マッカーサーは戦後日本の統治に天皇の権威を利用しようとした。しかし、形式上は日本の占領政策の最高権限は、太平洋戦争に敗北した日本連合国占領するに当たり、日本を管理するため設けられた政策機関である「極東委員会」にある。同委員会は、1945年昭和20年)9月に設置されたが、12月のソビエト連邦アメリカ合衆国イギリスモスクワ三国外相会議において、英・米・ソと中華民国オランダオーストラリアニュージーランドカナダフランスフィリピンインドの11カ国代表で構成されることが決定した。そして、その第一回会合が1946年2月26日に開かれた。この会合には、一部の参加国が「天皇制の廃止」を求めた形跡がある。

マッカーサーにとってはこれではまずいので、日本国憲法の起草文を第一回会合の開かれる前に突貫作業で行い、日本側に受け入れさせて「帝国議会」で新憲法の承認を行わせた。これが、現行日本国憲法である。現憲法では、第9条において陸海空の軍隊は保持しないこと、交戦権はこれを認めないことが明記されている。これには確かに、日本において軍隊を再起不能とする懲罰的な意味合いが込められていることは確かだ。

しかし、日本国憲法がGHQの手によって起草された時期は、戦勝連合国=United Unions=国際連合(日本の外務省の訳で、正しくはない)が多大の期待をもって創設された時期でもあった。国際連合での紛争解決策は、加盟国が軍を国連に提供、安全保障理事会が各国から派遣された軍を指揮して、紛争解決に当たるという「国際安全保障」によるもので、個別的自衛権、集団的自衛権は国連常備軍(地球防衛軍)が直接、紛争の解決に乗り出す前の緊急時における一過性の措置としてのみ、認められていたのである。

【国連憲章】

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これについては、国連憲章の「第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」に詳しいが代表的な内容は第43条である。

  1. 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ1又は2以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
  2. 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。
  3. 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

GHQによる日本国憲法の起草に際して、著者によるとマッカーサーが支持したマッカーサー・ノートには「いま世界を動かしつつある崇高な理念」と書いているのはこのことである。従って、憲法9条については次の過程を踏まえる必要がある(347頁)。まず、第一に

  1. すべての国は今後、武力の使用の放棄に到達しなければならない。
  2. そのために、一層広範かつ恒久的な一般的安全保障制度(サイト管理者注:集団安全保障ではない)が確立されねばならない。
  3. しかし、それが実現されるまての間は、過ちを犯した―前科のある―侵略国は主権を制限され、交戦権を剥奪され、武装解除される。

これを前提として著者は憲法9条の性格について、「憲法9条は(3)の日本の交戦権剥奪をめざすと同時に(1)の戦争違法観に立つ戦争放棄の理念をうたう、一見無関係な二つの要素を持つ条項なのですが、この二つの間に(2)の一般安全保障機構「国際連合」の創設、という媒介項をおくと、この(3)交戦権剥奪と(1)戦争放棄は、(2)の崇高な理想への前倒し的な主権移譲=それが実現するまでの懲罰、というかたちで一つにつながるのです」と見抜いている。

現実的には東西冷戦が勃発、国際連合の崇高な理念はほとんど火が消えた形になった。そして、「連合国」の代わりに、宗主国として米国が君臨し、旧新日米安保体制(実質は日米行政協定、日米地位協定)によって、日本は米国に完全従属することになってしまった。1960年安保終了後、日本は高度経済成長路線に邁進し、経済的な謳歌を得たため、その「対米従属的性格」は「密教(ホンネ)」と化して、一般の日本国民の意識に上らなくなった。

しかし、1990年台初頭、共産主義陣営は市場経済(価格)を否定したことから、マックス・ウェーバーの言う古代オイコス経済(家政経済)になってしまい、内部から崩壊してしまった。ここで、戦後を主導した米国がまず第一に乗り出すべきは、国際連合の再建であった。しかし、国際主義=マルチラテラリズムに立脚することができず、新自由主義に基盤をおくユニラテラリズムを採ってしまったから、本サイトでしばしばのべているように、第一に、米国経済の長期衰退が展開するとともに、第二に鄧小平による改革・開放路線に転換した中国を柱とした新興諸国が台頭し、第三にアラブ諸国の米英への反逆とう形で、戦後の秩序が激変してしまった。

このため、米国としてはもっとも簡単な方法として、日本の従属化の完成=日本の国民が営々と築いてきた富を収奪する植民地化の道を日本に押し付けることになった。これが、現在の日本の現代的位置である。しかし、安倍晋三首相が異常な対米隷属政策を推進すればするほど、その支持基盤である日本会議など復古反動型の諸勢力から反発を受ける。米国から命じられた「慰安婦問題」をめぐる「日韓両国の最終和解」がそのひとつの証左である。これはいずれ、日本の戦前の戦争の侵略性を否定したい安倍首相、日本会議などの勢力を窮地に陥れるだろう。

正しい方向は、そうではなくて国際連合から敵国条項をなくして、その機能を本来のあるべき姿に戻すことである。著者は、矢部宏次著「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」で示されたフィリピンモデルを参考にしたうえで、次のようなリベラル派(護憲派)からの憲法9条改正を訴える。

日本国憲法九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二、以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章四七条による国連の直接の指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。国の交戦権はこれを国連に移譲する。
三、前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救援にあたるものとする。
四、今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。
五、前四項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。

「戦後入門」とはなっているが、「戦後本格入門」として全国民必読の書である。

(補論1)「日本会議」について

日本会議は、WikiPediaによると、<1997年5月30日に「日本を守る会」(以下「守る会」)と「日本を守る国民会議」(以下「国民会議」)とが統合して組織された。

