日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○ 日本国会・「虚偽政治」物語!
我が国に議会政治が導入された明治23年頃、流行った小唄に『初雪』がある。この詩の中に日本人の政治信条の原点があるとは、私の人生の師・前尾繁三郎元衆議院議長の口癖だった。前尾先生は「春日豊繁」という、小唄の名取りだった。
初雪に降り込められて向島 二人が中に置炬燵
酒の機嫌の爪弾きは 好いた同志の差し向かい
嘘が浮世か浮世が実か まことくらべの胸と胸

突然、艶っぽい小唄の話をして「不謹慎だ」とお叱りを受けるかもしれないが、何を言いたいかというと、明治・大正・昭和の我が国の議会政治の実態は「嘘が議会か、議会は実か、まことクラベの与党と野党」ということであった。それを言いたかったわけだ。

戦後に新憲法が制定され、明治憲法体制に代わり、超デモクラシー体制となる。それでも大雑把に言って、昭和の終わり頃まで、我が国の国会の実態は「〝うそ〟と〝マコト〟の糾える縄」であったが、同時に政治家による「嘘」と「実」の競争による国民への〝マコトくらべ〟であった。

それが平成時代になって、国会で活躍する与野党の政治家は国民に対する〝マコト〟比べから〝嘘〟比べに変化していく。その数は星の数ほどあるが、戦後の議会民主政治を最悪の事態にする出発点となった重要な出来事を解説しておこう。

(青木内閣官房長官の「嘘言」から始まった「密室談合」による森喜朗内閣の成立)
平成12年4月2日(日)の深夜午前1時ごろ、順天堂大学附属医院に小渕首相は入院した。同月4日(火)に小渕内閣は総辞職し、翌5日に森喜朗内閣が成立する。この政権交代は、青木内閣官房長官の「嘘言」によって、与党自民党の一部幹部が密室談合して成立したものであり、憲法上の正当性がなく、その後の憲政運営に多くの倫理破壊を起こし、現在に至っている。この問題の中心となる事実は、小渕前首相が死亡した5月14日、順天堂大学附属医院の医師団が行った記者会見である。要点は次のとおり。

「小渕総理は入院した時点で昏睡状態であり、4月2日午後7時、青木内閣官房長官が会って『万事頼む』と 言われたということは、医学的に不可能である」

この医師団の公式発表が、小渕前首相の死亡後に行われたことが極めて問題である。民主政治国家というなら最高権力者の入院は直ちに医師団が公表すべきである。ここに自民党政治の不治の病根がある。

森政権工作に直接関わった当時の自民党参議院会長・村上正邦氏の話によると、

1)4月2日(日)午前7時頃、青木内閣官房長官の電話で小渕首相の入院を知り、議員宿舎の私の部屋に来た青木長官にアドバイスした。同日午後1時に赤坂プリンスホテル550号室に森喜朗幹事長、亀井静香政調会長、野中広務幹事長代理に連絡して、5人が集うことになった。池田行彦総務会長に連絡しなかったことに、不思議と話が出なかった。《自民党3役と、参議院議員会長の主要役員で協議することが政党政治の筋だ。宏池会の池田総務会長を外したのは、加藤紘一元幹事長の動きを封じるためであった。》

2)5人が集った時点では詳しい病状は分からず、最初に合意したのは「発表はできるだけ遅らせ、その間にポスト小渕を固めておくこと」。次の問題は首相の臨時代理を誰にするかだった。青木官房長官と宮沢副総理に意見が分かれたが、青木官房長官に固まった。

3)同日午後5時頃、5人のところに「小渕首相再起不能」との情報が入り、5人で後継首相を森喜朗幹事長とすることを固めた。宏池会や小派閥には連絡せず、創価学会の秋谷栄之助会長に電話で説明して了承をとった。

以上が、村上正邦氏の話であるが、その後の動きは次のとおりである。

同日(4月2日)午後7時、青木幹雄官房長官は順天堂附属医院で小渕首相と会う。午後11時に記者会見して「首相が過労のため緊急入院した」とだけ発表した。翌3日(月)午前になって青木官房長官は「病名は脳梗塞」と記者発表し「有珠山の噴火対策もあり、小渕首相から、官房長官が臨時代理の任にあたるよう『万事頼む』と指示された」と述べた。

青木官房長官のこの発言が、立憲政治を冒涜する「重大な嘘」であることは明かだ。この「嘘」にもとづいて、5人組が我が国の議会民主政治を冒涜し劣化させることになる。憲法上の手続としては、臨時閣議を開いて病状を報告し、臨時代理を閣議で決め、その上で自民党役員会、総務会などの機関で総裁選挙の手続を協議し、ポスト小渕を決めていくのが正当な政党政治であり、同時に憲法政治でもある。

