日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○憲法改正の手続制度の整備で思うこと!
「日本国憲法の改正手続に関する法律」が、国民投票の有権者を、18歳以上とすることなどを整備し今国会で成立が確実となった。同法は平成19年に成立し、同22年に施行されていたがさまざまな問題があり、今日まで凍結されていた。


日本人の多くは「憲法改正国民投票制度」の整備というと、「改憲論者」の主張か、という短絡した誤解を持っている。憲法改正の手続制度を整備することと、「護憲」や「改憲」という話は違うのだ。近代立憲国家の憲法として改正規定があるのに、改正手続法が制定されていないことは、日本の民主主義の根本問題である。まず、終戦という特殊事情と、日本人の気質を考えてみたい。

(日本国憲法は明治憲法の全面改正で制定された)
日本国憲法(以下、現憲法という)は、手続としては明治憲法第73条による改正規定で全面改正されたものである。第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命 ヲ以テ 議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ 非サレハ 議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数 ヲ得ルニ非サレハ改 正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス 明治憲法では天皇が改正の発議権を持ち、衆議院及び貴族院でそれぞれ3分の2以上の出席で、3分の2以上の多数による議決が必要であった。国民投票などの必要はなかった。

現行憲法の改正規定は次のとおりである。第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

現憲法改正の発議権は、衆参両議員の総議員の3分の2以上の賛成を条件に国会がもっている。そして国民投票で過半数の賛成を必要とすることになっている。重要なことは、現憲法の改正権は国民にあることだ。仮に新しい憲法を制定するにしても、この規定から国民投票が必要であることは当然である。

(現憲法の国民投票法など改正手続制度が67年も遅れた理由)
現憲法の制定が準備された昭和20年代後半から同21年前半という時代は、敗戦直後できわめて荒廃した国家社会であった。そしてまた、占領軍の指導でつくられたことも事実である。この時期、占領軍側がもっとも危惧したのは、日本の軍国主義復活であった。

そのため、占領軍(GHQ)が日本側に要求したのは、「施行後10年間ぐらいは、憲法改正手続制度を制定しないように」ということである。この話は昭和30年代、政府の憲法調査会(高柳調査会)が米国で調査した文書に出ているものである。国家存立の原点である憲法を、ここまで侮辱するというのは、何よりも、戦争に敗けたことが原因だ。これだけを見ても、絶対に戦争をしてはならないことが理解できるだろう。

新憲法が制定され、平和主義・基本的人権・国民主権という人類の理想原理が規定されたものの、その基本である、国民の憲法制定権を行使する改正の手続法がない欠陥憲法として、出発せざるを得なかったのである。

昭和26年9月、対日講和条約が吉田茂首相のもとで調印され、わが国の独立が準備されるようになる。まず吉田首相が準備しようとしたのが、憲法欠陥の補完、即ち「憲法改正国民投票制度」の法制化であった。政府の選挙調査会で要綱の作成まで進めていた。この時期、朝鮮戦争が激化し、追放解除で政界に復帰した反動政治勢力が再軍備のための憲法改正を主張するようになる。吉田首相は軍国主義化を危惧して、「憲法改正国民投票法案」の国会提出を行わなかった。

その後、憲法問題は「改憲派」と「護憲派」の対立として、わが国の政治対立の原点となる。昭和30年の保守合同で結成された「自由民主党」は〝自主憲法制定〟を党是とした。しかし、その狙いが「再軍備」であったことを多くの国民は見抜いていた。昭和時代は岸政権を除いて改憲を政治のテーブルに乗せなかった。寧ろ自民党内に事実上の「護憲派」が生まれるようになる。こうして、現憲法は国民の憲法制定権や改正権を整備しない欠陥憲法として放置されることになる。

(冷静な憲法見直し論が始まる!)
平成時代に入り、自民党から野党、労働界、マスコミに至るまで、冷静な現憲法の見直し論が出るようになる。背景には平成元年(1989年)12月の米ソ冷戦終結後の新しい世界秩序にどう対応するか。湾岸戦争を体験して国連や国際貢献のあり方をめぐって、憲法の見直し論や、新しい運用論が熱心に議論されるようになる。また、政治改革や環境問題、さらに地方自治体などのあり方をめぐって、社会党からも「創憲論」といった護憲的立場での見直し論が出るようになる。

平成5年8月に非自民八党派の細川連立政権が成立し自社55年体制が崩壊する。この時期の憲法見直しに対する与野党の議論について、『世界』(1993年4月号)で、政治評論家の国正武重氏と参議院議員の私が、『改憲論はなぜ噴出するか―まだら模様の改憲論』と題して対談している。

ご覧いただければ当時の様子がおわかりいただける。

(憲法改正国民投票など手続法整備の動き)
現憲法の見直しについて、従前の教条的憲法論を離れて議論が続く中、国会で、憲法改正国民投票制度など手続法の制定を最初に提起したのは、他ならぬ私である。平成11年4月6日の参議院決算委員会で、自由党に所属していた時期だった。会議録の要点を採録しておこう。

○平野 確認しておくが、憲法改正手続に必要な国民投票制度は、法制度の整備がいるのではないか。
○大森内閣法制局長官 国民投票の詳細について憲法は規定していない。法律で定める必要がある。現行法制だけでは動かない。
○平野 53年もの間、国民の憲法改正権を整備せず放置している責任は政治にある。憲法を尊重擁護する義務(第99条)に反しているのではいか。
○大森 憲法尊重擁護義務に反するのではないかと言われるとつらい。しかし、憲法をめぐる政治事情があった。
○平野 野中官房長官に伺います。半世紀以上の憲法の欠陥を封印しておくことは、戦後処理の最大の問題です。戦後問題は今世紀に処理をというあなたの考えを実行するため、憲法改正手続制度の整備に取り組むべきではないですか。
○野中広務内閣官房長官 指摘の法整備については、憲法改正に関する国会での議論を踏まえて検討されるべきで、憲法の各条項を自由に検討する中で、国会の議論の集約や国民の合意が得られていくと思います。
○平野 宮沢大蔵大臣 総理経験者として、ただ今の議論について感想を願います。
○宮沢大蔵大臣 確かに平野議員の言われるとおり、日本国憲法の法体系として第96条に基づく所要の法はつくっておくべきであったと思います。実は今日もそうですが、これを整備しようとなると憲法改正をするかどうかの議論につながる心配があった。最近憲法に微妙な変化があります。しかし、改正となると必ず第9条の問題が出てきて、大変なことになると思います。

以上が、平成11年4月時点の自民党ハト派の考え方であった。この国会質問を知った小沢自由党党首から「あまり年寄りを苛めなさんな」といわれたことを憶えている。

当時、私は現憲法の基本原理を発展的に継承した「新憲法」の論議を行うべきだとの主張を持っていた。第9条については、日本人の感性が戦前の軍国主義に回帰するようなことはないと判断していた。国連への協力を加えることで、その精神を生かすべきだと考えていた。野中・宮沢両先輩の危惧を「年寄りの過敏症」としか理解しなかった自分を猛省している。

歴史とは皮肉なものだ。「憲法の改正手続法」が整備され、欠陥憲法が正常な憲法体系となると同時に、政治家の憲法感覚が狂ってきた。安倍首相は違憲の「集団的自衛権」を解釈改憲で強行する気だ。恐ろしいことに、与野党合わせて国会議員の多数が、これに協力的だ。戦前にも見られなかった異常な事態がわが国を襲っている。立憲主義を理解しない国会議員は、憲法尊重擁護の義務に違反するものでその資格はない。
(了)

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