日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
〇 新著『戦後政治の叡智』をイースト新書で発刊!
2月10日に、「(株)イースト・プレス」から刊行することが決まった。経緯を言うと、昨年7月23日、前尾繁三郎元衆議院議長の33回忌が京都で行われたことに始まる。故人と関係の深かった人たちとの懇談の中で、野中広務元自民党幹事長から外交問題を中心に最近の政治のあり方について厳しい指摘があった。その中で「前尾さんと田中角栄さんの2人の政治家から薫陶を受けて、生き残っているのは私と君と2人だけになった」と思い出話になったのが切っ掛けになって執筆したのがこの新書である。
私が衆議院事務局に奉職するようになった動機から、32年間の事務局時代に、大きな影響を受けた6人の政治指導者との物語を綴ったものである。その概要を「メルマガ・日本一新」で先ずは紹介しておきたい。
(『戦後政治の叡智』まえがき―執筆の目的)
平成25年12月6日の深夜、議会民主政治の自殺といえる、「特定秘密保護法」が成立した。〝一票の格差問題〟などで違憲状態の国会が制定した法律である。この国の将来に起こる悲劇が私の瞼から消えない。外交・防衛の秘密を保護することは、一定の条件で必要だ。しかしこの法律には憲法以前の問題がある。官僚が国民どころか、悪用すれば国会や司法まで支配する可能性がある点だ。
人間・国家・社会の摂理、道理、条理に真っ向から挑戦するものなのだ。それ故に国連人権高等弁務官を始め、ニューヨーク・タイムズ社の社説など国際世論が、この法律に対して「デモクラシーを破壊し進歩を妨げる」との批判を展開しているのである。重大なことは、この法律を強行成立させた自民党と公明党、さらに修正で協力した日本維新の会とみんなの党については論じるに及ばず、野党各党もこの法律の本質的問題に気づかず、個別技術論に終始したことである。その結果として立法権を否定する立法を許したことは「国会の自殺」と言っても過言ではない。
本書は、この法律が国会に提出される以前に脱稿していた為、この問題単体への論評はきわめて限られている。しかし、21世紀になって劣化・崩壊したわが国の議会民主政治をなんとか再生できないかとの思いから執筆したものである。現在の政治家や政治を志す人たちには、私が人生の不思議な運命の中で薫陶を受けた大物政治家たちとのエピソードや遺訓などから、今日に通底する何かを感じてもらいたいと思っている。
最近、とみに戦後政治のすべてを否定しようとする動きが目立つ。改革すべきは改めるべきだが、310万人を超える日本人の生命を犠牲にして得た「基本的人権・国民主権・平和主義」という戦後政治の叡智を失ってはならない。本書に登壇する大物政治家たちは、みな自民党の政治家として活躍を終えた。この人たちが存命なら、「特定秘密保護法」の制定は決して許さなかったであろう。
2014年2月平野 貞夫妙観(『戦後政治の叡智』の目次)
第1章 吉田茂と林讓治―偉大な先人が示した「政(まつりごと)の道」
〇保利茂衆議院議長怒る
〇私の故郷、青春、失態
〇「共産主義というものを教えてやろう」と吉田茂は言った
〇〝しんゆう〟という字を書け
〇衆議院事務局という世界
〇驚くべき「吉田思想」の先進性
第2章 佐藤栄作と園田直―55年体制を形作った「政の技」
〇人事の名人・佐藤栄作首相
〇国会運営の知恵者・園田直副議長
〇佐藤内閣を救った園田副議長の獅子奮迅
〇恩義と友情は、相手が死んでも消えない
〇園田流政治実学の妙味
第3章前尾繁三郎―理知の人が示した「政の心」
〇議長受難を改革した前尾衆議院議長
〇就任2ヵ月で議長辞職の危機に
〇参議院議長を怒らせた前尾議長の参議院批判
〇「ロッキード国会」と前尾議長の苦悩
〇前尾議長、突然の、「乱心」とその真相
〇人間・前尾繁三郎を再考する〇スピークできなくなった議長(スピーカー)
〇京都府知事選挙と幻の議員辞職願
