日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 税金の神様・前尾繁三郎の税金論!

8月26日(月)から6日間、安倍首相の声がけで「今後の経済財政動向などについての集中点検会合」が開かれた。わかりやすく言えば、消費税増税について、政府御用達の有識者60人からのヒヤリングである。世間では「やらせ」とか「責任逃れ」とか、いろいろ雑音があるが、半生を立法府で生きた一人として、どんな法的根拠か不思議でしようがない。安倍首相の私的会合なら別に違法ではなかろう。しかし、この会合について安倍首相は、「増税するかどうかは、最終的に私が適切に判断したい」と訪問先のクエートで、記者団に語っている。

となると「ちょっと待てよ!」といいたい。そこで、消費税増税の根拠である第180会国会で成立した法律を読み直してみた。「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律」といい題名が48文字という、ギネスブックもののような法律である。

問題は附則第18条が意味不明なことだ。景気弾力条項だが、第3項で「施行停止を含め所要の措置を講ずる」となっている。施行を停止する場合の手続など規定がない。施行停止の場合には改めて法律が必要と思うが、法律どおり増税する場合の手続が明確でない。

何を言いたいかというと、安倍首相が消費税を増税するか、施行停止するかの決定権を持っているかのように報道され、国民もそう思い込み、安倍首相本人も「最終的に私が適切に判断したい」と言明している。法律はどこにもそんな権限を首相に与えていない。

仮に、施行停止せずに法律通り施行するにしても、安倍首相の判断というより、内閣として閣議で協議して確認することが、憲法の趣旨である。安倍首相が個人の判断で決めるとなれば、それは「独裁政治」といえる。「閣議」で決めれば「合議政治」だが・・・・。
声を大にして言いたいことは、何百人もいる国会議員はいったい何をしているのか、ということである。衆議院では大挙して4億5千万円もの税金を浪費して海外旅行だ。「国会議員自身が身を削る」話はどうなったのか。社会保障の充実どころか、削減の流れをどうするのか。庶民に犠牲を強いるなかで消費税増税が固まっていく重大なこの時期に、国会が機能していないことは「ナチスに学ぶ」と同じ事態になったといえる。

消費税増税に賛成する御用達の有識者たちを官邸に集め、安倍首相が事実上、独裁的に消費税の行方を決める政治の流れに対して、国会が、そして野党が、ひと言も文句を言わないのは猛暑のせいとはいわせない。政権与党のみならず、野党も真面目に国民のことを考えていない、何よりもの証拠だ。党利党略、派利派略は政権与党のお家芸ではないようだ。

かく申す私も、過去を振り返ると、偉そうなことはいえない。衆議院事務局時代に、議員の海外旅行制度をつくったり、消費税制度導入に積極的に参加したことを反省している。せめてもの思いで、先人たちから教えられた「税金の基本的あり方」について、後世のために残しておきたい。

(税金の基本的あり方について)

前尾繁三郎という政治家を知る国民は年々少なくなっている。去る7月23日に、33回忌の法事が、京都嵯峨の清涼寺で行われ、前尾さんがお世話になった野中広務元自民党幹事長と一緒に参列した。昭和48年から同51年にかけて、3年8ヶ月、衆議院議長の職にあった。ロッキード国会の大混乱を、「前尾・河野両院議長裁定」で正常化した人物である。私は当時、衆議院事務局の議長秘書として仕え、人生の師として尊敬している。

敗戦時の大蔵省主税局長で、戦前・戦中・戦後にわたり、わが国の財政と税制を知り尽くした政治家であった。政界入りして、池田勇人首相とコンビで所得倍増計画を進め、高度経済成長を成功させた。前尾主税局長時代に、課長補佐で占領軍との通訳をやっていたのが、宮澤喜一元首相で、私は2人から当時の苦労話をさんざん聞かされていた。旧大蔵省では「税金の神様」と尊敬されていた。

前尾さんの税制についての基本的考え方は『国民を欺き、もて遊ぶ税制をつくることは、税務の威信を崩すもので、首をかけて阻止してきた』というのものだ。戦中戦後にどんな苦労をしたのか、本人から教わった話を紹介しよう。

1)「料亭課税」で東条首相と対立ジャカルタに飛ばされた話!

