日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○『サンデー毎日』対談後日談!
11月24日(火)に発売された『サンデー毎日』での時局座談会(村上正邦・平野貞夫・司会、鈴木哲夫)で、「安倍政権は何時まで続くのか」「どうすれば政治は再生できるのか」ということが主要なテーマであった。読まれた方は「一強多弱といっても重大問題で破綻して早晩倒れる可能性がある」と3人の見方が一致していたことはご承知のことと思う。
村上氏は、福島第一原発事故の放射能問題の最近の情報を説明して、「IOCのバッハ会長も放射能問題にすごく関心を持っている。そういう動きが出れば、ロシアのドーピング問題どころではない。日本でオリンピックはできないとの勧告が出る可能性だってある。そうなると安倍政権は一発で終わる。みな甘く見ているが大変な問題だよ」と、語った。
そこで私が話を引き取っていったことは、「ここ数年とにかく人間が想定できない大事件が頻発している。参議院選挙までに起こる可能性がある。大規模なテロや大災害だ。これで世界が混乱して、安倍政権では対応できなくなる場合がある」と。偶然とは言え、フランスで想定を超えたテロ事件が発生したのは、3日後の13日(現地時間)である。図らずも、私がテロを予言する形となった。
まとめ役で司会の鈴木氏から、「ゲラを送る」と電話が19日(木)にあった。「パリのテロ事件を事前に知っていたのか?」との話があり、「知るわけはないが、予感する情報を最近読んで、刺激を受けていたのがあんな発言になった原因だ」と説明した。その刺激になった情報とは『世界』12月号の特集「気候変動―人類最大の脅威にどう立ち向かうか」であった。
ここには『〝今そこにある明白な〟危機―気候変動の脅威から目をそむけてはならない』(ナオミ・クライン)など三つの論文を掲載していた。人類の危機が目前にあることを学んだ。「シリア難民問題の要因のひとつに、史上最悪の気候変動による干魃の発生に対するアサド政権の失政があった。イラク難民で溢れていた国境沿いに150万人以上のシリア難民が流入し、反政府革命暴動が頻発した」と論じていた。
私はこの情報から「ISによるテロ」の原因を、気候変動による大災害は資本主義の構造に一因があり、これらへの人類的反省が必要であると思うようになっていた。そして今回の「パリ同時テロ事件」である。この事件の特徴は、1)犯人の多くがフランス国籍であること、2)彼らがシリア難民を利用していること、問題は複雑である。
皮肉なことに「テロ」という行動はフランスに起源がある。テロリストの身勝手な暴力はどんな論理においても正当化すべきでない。「テロリズム」の定義を『広辞苑』では「政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。またその行為・暴力主義」としている。同時期にトルコで開かれた「G20」首脳会議は「国際社会が総力をもって、ISのテロに対処する」ことで意見の一致を見たが当然のことである。
しかし考えてみると「暴力」の定義は、現代の高度情報化社会では、単純な武器などを使用する「物理的暴力」だけではないはずだ。「言論の暴力」「多数による暴力」「カネによる暴力」「パワハラなどの暴力」等、さまざまな暴力がある。近代国家の諸制度を成立させた価値観は、イギリス市民革命やフランス革命、アメリカ革命などから生まれた「自由」「平等」「デモクラシー」などであった。
これらの価値観が、テロによって損なわれている現実は歴史の悲劇といえる。逆に、近代の価値観を権力者が誤って乱用することも「暴力」といえる。テロを生み出している歴史のパラドックスを知っておく必要がある。金権力に最大の価値観を置き、強者の自由放任を正義とし不法不当に形成された多数意思を民主政治というなら、それはテロリズムと同質である。
小泉自公政権の新自由主義から始まる、日本の曲がった偽りの民主政治は、村上氏のKSD事件・鈴木氏のやまりん事件等・小沢氏の陸山会事件等を捏造した。これこそ現代の国家権力のテロといえる。その極め付きは安倍首相の憲法九条解釈改憲を含む、安保法制国会の運営と、野党の臨時国会召集要求を拒否するという、憲法違反と立憲主義の冒涜である。
〇「安保法制廃止のため」憲法を学ぼう 9