〇「前尾学」―前尾繁三郎というひとつの思想を追う
〇資本主義の変質を予言していた前尾繁三郎第
4章田中角栄―民衆の守護者が秘めし「政の情」
〇私と田中角栄との不思議な関係
〇前尾繁三郎を仰いだ田中角栄
〇田中首相の退陣劇
〇ロッキード事件の正体
〇誰が田中角栄を殺したのか
〇角栄が泣いた冬の朝
〇「田中政治」とは、情理と不条理の集合体である
〇潰された最後の登院
終章いま解決すべき喫緊の課題―先人の知恵とともに新たな日本へ
1)野中広務氏に聞く―これからの対中外交〇「尖閣棚上げ論」誕生の真相〇田中元首相との交わり○安倍政権よ、歴史の転換点に臨む覚悟を
2)福島原発問題を解決し、東京五輪を新たな文明の出発点へ〇「LENR」技術で放射能が低減できる〇ナノ純銀の放射能低減効果の研究開発が、日本を再生させる
(ぜひ、国民に知ってもらいたい2つの問題)
本書は、私が50才代までに薫陶を受けた大物政治家6人について「政の道」、「政の技」、「政の心」、「政の情」に整理して、エピソードを中心にして執筆したものである。この中で国民の皆さんにぜひ知ってもらいたい問題が2つある。1)昭和29年、吉田首相が解散で政権を続けようとした真意は「戦前回帰への政治」を避けるためであった。このことを林讓治元衆議院議長から直接聞いたので記載した。
講和条約発行後の諸体制もどうにか整備できた第24回国会、吉田内閣は総辞職か衆議院解散かの選択に迫れる。与党自由党の大勢も世論も吉田首相を退陣させ、新しい体制での政治を望むようになる。吉田政権の大物政治家が次々と説得に行くが、ワンマン首相は応じない。最後の切り札といわれ、林讓治さんが説得に行く。長期政権にありがちな党内抗争や疑獄事件の発覚もあり、国民が吉田政権を見放している事態を説明して退陣を説いた。
吉田首相は「再軍備のために憲法改正しろとか、戦前への回帰の動きが心配だ。そうならないため退陣しないんだ」との話を繰り返す。林さんは長時間にわたり説得して、最後に「国民を信用しましょう」と言ったところ、ようやく吉田首相は総辞職を決断してくれたとのこと。
この話は60年昔のことだが、日本国民は60年間戦前への回帰を拒否して、吉田・林両先人の信頼に応えてきたといえる。しかし、21世紀の今日、著しく「戦前回帰」の流れが強まっている。平成26年(2014年)は、「戦前回帰」の流れを止める年としなければならない。2)資本主義の変質を予言した前尾繁三郎元衆議院議長に学ぶことが必要だ。
前尾先生は逝去される5日前(昭和56年7月18日)、比叡山延暦寺で開かれた「京都青年研修会」(前尾大学)の講演で次のように述べている。「高度経済成長が低成長にならざるを得ない時代が来る。その壁がどういうものか、十分な認識を持たなければならん。低成長に対して、どういう対策を採っていくかを考えなければならんという時代だ。福祉社会を続けるのに苦労することになる。それをいろんなところで提言しているのに、残念ながら指導者たちにその認識がない」と、日本の指導者たちが時代認識に欠けていることを危惧して次の世に旅立った。
また、石油ショックの直後から「資源のない日本は高度成長以前の、原点以前の原点に立ち返り日本経済のあり方全般にわたって反省しなくてはならない。金さえ出せば何でも買えるという思い上がりを止め、創意工夫の日本独自の技術を開発しなくてはならない。
一億人を超える日本人に、進歩と秩序を与えるのは政治であり、国会である。国民も政治家も人的資源を真に活用し、国民を幸せにする経済体制をつくりあげなければならない」と、機会あるたびに力説していた。
前尾先生の逝去を待つかのように、わが国は真逆のバブル経済が始まった。そして平成時代に入っての政治・社会・経済の混乱は説明の要はなかろう。挙げ句の果ては、政府・日銀こぞって実体経済を冒涜してマネーゲームの胴元となった。破綻のゴールは見えている。前尾理論に学んで政治・社会・経済の立て直しが必要である。本書は、これらのことに役立てばと思い執筆した。