東京税務監督局直税部長の頃、昭和17年度の課税方針に、料亭の課税が低すぎるので、公正な税制をやるべしと各税務署を指導した。料亭といえば、政府や軍のお偉方や、財界の大物たちが主な客だ。東条首相が賀屋大蔵大臣を責めた。賀屋大臣がラジオで、異議があれば審査請求するように発言したため、各税務署に料亭経営者が押しかけた。東条首相は馬で都内の税務署を視察するなど大騒ぎとなる。

前尾直税部長のところには、業界の幹部が押しかけ、何しろ時の総理のバックアップがあるものだから、相手はけんか腰だったとのこと。料亭の経営者の中にはその筋の人がいる。「前尾を殺せ!」との話もあった。野方警察署は何を間違えたのか、前尾さんを「流言飛語罪」で呼び出し、取調をした。

料亭増税問題は、経営者が特別扱いを受けていたことが次第にわかり、納得するようになったものの、発案者で実行責任者の前尾さんをそのままにしておくのは、東条首相の手前できなかった。昭和17年8月、インドネシアのマカッサルに日本民政府司令官に飛ばされる。2年後の昭和19年5月に大蔵省本省の主税第2課長として帰国する。

2)占領軍が強要した「割当課税」に抵抗して造幣局長に左遷された話!
昭和21年、第1次吉田内閣の石橋湛山大蔵大臣の下で、主税局長になる。占領軍は、敗戦直後の日本がハイパーインフレと財政難のなかで、進駐軍費増額のため増税を要求してくる。占領軍側が要請に応じない前尾主税局長を攻めたてると、「理屈のある税金ならいくらでも応じるが、理屈のない税金をとるつもりはない」と抵抗する。

昭和22年5月には、新憲法による片山内閣が成立する。占領軍は日本側の反対を押し切って「割当課税」を強要してきた。目標額を税務署に請け負わせて、それを至上命令とするものである。前尾主税局長は腹を決めて徹底的に抵抗する。自分一人が犠牲になって占領軍に反省を促すとの考えであった。昭和22年12月、占領軍は、栗栖大蔵大臣を呼びつけ、主税局長の更迭を要求する。友人である池田勇人事務次官を通じて、造幣局長に行くよう要請がある。即座に断って辞める意向を伝えた。

困ったのは池田事務次官で、前尾主税局長がこのまま辞めると、占領軍へのつら当てになり、その後大蔵省が占領軍と交渉する障害になるので、「3日でも良いから造幣局に赴任してくれ」とのこと。同僚を困らせてはという配慮で受けることになった。割当課税は潰れた。

これには後日談がある。前尾さんが昭和56年7月に逝去された数日後、当時の宮澤内閣官房長官から思い出話を聞いた。「前尾さんが造幣局長に左遷されたとき、それまで占領軍との通訳を私がやっていたので、通訳のせいでこうなったのではないかと、お詫びにいったところ、『占領軍との交渉はすべて君が証人だ。その君が悲観していては、私は立つ瀬がない。われわれは日本人として恥ずかしくない言動をしてきた。君には感謝している』と励まされた」

さて、今回の消費税増税の立法過程を、前尾さんが存命ならなんと言ったであろうか。「国民を欺き、もて遊んだ税制の典型だ。税務の威信を根底から崩した」と怒っていると思う。まず、総選挙で「増税しない」と
国民に約束した民主党は消費税の大増税を強行し国民を欺いた。次に、野田民主党政権は自民党の財務省族と土建族に騙されて、バラマキ政治復活を企み、消費税増税を断行するため、国会と国民を弄んだことは明確である。これを演出したのが、財務官僚である。その応援団が巨大企業メディアだ。前尾さんが首をかけてつくった「税務の威信」を崩壊させた責任は重大である。

私は日本の危機に、現行の税制を「前尾理論」で抜本改正すべきとの意見を持っている。また、消費税制度を導入するに最も熱心な政治家が前尾繁三郎であった。私への遺言は「消費税制度の導入と健全な発展に協力せよ」で、私が何をしたか、昭和末期の大蔵官僚たちは知っているはずだ。

『春秋左伝』(BC300年)には、「国が興るときは、民を負傷者のように大切に扱う。これが国の福だ。国が亡びるときは、民を土芥のように粗末に扱う。これが国の禍だ」とある。

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