日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

〇 『真説 小沢一郎謀殺事件』刊行記念 鳥越俊太郎氏とのトーク

7月2日(火)、午後7時から八重洲ブックセンターで始まった鳥越氏とのトークは、100名を超える人たちが参加して盛会であった。私にとっては77歳になって初めての体験であり感激した。日本一新の会の会員の参加も多く、何人かに挨拶でき良い機会だった。

司会者が、トークの始まりに鳥越氏に私との関係を聞いた。「小泉内閣時代に検察の裏金が問題になったとき、三井大阪高検公安部長の逮捕でインタビューが不発になったが、成功すれば参議院法務委員会で採り上げる打ち合わせをした仲だ」と思い出話をした。

私は、小沢謀殺が始まった、平成21年3月3日の大久保秘書逮捕の深夜、鳥越氏から電話があり「明朝のスーパーモーニング(テレビ朝日)に出てこい。自由に言え」とのこと。絶好のチャンスとばかり、4日午前8時の生放送で「昭和九年の帝国人絹事件で検察ファッショと同じで、政治的謀略だ」と検察批判を展開。それを見ていた小沢さんが、午前10時からの記者会見で、さらなる検察批判を続けた経過を説明した。そして「鳥越さんが、あの時私を、スーパーモーニングに出演させたことが、小沢さんが無罪を勝ちとれた遠因になった」と、改めてお礼を申し上げた。

トークの内容はいろんな話にわたったので、主なものだけを紹介する。まず、執筆の動機だが、友人の編集者から「無罪とはいえ、政治的に小沢さんは謀殺された。犯人と背景は何か、それを抉り出すのが、平野の責任だ」と言われ緊急出版した。執筆後の感想として、日本史で政治的指導者の謀殺は、平将門・坂本龍馬、そして小沢一郎が代表的なものだ。3人の「謀殺」に共通の法則がある。

この「謀殺の法則」について、3人とも「民衆の福寿(国民の生活が第一)が国の安寧の源」という北辰妙見思想を持っていること。その思想が実現しそうな歴史の変革期に、支配者の廻し者となった身内によって謀殺された、と説明した。平安中期に、腐敗した貴族社会に対抗して、関東に民衆の福寿の地方分権を考えた将門。封建身分社会を、草の根民衆が主役の社会にしようとした龍馬。この龍馬が北辰思想を学んだのが、千葉定吉道場で、このブックセンターの場所だと私は思っている、等々を話した。

鳥越氏の話は、小沢自民党幹事長のころから、時代をつくる政治家だと注目していた。思想信条の一貫性で飛び抜けた人だが、どうして謀殺されたか日本政治のミステリーだ。怖がられているのか、会って話すとあんな親しみのある人は少ない。これからのアベノミクス中心の経済は結局は国民生活を崩壊していくだろう。幸い元気そうなので、日本の建て直しの主役になることを期待している。脱原発の理由を「自民党が推進する原発は、トイレのないマンションだ」と、昭和時代から主張していたと知って、驚いているとのことであった。

私は、小沢さんが応援している「ナノ銀による放射性物質の低減」プロジェクトの実証実験が成功し、「低エネルギー核反応」として、核分裂による原発が不用となる時代が目前にある。その原点となる学説が秋には発表される。アベノミクスのようなカジノ資本主義は、人類を滅ぼすだけだ。政治の神は、小沢さんによる「日本一新」を期待している。と結んで午後八時半にトークは終わった。
〇 長老政治家・円卓会議に参加して!

6月30日(日)、長老政治家10名が都内のホテルに集まり、『日本の政治がこのままで良いのか』、円卓で語る会が開かれた。同月25日、突然、村上正邦元自民党参議院議員会長と亀井静香衆議院議員に呼び出しを受け、「政治の危機をどう乗り切るか、主義主張を超えて語ることが大事だ。協力してくれ!」といわれ、応じることにした。

参加したのは、村山富市、野中広務、石原慎太郎、矢野絢也、島村伸宜、桜井新、仙谷由人、村上正邦、亀井静香、平野貞夫の10名だった。この会議に賛同だが、日程の都合で欠席した人が5名、賛同していたが参加者の顔ぶれを知って断った人が2名いた。石原氏の突然の参加をめぐって意見が出たが、約1時間20分ほど意見交換し、「時々、議論と意見交換をしていこう」ということで終わった。

会議の性格上、誰がどんな意見を言ったかを述べることは控えるが、私の感想は次の通りだ。

実体をいえば、参加者のほとんどは非自民細川―羽田政権を倒して「自社さ政権」をつくった人たちだ。矢野氏は公明党の第一線を退いていたので政敵関係にあったのは私ひとりだった。自社さ政権をつくった面々が、怨念深き小沢一郎氏の側近を入れて、翼賛政治体制へ突っ走ろうとする今の政治を、日本の危機として語ろうというもの。近代日本の政治史としては『画期的』なことだ。