(日本人は鈴木大拙師の『日本的霊性』に学ぶべし)
前号で「日本国の根源的特質」について採り上げた。鈴木大拙師が本格的研究を行っており、その成果は『日本的霊性』という書物にまとめられている。鈴木大拙師(1780~1966)は、仏教学者・思想家で禅の研究者として知られ、欧米にも大きな影響を与えた人物である。何を論じているか『日本的霊性』から要点を紹介しておきたい。
近代日本の歴史的環境がまたよく鎌倉時代に似ていて、更に切迫したものがある。国際政治は言うに及ばず、思想および信仰および技術などの諸方面に渉りて異質性の諸勢力が激しく襲来するこれは必ずしも敵性のものではない。異質性は敵性を意味していない。が、異質性だけに、鎌倉時代や、それ以前およびそれ以後に、日本文化が逢着した時と、大いにその趣を異にしている。常に主我自尊的および排外的態度でこれに対抗してはならぬ。それは事実のうえには自幻滅の時節は必ず来るのである。武力・機械力・物力の抗争は、有史以来やはり枝末的なものである。
畢竟(ひっきょう)、霊性発揮と信仰と思想である。そしてその霊性・信仰は、思想と現実とによりて、いやが上に洗滌せられたものとならなくてはならぬ。日本人の世界における使命に対して十分の認識をもち、しかも広く、高く、深く思惟するところがあってほしい。切にしかあらんことを希う。
(岩波文庫版60~61頁)
この書物が出版されたのは何時か。驚くべきことに昭和19年12月という太平洋戦争の真っ最中である。この時代に日本人にこれだけのメッセージを送った鈴木大拙という人間の見識の深さに、私は敬意を表したい。鈴木大拙師はともすれば誤解をされやすい「霊性」という言葉についても定義づけている。「人間の全存在は知性の世界だけでは尽くせない。我々の心のもと、心のはたらきの出どころ、我々の存在の根底をなし、知情意をはたらかせる原理―それはもはや知性や分別でなく、これを超えたものでなければならない。このような心源を知性から区別して、霊性と呼ぶのは、もっとも適切な説明方法である」と。
昭和19年の第2次世界大戦の最中、戦争に強く反対していた鈴木大拙師の思いは、「日本的霊性は世界に覇権を求めるべきではなく、世界の精神文化に貢献するのが使命である。日本的霊性自覚の世界的意義を高揚するのが日本民族の使命である」というもので、この思いの中から、敗戦後に「戦争の放棄」という憲法の理念が創成されたのである。
憲法九条の理念が、我が国の地政的、歴史的環境を大地として、日本人の精神の中で育ったことを思うに、如何にして混迷を重ねる21世紀の人間社会を収拾するか。それは「日本的霊性自覚」を世界にどう発信するかにあろう。日本の政治家の諸氏よ、この意味がおわかりか!。
(空しさを感じる安保法制の憲法論争)
「安保法制国会」が終わり、共産党が国民連合政府構想を提唱し、民主党や維新の党が漂流状態にあることを目の当たりにして、私は、これまでの立憲論や議会政治論に空しさと苛立ちを感じて仕方がない。その理由は、いくら立憲主義の重要さを理屈で国民に訴えても、どれほどの効果があるかという疑問である。何故、立憲主義が必要か。どうして国民主権でなければならないのか。
戦争放棄の平和主義を実現するにはどうすればよいか等々を、安倍自公政権による悪政のせいにして攻撃しても適切な解決にならないのが現実である。そんな折に起こったのが世界中を震撼させる「パリ・テロ」である。前述の通り、その直前にたまたま読んだ『世界』12月号の特集「気候変動―人類最大の脅威にどう立ち向かうか」という記事からのショックであった。
現代の中近東をめぐる混乱は、中世から続く歴史の悲劇と近代資本主義の宿痾などに原因があるだろうが、「シリア難民問題」の近時の原因が、「気候変動」、主として二酸化炭素排出などによる「地球温暖化問題」にあると、多くの科学者が指摘しているのである。それが結果としてテロを誘導しているのである。日本人としてやらなければならないことは、「環境健忘症」から脱し、テロで混乱する世界と武力的覇権で対応するのではなく、『日本的霊性』による人間の精神文化の向上に努めることだと思う。「日本一新」とは「人間一新」のことである。憲法問題の根源は人間の生命や暮らし、人類の存亡、地球規模の危機にどう対応するかにあると思うう。
(続く)