日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○ 治山治水が「安全保障」の原点である!
9月10日と11日、北関東や東北を襲った天変地異といえる豪雨、鬼怒川などの決壊や氾濫をみて、安保法制を審議中の政治家たちは何を考えたろうか。安倍首相以下与党関係者は異口同音に「人の命を守る」と合唱していた。この災害はひと言でいって、政治災害といえる。
13日(日)午後9時からのNHKスペシャルで、高村自民党副総裁が「生命と平和を守るため絶対に必要な法案」と安保法制を「絶対」という言葉を使って強行成立させようとしている。『政治家は絶対に〝絶対〟という言葉を使ってはならない』と、私は数々の保守本流の指導者たちから教わってきた。「生命を守る」ために絶対必要なのは災害対策であって、集団的自衛権を行使できる安保法制ではない。安保法制を必要とする政治こそ「人命を犠牲とし危うくする」場合がある。目をつり上げての高村副総裁の他の意見を無視し、専制的姿勢をテレビで視ると、危険人物は安倍首相と谷垣幹事長だけではないと感じた。
高村・谷垣両氏とは、私が40代、衆議院事務局で議運委員会担当の頃、夫人同伴の海外旅行などで、日本の将来について議論をしたものだ。何れもハト派の若手で将来を期待したものだ。司法試験を無理にパスした人間は、速く認知症になる例が多いと漏れ聞くが、どうやら本当のようだ。
今回の北関東を中心とする天変地異現象には、極めて深刻な問題がある。国交省は荒川の決壊対策まで想定していたとのこと。もし荒川が決壊すれば、首都東京はどうなっていたであろうか。その危険性は十二分にあり、これからもあり得る。そもそも首都から30~40キロ地域で、あのような河川決壊が生じることは近代国家とはいえない。
尖閣諸島問題も大事だがこれは政治や外交で解決すべきことで、それが可能な問題だ。それを種に、憲法の命まで捨てようという安倍政治に「天誅」として天命が起こしたのが、今回の天変地異だったと思う。気象庁も安倍政治も、そしてマスコミさえも「記録的大雨」と、教科書にあるような表現を使っていることに問題がある。日本全国で発生が続く以上、災害は「天変地異」そのものである。人間はこれらからどう安全を確保するか、これが政治の始まりであることを忘れてはならない。
これを怠け、国際情勢に変化があると称して、中国を仮想敵国として「集団的自衛権」を米国と共に行使するというが、確かに国際情勢は変わった。それは「米国と中国が、一段と同盟性を高めた」という変わり方である。軍事的抑止力を必要と叫んでいる輩は、日米の軍事資本家に操られ、悪霊化した政治家たちである。
天命は彼らに政治の原点は「治山治水」にあることを目覚めさせるための天変地異と思う。それにしても、これほど悪霊化した公明党国会議員も、その原因はどこにあるのか。
〇安全保障法制関連法案を廃案にする〝死角〟がありますよ!18
安保法制の強行採決はいよいよ今週が最終段階となった。果たして廃案に追い込めるかどうか。14日夕刻、国会前デモに参加した。日本一新の会・オリーブ千葉・同神奈川の人たちと日比谷公園に集まり、先ず、新憲法施行記念国民歌「我らの日本」の練習から始まった。日本一新の会会員の三浦さんや安藤さんのお世話で、大型ラジカセで歌唱したものを流しながら国会正面へ向かった。
途中数人のデモ参加者から「何の唄ですか」と聞かれた。由来を説明すると、相当年配の人からも「知らなかった。新憲法の原点に帰るに良い材料だ」と喜んでくれた。しかし、国交省前の横断歩道で、国会正面に行こうとする人々と警備の警察官が揉み合いになり、ラジカセの「我ら日本」どころでなくなった。
揉み合いの横で初対面の50代の女性2人から声をかけられた。「平野さん廃案にする方法はないのですか。政府の対応は不誠実です」と怒っていた。私は「残る方法は公明党の姿勢を変えることですよ」と答え、話題は公明党の問題となった。