憲法を冒涜してきた面々が、「憲法96条だけを改正する発想は憲法を否定することだ」と意見を一致させたことは立派なことだ。それと、アベノミクスを想定して「これからは国民生活が厳しくなる」と、長老たちは一致して安倍政権を心配している。驚いたのは元自民党大幹部が「メディアが消費増税逃れのため、権力側にべったりになった。国民に真実が知らされず、民主主義がおかしくなっている」と発言したことだ。

私は「人生の師、前尾繁三郎先生の遺言は〝政治家である前に人間であれ〟であった。昨今の政治家はこれを忘れた人たちが多くなった。これが政治劣化の原因と思う。若い世代に伝えたい」と発言すると、嫌な顔をする参加者がいた。

〇 参議院のあり方を考える!②

7月4日(木)に、第23回参議院通常選挙が公示された。内外の情勢が多難なとき、とかく評判の悪い参議院について考える良い機会である。選挙の邪魔にならないように気をつけながら、あまり知られていない情報を紹介しておきたい。

平成17年5月に、村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世で『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書)を刊行して話題になった。決して評価されたのではない。特に私に対する批判が多かった。「あの穏健(?)な平野さんが、参議院はいらないなんて、暴論を!」という類であった。弁解させてもらうと、私の意見は「こんな参議院はいらない』という題名だったが、出版社は「それでは売れない」としてこうなった。言い訳には散々苦労した。

(2院制を必要とする理由)

政治家や有識者の中には「1院制が正しいか、2院制が正しいか」と、効率性とか経費を問題にして単純な論を展開する阿呆がいるが、残念なことだ。その国の歴史や民族構成、社会構造などにより、1院制が適当な場合や、2院制でなければならない場合がある。1院制を選ぶか、2院制を選ぶかは、近代国家では国民が憲法で選ぶことになるが、一応共通した考え方がある。

まず、連邦国家といわれる国はほとんどが2院制だ。歴史的に州(邦)といわれるところは準国家の機能を持っており、独立性も強い。国民を代表する議院と州を代表する議院の二院制が採られる。前者は小選挙区制とか比例制などの選挙で選ばれている。後者は選挙で選ばれる場合もあり、他の方法で選ばれるなど、国によってさまざまである。さらに、欧州には貴族制度が残されている国があり、歴史の残存といえるが、貴族院として2院制を継続させている国がある。1院制を採る国は、一般論として人口の少ない国に多い。また、貴族制度を改廃した国は一院制となっている。

2院制には短所もあれば長所もある。短所については、シェーイェス(仏の政治理論家・1748―1836)の有名な言葉がある。「第2院は何の役に立つか、もしそれが第1院に一致するならば、それは無用であり、もしそれに反対するならば、それは有害である」というものだ。この論は、第1院の行動が常に正しいという前提で存立しうる。人口の少ない国で、国民の利害調整に問題の少ない国では1院制が適当であるかも知れない。

日本のように人口が1億2千万人を超える国家で、利害調整が複雑で、社会構造が地域に特徴がある国では、1院制で議会民主政治を適切に機能させることには問題がある。1院制から生じる軽率さと、専横という弊害を避けるため、日本では2院制が適切であるといえる。しかし、シェーイェスが主張する「2院制の無用さと有害さ」で反論されないためには、第2院の議員の選び方や権限・機能などに工作がなければならない。
(明治憲法の貴族院には問題が多かった)

明治憲法でも貴族院と衆議院の2院制であった。どんな問題があったのか紹介しておこう。貴族院議員は天皇の勅令によって資格が決められ、衆議院の介入を許さなかった。議長・副議長は選挙でなく、天皇が直接任命した。幕藩官僚側が天皇の名で、政党政治化していく衆議院の活動を規制するのが狙いだった。

大正デモクラシーを経て、政党政治が完成していく。貴族院の妨害が激しくなり、貴族院改革と普通選挙法制定が政治問題となる。護憲3派の改革派は新聞記者らと国民運動を盛り上げる。『貴族院改革の歌』を流行らせた。1番だけ紹介する。「来たれ一億民衆よ 即時に叫べ改革を 国の癌たる貴族院 位記勲等や爵録や」。国家権力に媚びる現代のマスコミとは相当に違う。貴族院改革は昭和初期にも課題となったが、ことごとく失敗する。
わが国が戦争体制に入った原因に貴族院改革の失敗があると、私は論じているが、賛成する有識者はひとりもいない。 (了)

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