「守る会」は、円覚寺貫主・朝比奈宗源神道仏教系の新宗教に呼びかけて1974年4月に結成、政治課題に対して様々な政治運動を行っていた。一方、「国民会議」は、最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって財界人・学者中心で、元号法制定を目的に1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられ、やはり政治運動を行っていた。

神社本庁解脱会国柱会霊友会崇教真光モラロジー研究所倫理研究所キリストの幕屋仏所護念会念法真教新生佛教教団オイスカ・インターナショナル三五教等、宗教団体や宗教系財団法人等が「守る会」以来の繋がりで多数参加している。特に神社本庁とは、「建国記念の日奉祝式典」や皇室関連の問題への取り組み等、人的交流も盛んである。2015年の時点で、日本会議の役員62名のうち24名が宗教関係者である[3]

連携する国会議員の組織に日本会議国会議員懇談会、地方議員の組織として日本会議地方議員連盟があり、「国会議員懇談会」には国会議員が約289名、超党派で参加している(1997年5月29日発足。現在の会長は平沼赳夫)。財界で連携する組織に日本会議経済人同志会がある。>

とある。ここで触れられていないが注視すべきことは初期の運動において、「生長の家」がかなり寄与していたが今日、成長の家は手を引いていることである。そして、初期の運動で成長の家を代表して運動を推進したのが参議院の「ドン」と言われた村上正邦氏であるが同氏は現在、小沢一郎氏の知恵袋である平野貞夫氏らとともに現在の「安倍晋三政権」を厳しく批判していることである。要するに、「日本会議」も一枚岩ではないのだ。

肝心の「天皇元首化」と「内閣総理大臣の靖国神社公式参拝」はまさに歴史修正主義であり、近大西欧社会で誕生した普遍的価値観(マックス・ウェーバー)である基本的人権の尊重、国民主権と議会制民主主義、国際平和主義に逆らう主張である。安倍政権の対米隷属主義と支持基盤とされる日本会議の「歴史修正主義=復古型反動主義」は最終的に衝突する。でなければ、日本会議の主張は効力を失い、単に「対米隷属主義=米国の反国際協調主義・ユニラテラリズム」しか残らなくなり、米国による日本の実質的植民地化が残るだけである。そのあとは、「日米心中」しか来ない。その意味で、安倍政権の政治・経済・外交政策は本年、袋小路に陥る。

(補論02)安倍晋三政権は対米隷属しかできない。日本会議は切り捨てられる

本件に関して、外交評論家の天木直人氏のブログを紹介する。

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米国に切り捨てられて終わる安倍支持の極右・保守たち
http://new-party-9.net/archives/3181
2016年1月3日 天木直人のブログ 新党憲法9条

日韓合意に関する今年に入ってのあらたな動きを見て私は予感した。と言うよりもそれしかないだろう。日韓合意を何としてでも成功させたいと考える日米韓同盟は、一方において韓国世論の反対を懐柔し、他方において安倍首相にさらなる譲歩を求めて、今度の合意を不可逆なものとするに違いない。

潘基文国連事務総長が1日、朴大統領と電話会談し、「朴大統領が正しい勇断を下したことを歴史は高く評価するだろう」とベタ褒めした。いうまでもなく潘基文国連事務局長は米国によって事務局長になり、以来一貫して米国の言いなりになってきた人物だ。次期韓国大統領候補のひとりでもある。その彼がここまで朴大統領を評価するのである。

これに呼応するかのように、朴大統領は1日、閣僚との朝食会で旧日本軍の関与で日本政府と合意したことを「外交的成果だ」と自賛し、「(日韓合意が)経済活性化につなげ、国民はより大きな恵みを得る事が、何より重要だ」と国民に訴えた(1月3日東京新聞」米国のニューヨークタイムズ紙は、合意直後に、これまでの日韓関係の悪化は安倍首相に責任があったが、安倍首相が譲歩して合意が実現したと言わんばかりの記事を書いた。

もちろんこれは米国政府の意向を代弁している。今後米国は安倍首相に対し、さらなる譲歩を迫って来るだろう。安倍首相もまた自らの手柄となる日韓合意を何としてでも成功させたいと考えるだろうから、それに応じざるを得ない。

安倍首相にとっての唯一、最大の問題は安倍首相を支持して来た愛国・右翼層にどう対応するかであるが、結論から愛国・右翼は切り捨てられることになる。日本会議の面々は裏切りだと怒るだろう。しかし彼らもまた泣く子と米国には逆らえない。

日米同盟を損なうわけにはいかないという決まり文句の前に、日本会議でさえ安倍批判を止めざるを得ないのだ。もちろん日本のメディアは日韓合意の成功を支援する報道に終始する。これがもし左翼政権だったら、そうはいかないだろう。

保守・愛国の安倍政権だからこそ、日米同盟最優先を掲げて日本会議を黙らせ、メディアもそれを支持するのだ。日本の対米従属はさらに進み、安倍政権はまた一歩長期政権に歩を進めるという事になるが、それでも日韓関係が改善されるのだからよかった、というわけだ。

反安倍政権の野党もまたこの日韓合意については沈黙するしかないのである(了)

(補論03)「人種差別撤廃」の必要性

本著で著者が高く買っているのは、ヴェルサイユ条約で日本側が求めた「人種差別撤廃」である。そこの浅いものではあったが、「白人優位」の世界支配構造を改める必要があることは言うまでもない。補論01,02に共通することだが、その意味でキリスト教に対する透徹した理解が欠かせない。日本の知識人の弱点は、世界宗教に暗いことである。

 

 

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