13日(日)のNHKスペシャルで北側副代表が集団的自衛権について「公明党は、きわめて限定的に集団的自衛権を考えており、維新の党の松野代表と同意見ですよ」と、公明党の論拠を維新の党に転化した説明をして、公明党は自民党に乗せられたことを他党のせいにするという論理の破綻をテレビで説明したのだ。
女性が「平和の党が看板の公明がどうして戦争法に協力するんですか」との質問に、公明党が衆議院に進出してきた時からの話をした。公明党は昭和42年1月の総選挙で、衆議院には進出しないとの公約を破って、創価学会の政治担当部門として進出してきた。その時、もっとも心配されたのは日蓮宗の中でも一番の排外思想で、議会政治が相対主義=相手の意見に反対でも、意見の存在を認めることでなり立っていることを理解しない思想の人たちの集団であることだった。
しかも国立戒壇をつくるとは創価学会を国教にすることを目的としていたので、日本の民主主義社会が崩れることを、当時の有識者たちは大変心配していた。創価学会の影響で公明党が全体主義の体質で、国会運営に適応できないのではという心配であった。
その時期は第2次佐藤内閣で、まだ政権が不安定だった。当時私は衆議院事務局から出た園田直副議長の秘書で、政治の荒波を被る毎日であった。公明党の中にも竹入委員長を中心に創価学会の教義はそれとして議会政治に馴染もうとする指導者たちも数人いた。昭和42年8月、健保特例法案という与野党激突の法案をめぐって、竹入公明党委員長と親しい朝日新聞政治部の柴隆治記者が私と相談してつくった収拾案を竹入委員長が提案して、国会を正常化したのを切っ掛けに柴記者から、私に次のような要請があった。
「平野君は学生運動をやり、出世するつもりもないだろう。君の役割は公明党に国会運営や手続を教えることを通じて、議会民主政治の路線から狂わせないことだ。公明党から相談があれば誠実に応じてやってくれ」と。私は平成4年2月まで衆議院事務局に勤務し、委員部長で退職した。柴記者から要請のあった年から25年間、公明党は議会民主政治路線を歩み、創価学会もさまざまな悩みの中で、文化的宗教団体となった。特に米ソ冷戦後、日本の新しい発展のための改革勢力として、自民・社会・民社各党の改革派と協力して政権交代を可能とする政治改革を断行することになる。参議院議員となった私もその同志として活動することになる。
この時期になると創価学会は公明党を解党し、政治と距離を置く方針となる。これに恐怖心を深めたのが自民党守旧派である。過去の創価学会の知られたくない問題点を利用して、陰湿な謀略を続け、創価学会・公明党もそれに負け現在の体制となる。かくして自民党内でもっともファシズムに近い旧岸派政権と公明・創価学会が提携することになる。「平和・福祉」は虚偽政治の道具と成り果てた。
憲法9条を解釈改憲までして、集団的自衛権行使に拘る安倍自公政権に、かつて公明・創価学会を謀略で変質させた自民党の長老たちも批判を強めている。創価学会内部の良識派からも反省を求める運動が始まっている。しかし、自民党と連立を絶対的要件とする創価学会原田執行部の呪縛から解けない公明党。また同党内の弁護士政治家を呪縛して自民党の患部と癒着させた人物も確認されている。公明党のみならず創価学会、さらには日本国すら崩壊させていく悲劇が始まろうとしているのだ。
女性らにここまで話して、これから何をすべきかとなった。私たち同志の指導者には公明党を除名された元副委員長で創価学会会員の二見伸明氏がいる。二見氏は「公明党よ正気に戻れ、狂ったままなら学会だけではなく、良識ある日本中の人々からも捨てられるぞ。今からでも遅くはない」と、公明党所属の国会議員に呼び掛け続けることだとの指示であった。
このメルマガを校了した直後、自公政権は16日中の委員会採決を画策したが失敗した。「天命」は安保法制を廃案にする〝死角〟への道を残している。冷たい雨が降る中に国会前で徹夜で訴える市民のためにも、良識
ある国会議員の奮闘を祈る。「最後まで諦めてはならない」。
(「平成の日本の政治改革の原点」は休みました)