「日本一新運動」の原点(239)ー日本国憲法と「国連の集団安全保障」(16)

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

(政治不信の極限から聞こえる民衆の怒り!)

10月24日(金)から、2泊3日で故郷の土佐清水市に帰省していた。「土佐清水市制60周年記念式典」と、「第5回国際ジョン万次郎祭」が開かれていて、それに出席のためだった。泥谷光信土佐清水市長が5月に上京した時、「市政60周年にはどんなことがあっても帰って欲しい」と懇願するので「久しぶりに帰省すると酒を強要されたり、もみくちゃにされるので大勢の人が出るところは嫌いだ。来年は80歳になる。若い世代にまかせるよ」と断っていた。

(しかし)「高知がこんな状態になったのは平野さんにも責任がある。22年前に国政に出たとき語った公約に県民は期待し夢を見た。実現できない理由を説明しこれからどうするか方向を示す義務がある。目立たないようにするので、地域の現状を見て欲しい」と、泥谷市長の怒ること。ひと周り年上の次兄が須崎市で開業医をやっていたが、今年の3月に脳梗塞を患い幸いに回復したものの療養中で、その見舞いもかねてネクタイも使わずラフな恰好で帰省した。

市政60周年の式典やジョン万祭の会場は、足摺港の広場で行われた。「にっぽん丸」(豪華客船)が入港していて人出は千人を超えていた。式典が始まるまでブラブラしていたが、私だと気づく人は誰もいなかった。高知市内からバス3台で参加した「土佐ジョン万の会」の高齢者と世間話をしたが、ここでも気づかれなかった。式典の来賓挨拶で、私の後継者である広田一参議院議員が、平野が帰省して顔をみせていることを知らせ「ジョン万次郎の精神を教えてもらった」と話したせいで、式典が終わってからが大変だった。多くの人たちが「80歳になる顔をしていないから、平野さん本人とは思わなかった」と、誉められているのか、貶されているのかわからない。

もっとも話題になったのは、自民党の女性議員関係の「政治と金」の不祥事である。これまでの地域は消費税増税とTPP、アベノミクスによる格差と不況からの脱出どころか、日常生活の崩壊と不安で政治不信は極限に達していた。その上に、安倍政権の「輝かない女性閣僚」の出現で「民主党もダメ、自民党も許せない。この先、一体どうなるんだ」との民衆の怒りだった。「この分では、来年の統一地方選挙で高知県の市町村議選では無投票になるところが多数出るよ」とは情報通の友人の話だった。

地方議員の年金廃止も理由のひとつだが、政治家を支援しても「民衆の生活不安は解消しない」との、政治不要論は住民の心理となり始めていた。恐ろしい時代に入ったと改めて感じた。私と同世代で隠退生活に入っている人たちからは「高知のことでいえば、平野さんにも責任がある。若い政治家も育っていない。もっと、政治はこうあるべきだと騒いでほしい。国民・住民が政治への関心を高める活動をやってほしい。小渕優子・松島みどり両女史の馬鹿騒動のおかげで、政治不信の極限から目覚めようとしている」との合唱を受けた。

夕刻のパーティーには尾�正直高知県知事も顔を見せ「今の自民党でも、今の民主党でもない政治の方向を構想して欲しい」との注文があった。そこで出たのが、この春『違憲国会の葬式』をやった高知市立自由民権記念館で、12月中に『平野貞夫の政治への遺言集会』をやれとの話だ。事務局に相談したところ「小椋佳の〝生前葬コンサート〟が大成功のようだ。あんたも〝作詞家〟の端くれだから、彼に因んで『平野貞夫の生前葬』はどうだ!」との意見。さすがにこれは鄭重に辞退した。

10月31日(金)、亀井静香衆議院議員の78歳誕生祝いが〝外松〟という赤坂のふぐ料理屋で、〝フグ毒〟より悪辣な毒舌メンバーが参加して開かれた。高知の話をして、暮れには『平野貞夫の政治への遺言集会』を開くことになったと報告したところ、亀井氏から「遺言はまだ早い。私はこれから生命を懸けて、新しい民衆のための政治勢力の結集に挑戦する。その成否を見届けてからの遺言にしてくれ!」との注文。「政治遺言集会」は題名を変更する。

