と地元自治体の誘致決議!》
平成3年11月、海部政権を引き継いだ宮沢喜一政権は「PKO協力法案」の成立を優先させ、12月には衆議院を通過させる。翌4年の第123国会で参議院始まって以来の大混乱を経て成立する。9月にはカンボジアでのPKOに自衛隊が初参加することになる。国民にPKO活動が、理解されるようになった平成5年1月に始まった衆議院予算委員会では、市川雄一氏(公明)や、伊藤忠治氏(社会)から、PKO訓練センターを日本に誘致する政策提案が行われ、宮沢首相や渡辺美智雄外相に質問するなど、国民的合意が形成されるようになる。

同年8月には、政治改革の公約を4度もの国政選挙で破った自民党に代わって細川非自民連立政権が小沢さんの活躍で成立する。国連中心主義が安全保障の基本政策となる。そんな中、高知県幡多郡三原村議会と土佐清水市議会が『国際貢献センター建設についての要望決議』を行い、高知新聞が一面のほとんどを埋めて報道する(11月3日付、意見交換会資料に添付)。野党となった自民党もこれに協力的で、11月11日に衆議院安全保障問題特別委員会で、中谷元議員が高知県下の自治体議会が行った「国際貢献センター誘致決議」を評価して、推進するよう要望した。

《地元での誘致運動挫折!》
この様に盛り上がってきた「PKO訓練センター誘致」運動が、平成6年になって挫折することになる。空港候補地に隣接する宿毛市長と高知県選出自民党国会議員が、直接私に「国有地にPKO訓練センターをつくる構想から下りる」と通告があった。熱心な推進論者からの異論である。「愛媛県との県境にある住友林業の森林を利用して、第3種空港をつくる運動をする」とのこと。

愛媛県選出自民党国会議員と協力して運動することになったとのこと。決して潤沢ではない両県に、約400億円の地元負担が必要となる事業ができるはずもない。当時は変心した理由が理解できなかった。落胆したまま数ヶ月が過ぎ、平成6年6月、大変なことが起きた。非自民改革政権が崩壊し、村山自社さ政権の成立である。小沢さんの「国連中心主義」は棚上げとなり、私は絶望の淵に立つことになる。

宿毛市長と二人の国会議員が変心した理由の情報として、私は参議院議員を辞職した直後に耳にした。ある元検事から「平野構想が実現できなくて残念だ。あの時期、高知地検は住友林業から政界に流れた疑惑の資金を調査していたが立件できなかった」と。沖縄県議会では2月24日(水)「県民ネット」が代表質問で、意見交換会の話を取り上げた。
(続く)

 

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