4月25日、私は参議院予算委員会で、小渕前首相の病状経過などの十分な情報が開示されたいない中で次の趣旨の指摘をした。

1)医師団の公式発表も行わず、5人組が談合して自分たちの権力維持のため、小渕首相の指示もなく青木官房長官を総理臨時代理とし、憲法70条の拡大解釈をさせ、病気の総理を「欠けたもの」と冒涜し、総辞職させて森内閣を成立させたやり方は、談合クーデターだ。

2)このやり方で、健康な総理を病院に拉致して意識不明として、医師団に真実を発表させなければ何でもできる。国会の手続で過半数で指名されたから正当性があるといった問題ではない。森首相を選ぶプロセスに、憲法政治を破壊した深刻な問題があり、民主政治国家とはいえない。

と発言したところ、自民党は不穏当部分の取消を要求してきた。私は応じず、本会議や法務委員会などで機会あるたびに発言した。自民党など与党は、森政権の正当性を国民に疑わせると、予算委員会の発言を委員長職権で取り消した。私は意図的に取り消された発言を、公式な場所で続けた。自民・公明・保守の3与党は我慢できずに、私を懲罰委員会に付する動議を提出した。

私は、心ならずもこの展開を待っていた。懲罰動議は、本会議における「身上弁明」の発言時間を制限できないので、森喜朗政権の反民主制と反憲法性を国民に訴えるべく、周到な準備をした。しかし6月2日に衆議院が解散となり、残念ながら不発となった。政治家でこの問題の重大性を指摘したのは、当時、自由党の小沢党首ら数人であった。政治学者や憲法学者からの批判はごく少数で、我が国の議会民主政治の劣化を証明した。

(森喜朗政権以後に起こった政治の激変と劣化)
小渕首相が脳梗塞で倒れる約6時間前まで、自自公連立政権の3党首会談が開かれていた。小沢自由党党首が連立した際の政策合意の実行を迫り、小渕首相と神崎公明党委員長が拒否して連立の継続をめぐって小沢党首が週明けの四月四日に回答することになっていた。こういう政治状況下で森政権が談合クーデターで成立したのである。

時を置かずに森首相の「政治家としての資質」が問題となる。平成13年4月には自民党内で政権維持は無理となり、通常国会の真っ只中に総裁選挙を行うことになる。森政権の正当性を自民党自身が否定したのである。かくして小泉純一郎政権が誕生することになる。

小泉政権以降の自民党政治の激動と劣化を詳細に述べるつもりはない。ごく一部の富裕層やブラック企業などが豊かになる政策が続き、格差社会が極限に達し、民衆の福寿ということばは忘れられた。さすがの日本国民も、平成21年の総選挙では自公政権に鉄槌を下し、「国民の生活が第一」を党是とした民主党に政権を託した。私は、これを我が国の議会民主政治の歴史的進化と高く評価した。

ところが、これが歴史的大失態であった。鳩山由紀夫首相は政治の現実を忘れ去り、菅直人首相は「議会政治は期限のある独裁政治」と舞い上がり、野田佳彦首相に至っては財務省と野党の自公両党に騙されて、政権交代の総選挙では「やらない」と約束した10%に向けての消費税増税法を成立させた。その時の社会保障充実・3党合意はどうなったのか。安倍自公政権に交代して、民衆はアベノミクスの犠牲となった。増税分は大企業に流れ込んでいく。

民主党政権も自公政権も、同じ「詐欺」の共犯者だ。政治家のウソは国家の犯罪となる。メルマガ執筆中の深夜に時計の針は4月1日に回った。いよいよ消費税増税が始まった。この国の民衆は生きていけるのか。国家の犯罪といえば、3月27日に静岡地裁が再審を決定した「袴田事件」である。袴田さんと私は同学年で、事件当初から強い関心を持っており、無罪を確信する。

さらに、私たちはもうひとつの「国家の権力犯罪」を忘れてはならない。言うまでもなく「西松・陸山会事件」である。自民党が政権脱落を避けるための冤罪であり検事調書の捏造までやった。検察審査会での謀略は、民主党政権による小沢排除の「権力犯罪」であった。これらを検察や政権の手先になって真実のように報道し、国民に誤解を与えたマスメディアの民主政治への冒涜は、犯罪のレベルを超えた問題である。

国民がこのことを理解しないかぎり、我が国の議会政治に再生はない。
(了)

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