○日本国憲法と「国連の集団安全保障」(16)
(細川非自民連立政権と国連協力主義)

細川非自民連立政権は、平成5年8月に発足して足掛け8ヵ月の短命政権であった。細川首相は「政治改革関連法案を平成5年中に成立させる」ことを最優先させていたため、PKOについて政権側からの動きは少なかった。目立ったことはカンボジア暫定統治機構代表を経験し、当時は国連事務次長の要職にあった明石康氏が、同年7月22日に、細川首相を訪ね「アジア地域にPKO機材集積所や訓練所が必要だ」と日本側の協力を要請したことだ。さらに10月31日の自衛隊観閲式で細川首相が「防衛大綱」の見直しを強調した。これは国連PKOへの協力を、自衛隊とは別組織として整備することであった。

そんな中で11月2日、高知県幡多郡三原村議会が『国際貢献センター(空港)建設についての要望決議』を可決した。要望決議の骨子は、

三原村と隣接する土佐清水市には4千メートル空港の建設が可能だ。幕末に日本の開国に尽力したジョン万次郎は土佐清水市の出身であり、万次郎の精神を生かし、国際社会に貢献するため、次の構想による国際貢献センターを三原村に建設されるよう要望する。 

 1)国際貢献センター(食糧・医薬品・資材の備蓄及び要因(注:要員?)の待機)
 2)国連平和維持活動センター(資材の備蓄及び必要員の教育活動)
 3)政府専用機の駐機(緊急時の在外邦人の救出)
 4)関西国際空港を非難空港として併用
 5)民間空港としての併用

三原村では空港そのものに反対の意見もあり決議先送りの意見もあったが、「国際貢献に協力することで地域が発展できる」との意見が大勢を占めた。村議会では議長を除く出席者10名(1人欠席)のうち、賛成8、反対2であった。なお三原村に引き続き、土佐清水市議会も同趣旨の『国際貢献センター誘致決議』を賛成多数で可決し、三原村と一体となって誘致運動を行うことになった。

三原村村議会が、全国で初めての国際貢献センター誘致決議を行った翌11月3日(水)高知新聞朝刊は一面のほとんどを活用して報道した。当時の同紙政治部副部長の片山茂氏は次のように解説している。

(高知)『西南地域に3千メートル以上の国際空港を』というのは、中内県政時代から国際物流拠点として取り沙汰されたことがあった。地勢的にも同村(三原村)と土佐清水市にまたがる丘陵地は西日本では唯一4千メートル級の滑走路が建設可能といわれ、しかも用地の95%が国有林、村有林で土地取得に問題が少ない。

それを初めて政策的に肉付けしたのは県選出の参院議員、平野貞夫氏(新生)。平野氏は衆議院事務局委員部長当時、PKO協力法案の成立に裏方として関わった経験から、本県の西南地域が東アジアの安定に重要な地域であると着目。小沢一郎・元自民党幹事長(当時)と綿密に擦り合わせた上、昨年7月の参議院選に「世界に貢献する土佐をつくろう―ジョン万次郎記念国際貢献センターの建設」を公約に掲げ当選した。(以下略)

同月11日、衆議院安全保障委員会で次のような質疑が行われた。

○中谷元委員(自) 私の郷里、高知県の三原村で11月2日に臨時村議会を開き、自衛隊とは別組織の国際災害救援センター、並びにPKOセンターなどを想定して、此村に国際貢献センターを誘致したいとの全国でも初めての意義ある決議が行われた。これにご意見を伺いたい。

○中西防衛庁長官 PKO活動はきわめて中枢に位置づけるものです。その活動に備えて訓練を行う専門的な場所もございません。そんな中で、中谷さんの郷里の高知県から、実は新生党の平野参議院議員からその話をたまわりまして、大変ありがたく承っています。できれば平野さんの意向に沿っていけばなと、個人的には私自身そのように感じております。

ここまで順調に進んだ『国際貢献センター誘致運動』であったが・・。
(続く)

 

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