【2】騎馬民族説の概要と本質

江上の騎馬民族説は、「幻の加耶と古代朝鮮」で江上自身が次のように要約している。

「(扶余=現在の中国東北地方、満州と呼ばれていた地域から)南下した騎馬民族の一部は高句麗を建設し、一部は朝鮮半島の南部(金官加耶、今の韓国慶尚南道金梅市付近)に辰王国(金官加耶国)を建てた。後者は一部が百済に残りますが、他の一部はさらに(紀元4ー5世紀ころ)加羅(加耶)を本拠とした対馬、壱岐、筑紫を併せて日本列島に入り、やがて五世紀の初め、応神天皇の頃に基台の大阪平野まで進出、ついには大和の豪族と合作して大和朝廷を作った」というものである。

何せ、天皇の出自は古代朝鮮加耶というのだから、びっくり仰天である。「大王から天皇へ」などを参考に若干敷衍すると、古代朝鮮弁韓の有力部族国家であった加羅(古代朝鮮では加耶、記紀には「任那」と表記)から日本列島の九州北部上陸を果たしたのは、紀元2世紀から3世紀に実在したとされる崇神天皇とされる。その後、応神天皇(紀元5世紀)や雄略天皇(紀元5世紀後半、「宋書に確認されている倭の五王のうちの武王」)によって、加羅からの高度な鉄器文明をもとに畿内への進出を図り、畿内の土着豪族を平定・支配し、聖徳太子摂政→大化の改新→壬申の乱→天武天皇の即位によって、「天皇制」と「日本国」が確立されたということである。

江上説への批判は多いが、世界史を農耕民族と騎馬民族の対立・構想として捉えるそのスケールの大きさを考慮する必要がある。江上は「幻の加耶と古代日本」に所収された「騎馬民族説は実証された!」で、「牧畜騎馬民族文明は遊動的で地域や民族を超えた横の広がりを特徴とし、その本源を人間の欲望や智性にもち、普遍性があり、軍事・政治・学術・宗教・思想など非具象的な、自由な人間活動を中心にした『眼に見えない文明』であり、したがって国際性が豊かで、革新性にも富んで、『歴史』を作る可能性が大きい」と述べているが、これはその一部である。

牧畜騎馬民族の方が、革新的で歴史を創る可能性が大きい、というところに留意が必要である。そう言えば、古代ヤダや教は牧畜民族の間で誕生し、旧約聖書を創造してキリスト教とイスラム教の二大世界宗教を誕生させ、ウェーバー=大塚史学に言う「辺境革命」を実現、真の歴史発展(創造を)導いた。古代日本も一時、五胡十六国時代の宋に取り入り、中国の冊封体制に自ら進んで組み込まれようとしたが結局、組み込まれることはなかった。日本が地理的に周辺的辺境地帯(内田芳明「歴史変革と現代」)であったことが大きい。

このため、日本では、中国のような「易姓革命」(天は徳のある皇帝を選び、民を支配させるが、皇帝の子孫がが不徳に至れば徳のある新しい人物を選び、皇帝につけるというもので、単なる王朝交代にとどまり、社会革命が行われず、歴史発展には結びつかない「革命」。このため、中国や朝鮮は停滞を免れなかったとされる)は、起こらず、「天皇」(権威)と「武士」(合理性、「文明としてのイエ社会」(村上泰亮、佐藤誠三郎、公文俊平、1979年刊行))による二元性支配が生じ、王朝交代などは起きなかった。これは、ヨーロッパで成立した「法王(キリスト教)」と「国王」の二元支配に似ており、マックス・ウェーバーの支配の社会学などによると、支配の正当性をめぐって真の意味での歴史発展が生じ、日本がアジア諸国の中で最初に、「近代化」に成功した原因である。

これに関連して、江上は次のように指摘している(幻の加耶と古代日本)。

「日本は初めはコメ作りで農耕をやっていたけれども、都市文明まで行かないで全国的統一国家が出来てしまった(天武朝)。これは、農耕都市文明が興って、その都市文明が互いに覇を争って統一国家ができたというのではなくて、別な世界から騎馬民族が入ってきて日本の統一国家をつくったと考えたほうが理解しやすいと私は思う」

「土地支配のありようを見ても、農耕都市文明地帯に通有な大土地所有者階層の農村支配形態ではなくて、大和朝廷から認められた武士団、それには大和朝廷から派遣された王族系統のものもあれば、土着の豪族系統のものもあったが、それぞれ縄張りを確保して分地を治めた、一種の封建的支配を行ったのです。封建制というのは、王が治安と兵力を維持するために、自己に忠誠を誓った武将たちにそれぞれ封土を割り当ててそこに住まわせ、土地は与えないがそこの生産物を与えて生活を保障し、兵馬の権を分担させ、一朝ことあれば王室にかけつけて出陣・防衛するという軍事的・政治的制度です。すなわち、封建領主として、それぞれに軍事的・政治的権力は与えられているけれども、土地はそこの人間のものであって、その人間を働かせて取り分だけは取る、というシステムです」

こうした封建制度がなければ、近代資本主義はうまれてこない。この封建制度が生成したのが、西欧と日本である。このために、欧米では近代資本主義が誕生・離陸し、世界を席巻するに至った。日本では、封建領主が合理的な経営を行い、イエ社会を形成した(「文明としてのイエ社会」)ことで、ある程度の合理性を育てていたことから、アジア諸国の中では近代資本主義を最も早く受容・形成することができた、これが、マックス・ウェーバーや村上泰亮らの見方である。こうした認識について、サイト管理者は正しいと思う。日本共産党の理論的支柱となった講座派は、日本資本主義の特異性を認識しながらも、こうした日本固有の歴史事情を認識できなかった、つまり、彼らが天皇制と名付けた(それまでは、「国体」と表現していた)特異な性格を史的唯物論では正しく把握できなかった。そこに、講座派の限界がある。

江上の騎馬民族説は、こうした歴史発展の哲学が内蔵されたスケールの大きい仮設で、このことに十分に留意して再評価すべきと思う。以下、古代朝鮮と大和朝廷→日本古代国家の誕生を関連付けてみる。

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