「日本一新運動」の原点(323)―「角栄ブーム」は小沢一郎をして真の民主政治を実現させようという先行現象

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 私の「共産党物語」 9
(本格化する共産党の議会政治体制内政党)昭和49年(1974年)という年は不思議な年といえる。今考えると、その後の日本政治を大きく変えていく出来事が頻発している。主要なものを挙げると、
●4月22日―自民党が衆議院内閣委員会で強行採決した「憲法違反の靖国神社法案」を前尾議長が廃案にすることを前提に調停案を出し、共産党を喜ばす。
●7月7日―第10回参議院選挙で田中自民党政権は空前の金権選挙を展開して敗北する。参議院は与野党伯仲となる。三木副総理が田中首相を批判・辞任し、これに福田赳夫蔵相が同調し挙党体制が崩壊する。
●9月2日―前尾議長と与野党国対委員長は、ニュージーランド国会議長の招待で出発。村上共産党国対委員長の「天皇陛下のために乾杯」事件が、帰国後政治問題となる。前尾議長の提言で、共産党も国際慣習に従うことになる。
●10月10日―『文藝春秋』(11月号)が発売され、「田中首相の金脈問題」を特集。政局となる。
●11月26日―田中首相が辞意表明。
●12月1日―椎名自民党副総裁が三木武夫氏を後継自民党総裁にと裁定案を提示。四日の両院議員総会で満場一致で選出。
●12月9日―第74回臨時国会が召集され、三木内閣が発足。党人事は中曽根幹事長・灘尾総務会長・松野政調会長が決まる。政権の方針を「正直・清潔・誠実」とし、クリーン三木のパフォーマンスを展開する。
●12月29日―共産党の宮本顕治委員長と創価学会の池田会長が、「日本共産党と創価学会との合意についての協定」を作家・松本清張氏の仲介で取り交わした。(『週刊金曜日』6月24日号で「反ファシズム『創共協定』の裏側」の対談を、佐高信氏と私で行った)

昭和50年(1975年)が明け、第75回通常国会が再開され、三木政権はクリーンさを看板に人気取り政治を表明する。各党も通常国会に臨む方針を出す。その中で共産党の方針が話題となった。再開国会を「今後の政局の展開と国政革新の事業に重大な影響をもつもの」とし、次の三項目を挙げた。1)国民生活の防衛と経済政策の転換 2)安保堅持路線の外交・防衛問題の追及 3)金権政治の打破などを重点とする。

2月になって、民社党は定期大会で「保革の枠を超えた連合・協力を含む政策大綱を決定」。三木政権に対する四野党の対応が、微妙に変化し、三木政権も強行な国会運営を避けた。久しぶりに通常国会が正常に運営できた。会期末、参議院で重要法案がダンゴ状態となり紛糾したが、原因は与党自民党内の対立であった。

衆議院では特別の紛糾はなかったが、前尾議長にとって大事件が起きる。年頭から喉の調子が悪く、精密検査で「咽頭癌」が見つかった。5月12日に訪日していた英国エリザベス女王が離日した直後、聖路加病院に入院して手術することになった。手術に当たって前尾議長は「スピーカー(英語で議長の意味)がスピークできなくなれば、職務は果たせない」として、辞職すると言い出した。せっかく共産党も含め、国会改革で健全な議会政治を実現しようとの動きが始まったばかりである。自民党の中では、大平派の中で前尾議長の存在が大平政権を遅らせるとして、陰湿な活動が起こる。

主治医で世界的に知られる滝野博士は「絶対に完治できる。日本の民主政治に欠かせない人物を辞めさせることはできない。スピークできないのは手術後1ヵ月だ。その間『ガン』を公表せず、国会内で手練手管の芝居をするのが、平野議長秘書の天命だ」とまでいわれ、私も腹をきめた。

前尾議長の病名を「重度な高血圧症と糖尿病で1ヶ月余の入院・治療の診断書を記者発表して私の闘いが始まった。ごく少数の信頼できる政治関係者に相談したが、この人たちが完全に秘密を守ってくれた。特に共産党の東中議運理事にお世話になった。議長を補佐すべき国会運営の責任を持つ、自民党側が前尾議長の長期入院を政局化しようとしていたのを、東中理事が先頭に立って野党側の理事をまとめてくれた。この時期、公明党の議運理事も前尾議長を大事にしてくれていた。よく考えてみると「創共協定」ができた翌年で、その影響が残っていたのではないか。

これと反対に、前尾議長の治療を妨害した政治家たちがいた。代表例を挙げると三木総理であった。重要法案の衆議院審議は終えていたので国会運営について三木総理の悩みは参議院での審議だった。公職選挙法改正案で、定員の増員や政治資金規正法改正案で金権政治の防止策など野党の喜ぶ法案が多く、与党自民党内で揉めていた。その自民党内の調整を自民党籍を離れた前尾議長にやらせようということだから、虫の良い話だ。

三木総理は6月に入って、3日に一度、衆議院議長室に来て私を捕まえ「病院に行くから前尾議長に会わせろ!」と、手や足をさわって口説かれたのには閉口した。この難関を突破して前尾議長は「咽頭癌」を完治させた。昭和50年を無事に過ごせた。

翌51年には、ロッキード事件が発覚し「ロッキード国会」となり、日本議会史上最大の紛糾となる。次号で前尾議長と宮本顕治共産党委員長の阿吽の呼吸で正常化する極秘話を紹介したい。

〇 生活の党・青木愛さんの決起大会にて!
6月19日(日)午後六時半から都内北区「岸町ふれあい館」で、青木愛さんの決起大会が開かれた。ネットテレビ党首討論出席のため、冒頭、小沢一郎代表が今回の参議院選挙の意義と青木愛立候補予定者の人柄と実績を紹介して支援を要請した。

私は次の要旨の話で応援した。
青木愛さんの決起大会と聴いて押しかけてきました。理由の第1は、52年前の東京オリンピックの時期に王子駅の近くの公務員宿舎に住んでいました。大変懐かしいところです。20年前、新進党の参議院議員時代に、創価学会員でジャズシンガーの沢たまきさんが、衆議院選挙に立候補したとき、王子駅前の演説会で応援した思い出があります。

当時の創価学会は平和と福祉と人権の確立に熱心でした。自公政権となって後は、変質し真逆の姿勢です。公明党・創価学会の国民への裏切りが、今日の日本を劣化させていると強く批判したいと思います。

第2の理由は、王子駅から電柱に「中央工学校」の看板が目立っています。ここは田中角栄元首相が若き頃に学んだところです。いま空前の「角栄ブーム」ですが、現在の日本政治を田中元首相はどう思っているか、これを皆さまに伝え、青木愛さんのご支援を拡げて頂きたいとの思いで参りました。

昨年から田中元首相に関する著書が百冊近く出版されています。石原慎太郎元知事が『天才』という小説本を出し、70万部も売れています。角栄さんは「彼の世」で「誉め殺しはやめよ」と怒っています。「角栄の悲劇をいまも繰り返している日本政治を、何故国民は反省しないのか!」と、私は叱られる夢をみました。

そこで『田中角栄を葬ったのは誰だ』という本を7月初旬に出版できるようにしました(本のポスターを提示、反響あり)。角栄さんは「ロッキード事件(昭和51年発覚)で、政界から葬られたのです。この時期私は衆議院議長秘書という役職でした。「ロッキード国会」で自民政権と検察、裁判所、そしてマスメディアが「国家権力の犯罪」として仕組んだ事件でした。それを目の当たりに見聞してきました。その事実を国民に知ってもらうために執筆しました。

「ロッキード事件」よりも悪質さを増して、与野党が絡んで展開されたのが平成21年3月に始まった小沢一郎・陸山会事件です。次期総選挙で政権を担当する可能性が最も高かった政治家・小沢一郎を、当時の自公政権が謀略で引き起こした事件です。それを政権交代した民主党政権の幹部たちが司法権を悪用して裁判に持込んだのです。議会民主政治では考えられない不祥事でした。

田中角栄は「ロッキード事件」で政界から葬られました。しかし、小沢一郎は「陸山会事件」では葬られなかったのです。わが国の政治の特性は「民主政治を実現しようという政治家を、国家権力が葬り、官僚支配を続ける」ことにあります。これが「権力の犯罪」として様々な場面に現れ、ようやくにして国民が気づき始めました。

「角栄ブーム」は、愛弟子・小沢一郎をして真の民主政治を実現させようという先行現象といえます。小沢一郎が、角栄さんが志した「民衆が幸せに暮らせる日本」を創るために、青木愛さんの当選がどうしても必要です。このことを、日本中の人々に知らせて下さい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
          次回の定期配信は、6月30日(木)です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━END━━━━━

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう